第7話

 アパートの一室に連れ込まれた。玄関に踏み入るなり足を下ろされ、タオルで後ろ脚を拭かれる。


 一足先にリビングへと踏み込む。後方からスリッパの音が近付き、軽快な音に次いで室内の闇が人工的な灯りに暴かれる。


 猫が好きなのだろう。ふわふわしたぬいぐるみが座布団の上に鎮座している。パステルカラーを基調としたリビングは、いかにも可愛いもの好きの部屋だ。


 俺はクッションの上に腰を落とす。

 少女が救急箱を持って戻る。治療を始めるかと思いきや、箱の底がテーブルの天板を鳴らす。


 わきに手を入れられて体を持ち上げられた。風呂場に連行され、勢いを弱めたシャワーで傷跡周辺を洗い流される。

 

 タオルで水気を拭き取られ、改めてクッションの上に置かれる。ぬいぐるみになった気分で鎮座すると、少女が顔を綻ばせた。


 ふと時計を見ると、時間は八時になろうとしている。

 この時刻になっても少女の親は戻らない。食器の数や家具の数から察するに、一人暮らしと考えるのが妥当か。


 少女が絆創膏ばんそうこうを握り、形のいい眉でハの字を描く。


「猫って絆創膏貼っていいのかな?」


 駄目だよ。毛が抜けて痛いから。


 言葉にして伝えるわけにもいかない。俺は体の動きで伝えようと試みる。

 やめろ、寄るな。貼ろうとしたら全力で逃げてギニャア! と鳴くからな?

 

 少女が接近を止めてスマートフォンを取り出す。画面をタップして画面とにらめっこする。調べてでも俺の世話をするつもりらしい。野良猫なんてどんな菌を持っているか分からないのに、よくやるものだ。


 検索は中々終わらない。待ちくたびれてクッションの上で丸まる。まぶたを閉じて意識を闇に同化させた。


 ◇


 少女の部屋に見慣れない物が増えた。小さな洞窟じみた小屋に、砂の敷き詰められた箱。俺を飼う気満々だ。


 飼われてやるつもりはない。隙を見て脱出し、青春を謳歌するために新たな策を模索する。

 当初は、その予定だった。


「今日も気持ち良さそうに寝てるね」


 頭に感触を得て、薄く目を開ける。

 

 少女が優しく微笑んでいた。年齢にそぐわない真っ白な髪、日本人離れした透き通るような肌。

 どこからどう見ても美少女。

 それだけに不思議だ。俺が中学生だった頃は、こんな子の話を聞いたことが無い。


 理由は大体想像が付く。正規の歴史では、あのモアイヘッドにあることないことされたのだろう。


 伊達に居候しているわけじゃない。俺は物知りだ。猫の振りをして地面に靴跡を刻み、散歩を兼ねて外で情報を収集した。


 街には、最近見えるようになった異形が漂っている。連中いわく、自分達は妖怪とのことだ。

 

 まあ名称なんて何でもいい。とにかく少女――白菊雪莉華しらぎくゆりかさんは妖怪に狙われやすい体質をしている。非常に美味しそうな匂いを発しているらしく、部屋に侵入を試みた個体は両手の数じゃ足りない。


 白菊さんも自身の体質は自覚している。部屋の所々にお札が貼られてある。どんな意味があるかはともかく、妖怪が窓に貼り付いて入れろ入れろとわめく。侵入を防ぐ手段としては有用なアイテムらしい。

 

 あくまで部屋に踏み入らせないだけ。窓際での呼び掛けは鼓膜を震わせる。


 あまりにうっとうしいものだから、魔法を使って座標攻撃してやった。ブタだの何だのと小馬鹿にしてきた奴らが、背を向けて泣き叫びながら逃げるのは見ていて小気味良かった。


 いつしか妖怪どもが寄らなくなった。白菊さんも表情を緩ませることが増えた。


 いまだ両親らしき人物は部屋を訪れていない。これまでずっと独りで妖怪と駆け引きをしてきたのだろう。玄関に駆け込んで涙を浮かべる時もあった。どんな目に遭ってきたかは想像に難くない。


 憐れみ、恩。

 居候をする内に、そんな情を持つだけの余裕は回復した。衣食住を提供してもらう代わりに、俺は部屋番をこなしている。


 提供されるのはキャットフード。グランアースにいる家臣が見たら絶叫しそうだけど、ただで食べるご飯は猫用の飼料でも美味い。魔法で猫にイデア変換した影響も色濃く出ている。つまるところニート最高!


