第40話 計画遂行

 ドームから一キロ程度離れた路上になんとか許可を得ることができ、占いに使っているテーブルや椅子を設置し、僕はいつものローブをまとい占い師っぽい格好となって、その場で川田が通るのを待つ。


 大槻さんは少し離れた所から様子を見守る。今は朝の六時、川田がこの場所を通りかかるのは六時半。東京とはいえこの時間はまだ人はまばらだが道行く人が興味深そうに僕に話しかけてくるものだから集中できず川田が来たかどうか判断できない。


 僕は川田と実際に会ったことがなく大槻さんから写真を見せてもらったことがあるだけだ。体型は痩せ型で身長は百八十センチ程度、眼鏡をかけているときといないときがあるそうだが写真ではかけていて、今日はかけていない未来が見えていたそうだ。


「望君、占いは準備中にして通行人は無視して。川田が来たら私が知らせるから」


 ワイヤレスイヤホンから大槻さんの声が聞こえる。その言葉を信じて僕は川田が来たときのシミュレーションを始める。大槻さんに指示されたセリフを暗唱し、三穂田さんに教わった護身術を復習する。僕の脳内では完璧に川田を捕まえられている。そうして自分を安心させ続けていると、再び大槻さんから連絡が入った。


「望君、君の左側五十メートルくらい離れた所、来たよ、川田だ」


 大槻さんの言う通り、左の方を見てみるとこちらに歩いてくる人影が見えた。まだはっきりとは分からないが身長はそこそこ高そうな男に見える。肩に鞄をかけていて、きっとその中にナイフや発炎筒を入れているのだろう。


 心臓の音が聞こえるくらいドキドキしている。僕は胸を押さえながら何度も深呼吸して落ち着かせ、男が僕の正面に来る頃には何とか平静を装うことができるくらいには落ち着くことができた。男はこんな時間に占いをやっている僕を不審に思ったのかこちらをチラっと見た。


 目が合った。川田に間違いない。


「望君。予定通り、頼んだよ」


 川田に声をかけ、大槻さんの指示通りの言葉をかける。


「お兄さん、占いどうですか?」


「いや,興味ないんで」


 断られるのは想定内。ここで勝手に占ってやる。


「お兄さん、女難の相が見えますね。最近彼女と何かありました? 裏切られたとか騙されたとか。あ、ちなみに今日のラッキーアイテムは切れ味鋭い物、もしかして持ってたりします?」


 なんてセリフだ。今の川田の状況を考えると心をえぐるような言葉で、これはさすがに僕に憎しみが向けられるはず。あとは三穂田さん仕込みの護身術で何とかするだけだ。


「は? 意味わかんねえ」


 予想に反して川田は特に反応を示さずスルーして僕の前を通り過ぎてしまった。


「え、ちょ、ちょっと待った」


 僕は焦って椅子から立ち上がり、川田の前に立ちはだかる。


 足を止めた川田と向き合う。川田はじっとこちらを見ている。川田の目は据わっていて、僕の戯言なんかに興味はなく、彼女の心を奪った芹沢唯斗を殺し、観客もパニックに陥らせることでクローバーというアイドルグループを終わらせることしか考えていないのだ。


「急いでいるのでどいてもらえますか?」


 どうする。三穂田さんから教わった逮捕術で不意を突けば川田を拘束することはできそうだが、川田が僕に手を出したり、他の人に手を出したり、凶器を出したとき以外は絶対に手を出すなときつく言われている。まだ何もしていない川田相手に僕は立っていることしかできない。


 川田は僕の横を通り過ぎてドームへと歩いて行ってしまった。僕も追いかけるしかない。


「なんだよ。ついてくんなよ」


「い、いやそう言わずに、ね。ちょっとお話を」


 どんなに追いかけてもどんなに話しかけても川田は僕に興味を向けない。ならば最後の手段を使うしかない。これを言えば必ずなんらかのトラブルを起こしてくれるはずだ


「あなた、これからクローバーのライブに行って、鞄に入ったナイフや発炎筒で事件を起こすつもりですね? 私には分かりますよ」


 川田はぎょっとして足を止めた。僕の顔を驚愕の表情で見つめる。その後川田の視線は自分の鞄へと行き、再び僕の顔に戻る。その瞬間川田はドームの方向へと走り出した。ここまでばれていながらも計画を遂行するつもりだ。


