第18話

「ひっどい臭いだなこれ」


 人差し指と中指で鼻をつまむ。

 人の姿と猫の姿では魔法出力が変わる。相手の力量は未知数。万全を期して人型で臨んだ。


 介入して真っ先に気付いたのは、室内を埋め尽くす異臭だった。川の水を納豆に置き換えて氾濫させたような激臭だ。


 吐き気を催して口呼吸に切り替える。


 異様な黒い影を見て、取りあえず魔力をぶつけた。それで終わればよかったが、散った黒い霧が再び集まろうとしている。


 まだ終わっていない。俺は足を前に出して女子生徒に迫る。


「立てるか?」

「だ、誰!?」


 少女が怯えた表情で声を張り上げた。

 無理もないけど構ってる暇もない。俺は女子生徒の手首を握って入口へと引っ張る。


「は、離して! 離してよっ!」


 握っている手首が暴れる。大した力じゃないけど意識を散らされる。


 魔力の大半を時間遡行に捧げた今、俺だってアレを祓えるかどうか半信半疑だ。パニックを起こすのは仕方ないとしても、あっさり割り切るだけの余裕はない。


 俺は舌打ちを堪えて口を開く。


「何だ、一人でアレと戦う覚悟が出来たのか? だったら早く言ってくれよ。じゃあ五秒したら手を離すからな。健闘を祈る」

「ま、待って! やだ……やだっ!」


 背中越しの声が情けなく震える。見捨てられるとでも思ったのか、逆に俺の腕をつかんできた。

 

「じゃあ黙って足を動かせ」


 俺は振り向いて状況を確認する。


 追って来ている。

 超常的な存在だけあって速い。少女の走るペースに合わせていたら追いつかれそうだ。


 仕方ない。


「おい、一人で走れるな?」

「や、やだっ、見捨てないで!」

「見捨てないよ。このままじゃ逃げきれないから俺が囮になる。それとも君が囮になってくれるか?」


 少女がブンブンとかぶりを振る。いちいち反応が過剰だ。ちょっと楽しくなってしまう。


「一階まで下りたら、そのまま昇降口から外に出ろ。慌てすぎて転ぶなよ? さあ行け」

 

 俺は手を開く。

 少女が立ち止まることなく横を抜ける。右に曲がって曲がり角に消えた。


 俺は身をひるがえして霊に相対する。


「待ッテ、置イテイカナイデェェェェッ!」


 人のそれとは思えない声が廊下に伝播する。相変わらずひどい匂いだけど、そろそろ鼻が慣れてきた。


「置いていくわけないだろ。俺はお前に用があるんだからな」


 両手をかざす。体内に循環する魔力を一点に集中させる。


「消し飛ばないでくれよ?」


 放出。まばゆい光が黒い影を呑み込み、薄暗い廊下の輪郭を暴く。

 

 俺の目的は霊を祓うことじゃない。目の前にある現象を分析して解析。存在を消失させる原理を解き明かして、真逆の現象を成立させる手法を一から作り上げることだ。


 分析するにも時間が掛かる。まずは現象の核となる存在を確保しなければ。


「効いてくれるといいけど……」

 

 人差し指と中指を伸ばす。相手が再生する間に指先へと魔力を集める。

 

「ソウルプリズン!」


 実体のない相手を捕縛するための魔法。グランアースで修得した術の一つだ。


 再生しつつある人型の周辺に光が伸びる。

 自身が閉じ込められることを悟ったのだろう。黒い手が執拗に檻を叩く。隙間から抜け出ようと顔をぐりぐり押し付ける。


 無意味だ。この檻は物理的な衝撃に強い。力ずくでの突破は困難を極める。


 檻が完成に近付くにつれて、俺の物ではない記憶が脳裏をよぎる。

 おそらくは、閉じ込められつつある人型が保有する記憶だ。グランアースでの魔力とこの世界での霊力は非なるものだが、本質的には似ている。


 一時的ながらも、ソウルプリズンを介して人型との間にパスができた。そこから流れ込んだ霊力に混じって、人型の記憶が流れ込んだといったところか。

 

 一つの光景が脳裏をよぎる。新たな情念が雪崩れ込んでくる。モデルをやっていそうな見目麗しい少女が誰からも無視されて、声を荒げながらもどんどん弱って、最後には失意のままに屋上から身を投げた記憶。


