第12話

 ワタシは真っ白な女の子を見た。


 その日は雨だった。鉛のように重い色合いの空から滴がドバドバと振り落ちる。滝じみた雨が片っ端から地面を黒くするさまは壮観だった。


 妖怪は雨で濡れない。力の弱い者は中途半端に濡れるみたいだが、ワタシはそこそこ力のある妖怪だ。嘆きながら手足を振り回す人型には目もくれず、視界内で振り落ちる雨をぼんやりと眺めていた。


 ピシャッと音がして横目を振ると、視界の隅に小さな女の子が映った。ワタシは意図せず瞠目したものだ。

 

 若い日本人の髪は黒いイメージがあった。


 その女児の髪は清々しいほどに真っ白だった。瞳は蒼穹のごとく深い青。人間を見慣れたワタシでも、本当に人間かと疑うほどの美貌をしていた。


 関心と感嘆も数秒。興味はすぐ別のものに移った。


 女児からはとても強い霊力を感じた。霊力を保有する人間は珍しくもないが、祓い屋を含めても記憶にある中で一、二を争う保有量だ。霊力が強いほどできることは増える。凄まじい才能を前に驚愕を隠せなかった。


 一方でとても危ういと思った。


 何せ女児が近付いても、不快な感じが全くしない。妖怪を寄せ付けないための工夫が何もなされていない証拠だ。

 下手をしたら、戦うすべを身に付けていない可能性もある。霊力を持つ人間は妖怪の好物。食べてくれと言っているに等しい。


 無防備すぎるぞばかたれ!


 言ってやろうかと思ったが、かくいうワタシも妖怪だ。人と妖怪は関わるべきではない。女児の運命は天に投げた。


 そのつもりだったが、近くで小さな長靴がパシャっと音を立てた。小さな人影が立ち止まって大きな目をぱちくりさせた。

 

 ワタシの後方で虫でも飛んでいたのだろうか。

 そう思った瞬間小さな腕が伸ばされた。頭上でボトボトと物音。傘が雨粒を受け止めている音だった。


 ワタシは何をしているのかと女の子に問うた。

  

 あなたが濡れてしまうからと言われた。どうやら女児は霊力を持つだけでなく、妖怪のワタシが見えるらしい。妖怪が怖くないのかという問いには、怖いけど濡れるのは可哀想だからとのたまった。

 お人好し。ワタシは人間ではないが、そんな言葉が浮かんだ。


 その日から、度々娘と言葉を交わすようになった。

 女児の名は白菊雪莉華。雪の妖精と見紛うばかりの彼女には友人がいないらしい。あやかしが見えることで周囲から敬遠されているようだ。

 

 言葉を交わしてみた限り、雪莉華の性格面に問題はない。


 むしろ気の毒なくらい気が利く子だ。この年の子供は我がままな個体が多い。にもかかわず雪莉華は非常に大人しい。おそらくそうせざるを得ない環境で生きてきたのだ。視界を華やがせる可愛らしい笑顔ですら憐れに映った。


 最初は暇潰しに付き合っていた。


 いつからか、雪莉華と話す時間を楽しみに待つ自分に気付いた。そんな内心を隠すべく突っぱねる態度を取り続けたが、雪莉華に気にした様子は見られなかった。むしろ楽し気に表情を綻ばせる始末だった。


 雪莉華が放課後を迎えるまでの間、ワタシはあの子に近付く妖怪を散らして回った。あの子との時間を邪魔されたくなかった。断じて楽しみにしていたわけじゃないが、弱き存在に楽しみを奪われるのはワタシのプライドが許さなかった。


 ある日、雪莉華が他の女子と並んで歩く姿を見た。物陰に隠れて様子をうかがったところ、会話の内容が耳に入った。最近仲良くなった同級生のようだった。

 

 先日までワタシに向けられていた笑顔が、先日まで付き合いのなかった別の個体に向けられている。


 何と移り気の早いことだ。胸の奥がチクッとしたが、雪莉華の楽しそうな様子を見ると口元が緩むから不思議だった。その日から雪莉華と話す時間は無くなったが、思ったよりは気にならなかった。


 それから一週間ほどしてからのことだ。雪莉華が息を切らして走っていた。服はどこもかしこも土まみれ。表情が緊急性を物語っていた。


 ワタシは木陰から飛び出して妖を追い払った。大丈夫かと声を掛けて近付くと、声を張り上げられて拒絶された。


 発せられた言葉から察するに、友人から絶交を言い渡されたようだ。妖怪から逃げるところを気味悪がられて、そのまま縁を断たれたらしい。


 その時の雪莉華は、今までの落ち着きようからは想像できないほど荒れた。何も悪いことをしていないのに、どうして妖怪はいつも自分の邪魔をするのか、もう放って置いてくれ。そんな言葉を吐いたのちに、泣き声で空気を震わせた。


 ワタシは呆然と立ち尽くした。声を掛けられる状態ではなかったのもあるが、人との距離を誤ったことを自覚した。我らは同族同士でも仲良くできない。妖怪と人間が近付いたところで、ろくな結果にはならないと分かっていたのに。


 その日から、雪莉華を見かけたらさりげなく隠れることにした。


 数日して、雪莉華がワタシを探す素振りを見せた。会っても互いにろくなことにならない。何せ貴重なつながりが切れた後だ。下手をするとあの子はワタシに依存してしまうだろう。心を鬼にしてそこから離れ、別の場所を拠点とした。

 妖怪散らしは惰性で続けた。毎日繰り返していたものだから、やっていないとどうも落ち着かなかった。


 あの日以来雪莉華と言葉を交わしていない。


 それでいい。あの子は人間、ワタシは妖怪。本来交わることのない存在だ。無理に関わろうとするからトラブルが生まれる。きっちり住み分けるに越したことはないのだから。

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