第10話


 本日最後の授業が終わった。ロングホームルームを経て、クラスメイトが男女問わず廊下にはける。


 私も例に倣って椅子から腰を上げる。廊下の床に靴裏を付け、昇降口へと足を進ませる。私は部活動に所属していない。部室に赴く同級生を尻目に一階を目指す。 


 賑やかさが遠ざかる。

 比例して孤独感が顔を出す。表情に出さないように努めて昇降口のロッカーを開ける。外履きに履き替えて外の地面を踏みしめ、独り小さくため息を突く。


「今日も誰とも話せなかったなぁ」


 毎日言葉を交わそうと努力してはいる。決心して椅子から腰を浮かせたし、クラスメイトに呼びかけたことだって一度や二度じゃない。


 そのたびに昔のことが脳裏をよぎった。

 

 妖怪さんに反応した私を刺す、異物を見るような視線。強烈な疎外感を感じさせるあれを思い出すともう駄目だ。微笑みを向けられても動けなくなる。


 仕方のないことだとは思う。周りの人には妖怪さんが見えないんだ。私がどれだけ姿形を説明しても、彼らにはそれが見えない。私をオオカミ少年と糾弾したくなる気持ちはよく分かる。


 だから私は独りで過ごすことを心掛けてきた。妖怪さんに見つかっても逃げられるように、お昼休みには一人で弁当の蓋を開ける。放課後は寄り道しないで通学路をたどる。

 

 何年もそういう立ち回りをしていると、いい加減心が慣れてくる。最初は心を抉られるような寂寥感に胸を締め付けられたけど、今は比較的平穏だ。麻痺したという表現が正しいのかもしれないけど、それを言い出してもしょうがない。


 だけど独りはどうしたって寂しい。不意に誰かとのつながりが恋しくなる。だから勇気を出して腰を浮かせるわけだけど、過去のトラウマで引きずり戻される毎日を送っている。

 

 私は卒業までずっと独りなんだろうか。

 下手をすると、卒業した後もずっと。想像すると震えがくる。目の前が真っ暗になる感覚が恐ろしい。

 

「白菊さん」

「ひゃっ!?」


 変な声が出た。

 反射的に振り向くと二人の女子が立っていた。クラスメイトの原瀬さんと滝沢さんだ。二人が目を丸くして立っている。


「びっくりしたぁ」

「それは白菊さんの台詞でしょ? ごめん、びっくりさせちゃったね」

「い、いえ! 私こそ大げさに驚いてごめんなさい」

「白菊さんが謝ることないよ。こっちがもうちょっと考えて声を掛ければよかったんだし」

「そ、そんなことないです! 私はいつでもウェルカムですから!」

「ウェルカム?」


 二人が目をぱちくりさせる。クラスメイトが顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。

 笑い声が鼓膜を震わせて、自分が変なことを口走ったと自覚する。

 勢いあまって前のめりになってしまった。お風呂でのぼせたように頬が熱くなる。


 滝沢さんが目尻の笑い涙を指で拭く。


「ごめんごめん。白菊さんから面白い言葉が飛び出るとは思わなくて、つい」

「いえ、私こそ可笑しなことを言いました」

「白菊さんって思ったより話しやすいんだねー」


 朗らかな笑顔が視界を満たす。


 話しやすい。

 それすなわちプラスの言葉! 胸の奥でほわほわとした温かさがじんわり広がる。


「私達これからカラオケ行くんだけど、よかったら白菊さんも一緒に行かない?」

「行きます! ぜひっ!」

 

 思わず足が前に出た。


 クラスメイトとカラオケ! まるでお友達みたいなシチュエーションだ。

 何度も思い描いて叶わなかった状況がついに! 目の前に、こんな前触れもなく! ああ夢心地、まさに天に浮き上がりそうな心持ちだ。


「見ツケタ」

「っ⁉」


 短い悲鳴が口を突いた。首筋を舐められたような悪寒がして鳥肌が立つ。


 バッと校門を振り向くと、校門前に大きなモアイ頭が浮いていた。目と口を形作る空洞がニヤついた笑みを想起させる。


「見ツケタ見ツケタ見ツケタ見ツケタァァァァッ!」

 