 普通はここまで念が色濃く残ることはない。白菊さんのように、人の身でありながら強い霊力を有していたのだろう。


 加えて状況が状況だった。人型がまだ人間として存在していた頃、いじめの舞台となった校舎は儀式場として完璧だった。


 グランアースの方で見たことがある。思想、情念、集団真理。そういった物を利用して、人知れず儀式場を作り出した奴がいた。


 過去の峯咲学園でも似た事例が起こったのだ。誰が意図した訳じゃない。当時の生徒が感情のおもむくままに動き、周りがそれに影響された。その結果、閉鎖された校舎は一種の儀式場として完成した。

 

 人が集まる場所はパワースポットになりやすい。神社の大半がパワースポットとして在ることからも、その傾向がうかがえる。


 高慢な少女は、峯咲校舎内で『いない者』として扱われた。生徒だけでなく、教師も徹底して無視を決め込んだ。

 いない者として扱う空気が完成し、少女は本当にいなくなった。身を投げたことがトリガーとなって、術として完成に至ったと推測される。


 俺はグランアースで国を治めていた。

 一方で研究者として活動した時期もある。多くの魔法を聞いて、見て、解析して応用することで自らの糧としてきた。


 さあ清算の時だ。大勢に迷惑を掛けてきた分、今度は俺の役に立て。


「どうして私を無視するの⁉ 私は特別な存在なのに!」


 一度パスができたせいか、さっきよりも明確に声が聞こえた。

 いじめは激烈なものだったが、少女に非がなかったわけじゃない。死んでもなお自分が特別だと信じて疑わない在り方。人によっては、芯が強いと褒め称える人もいるかもしれない。


 俺が抱いた印象は真逆だ。両手の指をぎゅっと丸める。


「そんなに誰かに構ってほしいなら、皆に嫌われるようなことをしなきゃよかっただろ。家柄が良くて容姿も良かったんだ。当たり前をやっていれば取り巻きと一緒に、何不自由ない学校生活を送れたはずじゃないか」


 事実、記憶の最初の方ではクラスメイトも友好的な姿勢を示していた。少女の周りには人が集まり、そのとりわけ優れた容姿を褒める声も多く集まっていた。適当に笑顔を振り撒くだけで、校舎の人気者になれるポテンシャルがあった。


 でも彼女はそうしなかった。親から甘やかされた影響か、自身は称えられて当然だという認識が脳みそに刻まれていた。教師相手に調子に乗った言葉を吐くのは当たり前。取り巻きをあごで使い、気に入らない生徒がいればいじめさせた。


 そんなことを繰り返していれば、周りから嫌われるまでそう時間は掛からない。理事長に顔が利くからもてはやされていただけだ。その後ろ盾がなくなれば、孤立まで待ったは掛からない。


「世の中には、個人の努力じゃどうにもならない理不尽があるんだよ。それが原因で臨んだ高校に行けない奴もいる。でもお前の不幸はそれとは違う。ほぼ全てを持ち得ておきながら、諫める友人を引っ叩いた挙句に取り巻きにいじめさせたな。はっきり言って最低だよ、同情の余地もない」


 黒い影が叫ぶ。怒りか、嘆きか。耳にするだけで魂が騒めく。


 もはやそれすらどうでもいい。言葉にして吐いた通りだ。眼前の人型に同情の余地はない。


 俺がここに駆け付けなければ、先程怯えていた少女は一年もの時間を奪われていた。


 彼女だけじゃない。人型が怨霊と化してから、多くの生徒があったはずの思い出を奪われた。人型にはその罰を受ける義務がある。


 俺は新たに別の魔法を行使する。俺が見たもの、感じたものを余さず記憶する魔法。神隠しを引き起こす因子をひも解くために、あらゆる情報を即席の媒体に保存する。


 保存完了。データを魔力の塊にまとめてポケットに入れる。

 もう人型に用はない。


「ある意味お前も被害者だし、成仏はさせてやるよ。大勢の時間を奪った分だけ、孤独に怯えてあの世へ行け!」


 檻を形作る魔力を攻撃に転用する。一際まばゆい光が発せられ、廊下の暗がりが白い輝きで埋め尽くされる。


 真っ黒な人型が砂城のごとく崩れる。絶叫を残して視界内から消え去った。


「さて、どこから逃げようかな」


 もたもたしてはいられない。


 あの女子生徒は昇降口に向かった。あの慌てようからすると校門まで駆け抜けそうだけど、いらない正義感を出して助けを呼ぶ可能性もある。あれを見て生身の人間が太刀打ちできるとは思わないだろうけど、何せあの慌てようだ。冷静な判断ができるとは思えない。


 俺は窓を開ける。カラスに変化して外に飛び出し、翼をはためかせて風と一体化した。

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