 白菊さんが制服に袖を通す。白いブレザーにミニスカート。高級感と清楚さあふれる様相は、神秘的な美貌によく似合っている。


 すらっとした脚が歩み寄る。立っている白菊さんと横たわっている猫の俺。自然と視線は下から見上げる形になる。形のいい太ももがちらっと見えて、俺はとっさに目を逸らす。


 白菊さんが膝を曲げる。しゃがんだ拍子に、やわらかそうな太ももがふにっと形を変えた。

 しなやかな腕が伸びて俺の頭を撫でる。


「学校に行ってくるから、今日もお留守番よろしくね」


 にゃーんと返事をする。

 白菊さんが笑みを残して玄関へと足を前に出す。バタンとした音を機に足音が聞こえなくなった。

 

 満を持して体を伸ばす。体の血の巡りを良くして、後ろ脚で直立して腕を組む。


 これまでの時間を使って魔力を練った。保有する魔力を行使すれば、もう一度時間遡行をすることも可能だろう。


 それでは解決にならない。俺の存在が同一化されない以上、もう一度時を巻き戻したところで存在が確立されない。何か別の手段を考える必要がある。

 もっとも、そんな手段がこの世界にあるとは思えない。


「一度グランアースに戻るべきか……」


 考えた刹那せつな、コンコンと窓ガラスが小突かれた。


「またか」


 おちおちグランアースに戻ってもいられない。白菊さんの身の安全を確保できるまで帰還はお預けだ。


 俺は深く息を突き、気怠《けだる>さを押し殺して窓際へと歩み寄る。


 でかいのが窓の向こう側を占めていた。頭だけで景観の半分近くを閉ざしている。


 モアイよりも生物味がある顔面だけど、顔色は生きている人間のそれじゃない。どこからどう見ても化け物の類だ。頭部から伸びるだらしない髪は、しなびたワカメのようで不気味さを極めている。


「あんたかい。最近妖怪を追い返してるって言うブタ猫は」

 

 察した。これはあれだ、面倒くさいやつだ。

 俺は背を向ける。ソファに飛び乗り、あくびをして身を丸める。


「おい、寝るな」

「むにゃむにゃ」

「起きろこら! ブタ猫!」


 ばんばん! とガラスが音を立てる。

 反応したら負けだ。どうせ妖怪はお札のせいで窓ガラスを割れない。無視を決め込む一択だ。


 ばんばん! ばんばん! ばんばん!

 バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンッ!


「うるさいっ! 静かにしろアホ!」


 限界だった。ぎゅわっときた衝動に任せて跳ね起きる。アパートには他に十人もいるんだ。白菊さんが責められたらどうしてくれる。


「アホではない! ワタシには小雨こさめという名前があるのだ!」

「知らん! 帰れ頭でっかち!」

「ならあんたはデブだ! デブ猫だ!」

「お腹でっぷりな猫可愛いだろーがっ!」

 

 ぎゃーぎゃー言い合う。

 互いに疲れてぜえぜえと息を突く。


「とにかく帰れ、でかぶつ」

「おのれ、猫の分際で生意気な」

「分かってないようだからはっきり言ってやる。いいか? お前らはあの子にとって迷惑な存在なんだ。彼女が嫌がることをするのは楽しいか? もしそうならお前達の感性は獣未満だ。二度と分際なんて言葉を口にするな」

「毛玉の分際で何を言うかと思えば。これだから毛玉は毛玉なのだ」


 ワカメ頭が両腕を肩まで持ち上げ、やれやれとかぶりを振る。

 意図せず眉根が寄った。


「ほう、つまりなんだ? 妖怪ふぜいが俺に説教を垂れようと言うのか」

「ああ」

「なら聞いてやる。言ってみろ」

「毛玉ふぜいには分からんだろうが、孤独は人を殺すのだ」


 変な笑い声が口を突いた。


「よくそんなことを言えたもんだな。あの子を食べようとして集まってるくせに」

「いいから聞け。我らが力を強めるには共食いをせねばならん。あの子は普通の人間よりも妖力が強い。我らが見えるばかりでなく、力も受け継いでしまった」

「お前達はその力を食らいたいわけか」


 でかい頭が縦に揺れる。


「その通りだ。母親は亡くなり、残った父親の方は一般人。哀れにもあの子は力の使い方を知らぬ。力の弱い妖怪にとっては最高のエサだ」


 俺はこらえ切れず嘆息する。


「話にならない。結局は自分勝手な理由であの子を食べたいだけじゃないか」


 俺は体の前で両手をかざす。攻撃前に決まって見せてきた動作だ。でかぶつも他の妖怪から耳にしたことくらいはあるだろう。

 銃口が向けられたに等しいこの状況。でかぶつが微かに身を揺らす。


「去れ。お前と話すことはもう何もない」


 逃げ帰るかと思いきや、でかいため息が窓をくもらせた。


「まったく、獣は話を聞きやしない。あんたはあの子について何も知らんくせに」


 妖怪が身をひるがえして大きな背中を向ける。


「また来るよ」

「来るな」

「来るからね!」

「来るなばばあ!」


 返事はない。大きな背中が青空に溶けた。

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