第5話

「お……俺?」

 

 まるで意味が分からない。どうして俺がそこに立っているんだ? 俺はここにいるのに。


 数拍して我に返った。危ない危ない、戦闘中だったら死んでいた。


 しかし何だこれは。あれか? ドッペルゲンガーってやつか? 遭遇したら死ぬって話だけど、今の俺の力でどうにかなるものなんだろうか。そもそもドッペルゲンガーって実体あるのか? こちらから干渉できないならお手上げだ。

 

「な、何で俺がいるんだ」


 制服を身にまとう姿は、相も変わらず棒立ちしている。驚いているらしい。ドッペルゲンガーも驚くんだなぁ。


 いや待て、本当にそうなのか? 

 俺の存在は世界にとってイレギュラーだ。何か予期しないバグが発生して、俺が世界に別個体として認識された可能性も否定できない。


 もし、本当にそうなのだとしたら――。


「うわああああああああああっ! ドッペルゲンガだぁぁぁぁぁっ⁉」


 制服姿の俺が廊下に消えた。


「ま、待て! 違う!」


 俺は足を前に出して思いとどまる。


 追って、その後はどうする? 

 一から説明するのか? 俺が異世界から帰ってきて、時間を巻き戻したからここにいるって。学生生活を謳歌したいから、俺に存在を明け渡せと。


 無理だ。納得するわけがない。今の俺でも分かる。こんなの、世界を探し回っても納得する人なんていない。


 間もなくこの時間軸の俺は警察を呼ぶだろう。取り調べが行われることは容易に想像が付く。


 そうなって困るのは俺だ。異世界で長年を過ごした。向こうにある食べ物も口にした。体から未知な成分が確認されても驚かない。よくて宇宙人扱い。最悪極秘施設での解剖が待っている。どのみちろくなもんじゃない。


 逃げなければ。胸の奥から噴き上がる焦燥に駆られて窓を開ける。人目がないことを確認して猫に変身し、屋根の瓦を踏みしめて屋根へ屋根へと飛び移る。


 今はとにかく遠くへ。それしか考えられなかった。


 ◇

 

 俺は一息突いてベンチに腰掛ける。

 プリティな猫が、ベンチにぺたんと座っている。実にバズりそうなネタだけど、そのネタが本人だとどうしようもない。


 むなしい。これからどうしよう。


 理由は分からないけど、この世界には猫田餅成ねこたもちなりが二人いる。この時間軸の俺と同期が取れていない以上、俺は猫田餅成として生きられない。当然失われた青春を迎えることも叶わない。


「にゃ……」


 変な声が出た。目がじ~~んとする。

 こらえようとしても上手くいかない。喉がひっくと鼓動し、込み上げる衝動を抑えるべく頭を掻きむしる。それでも足りずに『にゃあああああああああああああ!』と叫ぶ。


 異世界では色んなことがあった。


 良いことばかりじゃなかった。苦しいこと、悲しいこと。たくさんの人と会って、トラブルが起こって命を落としかけたこともあった。それでも逃げずに異世界の法を学び、着実に力を付けてきた。

 全てはこの時間に戻るため。俺の手からこぼれ落ちた青春を取り戻すためだった。


 ようやく得られると思っていた黄金の時間が、また俺の手からこぼれ落ちた。強烈な喪失感に頭の中を埋め尽くされる。

 

 我に返った頃には、青かった空がオレンジ色に浸食されていた。


 頭の天辺がヒリヒリする。手元に視線を落とすと、爪が赤く濡れている。どれだけの時間を掻きむしっていたのか、記憶もあいまいだ。


 引っ掻いた箇所がジクジクする。回復魔法を使えば秒とせず傷は塞げるけど、正直もうどうでもいい。

 何もする気も起きない。体から力を抜いてベンチと一体化する。


 体に掛かるほのかな圧力が失われる。日が落ちて、閉じたまぶたの向こう側が暗さを帯びる。

 

 同期が取れない問題はどうしようもない。

 一方で、時間が解決してくれる問題もある。怒りはエネルギーを食らう感情だ。このたかぶりも長くは続かない。ひと眠りすればすぐに静まる。


 間もなく程よい睡魔がやってきた。ベンチの上でふて寝したことはないけど、今日はこの欲求に身を委ねる。


 意識が闇に呑まれかけた時、荒々しい靴音が耳に入った。

 音が近付いてくる。穏やかな闇にノイズが走り、何かと思ってまぶたを開ける。

 

 日が落ちた公園に人影が踏み込む。少女だ。制服を身にまとっているからには学生なのだろう。


 でも時間が時間。部活に励んだ生徒もとっくに帰路を歩む時間帯だ。日が落ちかけているのに、女学生がこんな公園に何の用だ?


「待テェェェェッ!」


 首筋を舐められたような悪寒がして意識が覚醒する。

 走る少女の背後には、大きなモアイが浮いていた。

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