第6話

 少女の後ろでぷかぷか浮く異形。はてさて何と形容すべきだろう。一般的にイメージされる幽霊の顔をくそでかモアイに置き換えれば、ちょうどいい感じになるだろうか。

 一目で人間じゃないと分かる容貌。この世界にもあんなのが生息してたんだなぁ。


 少女と目が合う。

 大きな目が丸みを帯びた。よくよく見ると見たことのある少女だ。暗いから新雪のごとき色合いは分かりにくいけど、過剰なほど整った顔立ちは見間違いようがない。


 少女が地面に脚を突き立て、慌てた様子で右方へと方向転換を試みる。俺を見て進む方向を変えた辺り、巻き込むまいとでも考えたのだろう。


 何という節穴。俺はこの世で最も強い。後ろにいる変なモアイごときに負けるはずがない。それ以前に、安眠を妨げた時点で気遣いも何もあったものじゃない。


 頭もあまり良くないらしい。追われている最中にスピードを弱めれば、その分距離を詰められる。余計な気を回したせいでモアイが肉迫する。


「きゃあっ⁉」

  

 夜闇が灰色の光で暴かれた。華奢な体が地面に転がり、伏して微動だにしなくなる。


「半妖の分際で余計な手間を取らせおって。だがここまでだな」


 モアイの高笑いが夜の公園を伝播する。


 他に人影はない。いたとしても見えるかどうかは怪しい。何せこんな化け物を見た覚えがないんだ。普通の人間に見える存在ではないのだろう。異世界で力を得たから見えるようになった、そう考えるのが妥当か。


 驚きだ。この世界にも、こんなよく分からない異形が跋扈ばっこしていたとは。


 灰色の腕が少女へと伸びる。


「待て」


 モアイが動きを止めた。振り向いて顔をしかめる。


「誰だ……ん?」


 大きな頭が傾げられる。

 ベンチの上に猫一匹だ。そう思いたくなる気持ちはよく分かる。


 同情してやるだけの余裕はない。再度空気を吸い込む。


「俺だよ。こっちを見ろモアイもどき」

 

 無機質な目が丸くなった。


「しゃべった? 猫が……ありえん」

「お前がありえん。そんな年端も行かない女の子に何するつもりだ」

「何と面妖なブタ猫だ。そもそも貴様には関係あるまい」

「そうだな。そいつとは勝手にもふもふされただけの関係だ。いつどこで寝ていようが知ったことじゃない。だけど俺は今機嫌が悪いんだよ。もう少しで寝られそうだったのに、お前のせいで台無しだ」

「はァ?」

 

 モアイが俺に向き直る。無機質な顔が不愉快そうに歪められる。


「獣ふぜいが、オレを誰だと思って口を開いた?」

「知らん、どうでもいい。さっさと地面にヘッドバットしてね」


 灰色の指がぎゅっと角張る。

 やる気を感じて俺も体を起こし、ベンチの上に四本の脚を立てる。


「どうやらお仕置きが必要みたいだな。獣!」


 モアイが腕を振りかぶって迫る。

 正当防衛成立。俺は短い両腕をかざし、手の先端に魔力を込める。


 翼もないのに浮くような相手だ。物理攻撃が利くかどうか分からない。


 異世界では実体のない相手と戦うこともあった。

 そういう相手には、魔力を直接ぶつける戦い方が有効だった。実体がないように見えるけど、吹き飛ばすと彼らは体と意識を保持できなくなる。存在を維持するためには実体を戻さなければならない。


 意識を喪失して実質的に死ぬか、それとも吹き飛ばされて痛い目を見るか。

 相手に選ぶ余地はない。


「むんっ!」


 気合を込めて魔力を放出する。

 

 モアイも同じだった。情けない悲鳴を上げて吹っ飛び、土の上をごろごろと転がる。

 異形がバッと跳ね起きて目を見開く。


「何だ? 貴様一体何をした!?」

「知りたいか? ならもう一度やるからよく見ておけ」


 もう一回吹き飛ばす。

 手先に魔力を込める前に、灰色の手がかざされる。


「ま、待て! オレはこの公園に来るつもりはなかった! そこの小娘を追って立ち入っただけだ!」

「それがどうした。そこの女の子は走る方向を変えたけど、お前はどうだ? 寝ていた俺をおもんばからなかったばかりか、ぐへへと下品な笑い声を聞かせたな。不愉快だ」


 三度みたび体内の魔力を手先に集める。


「次その子にちょっかい掛けてみろ。その時は跡形もなく消し飛ばすからな」

「よせ! やめ――」


 苛立ちのままに魔力を解放する。目障りなモアイ頭が光に呑み込まれ、暴風に乗って夜天へと消え去った。


「さてと」

 

 ベンチから飛び降りて少女のもとに歩み寄る。

 頬に触れようとして、手から伸びる爪に気付く。優しく触れることもできるけど、作り物めいた美貌を見るとうかつに触れることはためらわれる。


 考えた末にあごを引く。後頭部で突いて少女の頭部を揺り動かす。


「ん……」


 形のいい眉がぴくっと動いた。白い手が地面に押し付けられ、華奢な体と地面の間に隙間ができる。


 少女が目を開いて公園を見渡す。ぼーっとしたのもつかの間、慌てて周囲を見渡す。あのモアイを探しているのは容易に想像が付く。


 俺はにゃーんと可愛く鳴いて安全を教える。少女が俺を見て目をぱちくりさせた。


「もしかしてあなたが追い払ってくれたの?」


 思わず身を強張らせる。


 ばれた?  


 何でだ、俺は何も言ってない。もしやこの子、心が読めるのか? 神秘的な容姿をしているとは思っていたけど、まさかそこまで不思議ちゃんを極めていたとは。


「……なーんて、そんなわけないか」


 少女がふっと口元を緩める。苦笑だった。


 カマかけかよ! よかったぁ、ドヤ顔でよく分かったなとか言わなくて。もう少しで自分から明かすクソダサムーブやらかすところだった。


 少女が上体を起こす。おもむろに両腕を伸ばし、俺のあご辺りをもふもふする。


「ありがとね。起こしてくれて」


 整った顔立ちに微笑が浮かぶ。

 次の瞬間には大きな目が見開かれた。


「大変! 君怪我してるじゃない! 痛そう……」


 怪我? 俺なんか怪我したっけ?

 思い返した途端、頭の天辺がヒリヒリする。

 

 かゆい。かゆい、かゆい!?

 かゆいかゆい痛がゆい! 


 掻きたい! でも掻くと傷が深くなるのは目に見えている。どうすればいいんだ。


 そうだ、掻こう。


「あっ、だめ! 掻くと傷が開いちゃう!」

 

 繊細な手に両腕を拘束された。


 は・な・せ! 離すんだ! 

 でも人の言葉をしゃべるわけにはいかない。短い腕で頑張って格闘する。


 俺は時間遡行で大量の魔力を消費した。この世界には魔力の源になる魔素が少ない。この体にみなぎらせるには時間が必要だ。こんな少女、貴重な魔力を使って振り払うのもばかばかしい。


 抵抗を諦めて項垂れる。

 両脇に手を当てられた。変な声を出す間もなく持ち上げられる。


「治療してあげる。おいで」


 片手がお尻の辺りに添えられ、肩に掛かる負荷が和らぐ。

 このまま少女の自宅まで連行されるか、全力で暴れて拒否の姿勢を示すか。


 考えた末に、少女の厚意に甘んじる。せめて助けた分は恩を返してもらおうと決めた。

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