 巨体が声を張り上げながら距離を詰める。

 体が勝手に動いた。モアイ頭の前に、クラスメイトをかざすようにして回り込む。


 妖怪さんの世界にもルールがある。談笑した妖怪さんいわく、見えない人を無暗に襲ってはいけないらしい。

 

 世界には祓い屋という職業がある。妖怪の存在を伏せて活動する都合上、裏稼業として陰ながら世界に根付いている。妖怪とは対立関係にあるようで、一時期はバチバチやっていたようだ。


 関係は落ち着くところに落ち着いた。戦いに疲れた両者は落としどころを探ってルールを定めた。


 見えない人を無暗に襲うなという約束事もその一つ。一見すれば妖怪から人を守るためのルールだけど、実際は弱い妖怪を祓い屋から守るために設けられたらしい。

 

 小物は自身より弱い妖怪か、力の微弱な一般人を襲うしかない。


 後者を実行すれば祓い屋が動く。長年の積み重ねによって培われた技術を前に、力のない妖怪は抗うすべを持たない。捕食に成功しても見返りが少なく、祓い屋による報復で無差別な調伏が行われるリスクもある。報復には報復。戦火が広がって戦争に発展する可能性もある。


 被害の拡大は両者の望むところじゃない。人のことをエサとしか認識していない妖怪さんも、同族からの粛清しゅくせいを恐れて無暗に手出しをしないのだとか。


 モアイ頭も例外じゃなかった。クラスメイトにぶつかると察するなり、目をかたどる空洞が丸みを帯びて急停止する。

 私はその隙を突いて前に出た。大きな体と擦れ違って校門へと疾走する。


「貴様ァァッ!」

「あれ、ちょっと白菊さん⁉」

「ごめんなさい! 急用を思い出しちゃって!」


 詳しく説明している暇はない。学び舎の門をかいくぐって歩道に靴先を出す。人の間に体を入れて、何度も歩いた通学路を逆走する。


「もう、もうっ!」

 

 抑えきれなかった衝動が口を突いた。せっかくクラスメイトが話しかけてきてくれたのに、仲良くなれるチャンスだったのに!


 私は二人の連絡先を知らない。仮に妖怪を巻いて校舎に戻っても、その頃にはとっくにカラオケへと向かった後だろう。

 

 弁解は間に合わない。もはや原瀬さんと滝沢さんにとって、私は約束をすっぽかして走り去った変な女子。これで全部台無しだ。


 悔しさと苛立ちを活力に変えて手脚を振る。

 何度か人とぶつかりそうになった。そのたびに謝罪を残して逃走ルートを確認する。


 モアイ頭の妖怪さんは浮いている。障害物や曲がり角の上を難なく越えられる。


 相手は直線。私が人を避けて、ルートがくねりを帯びるたびに距離が縮まる。

 人が多い場所を走るのは不利だ。人気が少ない道を選んで足を動かす。

 

 公園の土を踏みしめる。


 この時間帯なら子供はいない。進んだ先には反対側に出る通路もある。追われた際に何度も使ってきたルートだ。


「ここは……!」


 後方で動揺した気配があった。この公園で何か嫌なことでもあったのだろうか。


 好都合だ。私はさらに足を速める。

 体力には自信があるけど、ここまでの全力疾走で体力の底が見えてきた。そろそろ視界から消えて巻かないと。


「おのれ、おのれッ! 舐めるなよ小娘の分際でェェェェッ!」


 声が近付く。


 振り向くと大きなモアイ頭が肉迫していた。今までは遊びだったと言わんばかりに猛スピードで迫る。


 無機質な腕が伸びる。

 速い! 逃げきれない!


「危ない!」


 悲鳴を上げる間もなかった。張り上げられた声に鈍い音が続く。

 灰色の頭が視界から消える。二つの巨体が組み合いながら地面の上を転がる。


 横から飛来したそれも妖怪だった。両者ともに体勢を立て直して距離を取る。

 モアイ頭が忌々いまいまし気に無機質な顔を歪めた。

 

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