 僕もローブを脱ぎ捨て、走って川田を追いかける。


「やばいよ。大槻さん。このままだと川田がドームに入っちゃう」


「未来や過去を見て何か探ってみるからそのまま追って。頑張って」


 大槻さんも特に策はないらしい。


 川田は高専時代陸上の長距離選手だったと大槻さんから聞いていた。そんな奴に中学生からまともに運動していない僕が追いつけるわけもなく、ドームが見えた頃には川田がドームに入る姿だけがかろうじて見えた。


 間に合わなかった。真由の時と同じだ。必死に走ったけれど結局間に合わなくて、自分の無力さを痛感して、大切な人を失った。だがまだ諦めるわけにはいかない。今回は協力者がいて、最悪の結果にはならないように準備はしてある。まだチャンスは残っている。


「ごめん、大槻さん。間に合わなかった。三穂田さんに連絡して姉ちゃんをドームに行かせないようにお願いして。僕は関係者席に入ってどうにかしてみる」


 できれば使いたくなかった健太から譲り受けた関係者席。念のためお願いしておいて正解だった。関係者席の入場開始時間はまだ先で、ホテルに戻る余裕はある。


 もう一度大槻さんと作戦会議をしようかと考えながらドームをぼんやりと眺めていると、誰かがドームの出入り口から走って飛び出してきた。それは川田だった。出入口近辺にいた他のスタッフの制止を振り切り僕らが走って来た道とは違う方向に走り出した。


「大槻さん、川田だ。なんでか分からないけどドームから出てきた。追うよ」


「了解」


 一キロ弱を精一杯走ってきた後でろくに休憩もしていない。疲れていたが弱音は吐かない。次こそは追いついて、川田を捕まえる。


 東京の街を走り続けた。かすかに見える川田の背中を追いかけて、見失わないように、必死で追いかけた。


 川田もさすがに疲れたのか、僕との距離も遠いために追ってきている人がいないと判断したのか、走るのをやめて辺りをきょろきょろしながら歩き始めた。スマホを手に持って何かを調べているようにも見える。僕は川田に気付かれない程度に近づいた。


「大槻さん、川田どうしたんだろう。スマホ見ながらきょろきょろしてるよ。もう七時になって運営スタッフは集合しないといけない時間なのに」


「少し様子を見よう。気付かれないようについて行って。川田の未来を探ってみる」


 川田はスマホの画面とにらめっこしながらどこかに向かって歩いているように見える。時折立ち止まって周りを見渡すが、目的地を探すためというよりは周りに見ている人がいないかを確認しているようだった。


 川田とそれを追う僕はビジネスホテルが立ち並ぶエリアにやってきていた。この辺りには姉と三穂田さんが泊まっているホテルもあったはずだ。いったい何の用があるのかと訝しげに川田を見つめていると、立ち止まって後ろを振り返った川田と目が合った。


「やば」


 慌てて目をそらしたが、川田は僕が追ってきていたのだと気づいたのか大慌てで再び走り出した。僕もまた走り出す。


 しかし、急に走り出したためか足がもつれた。一瞬宙に浮いた感覚があり、膝から落下した。膝をすりむいてしまったような痛みがあったが、すぐに立ち上がりながら川田がどこに行ったのかを確認する。どこかのホテルに入っていくのが見えた。


「川田がどこかのホテルに入った。僕も行くよ」


「うん」


 ホテルに入る直前にホテルの名前を確認すると姉や三穂田さんが泊まっているホテルと同じ名前だった。川田はホテルにあるレストランの前で足を止めている。


「なんだろう。まさか朝食を食べに来たわけでもあるまいし。大槻さん、分かる?」


「ロビーにいたら川田に見つかるかもしれない。君は少し離れた所で隠れて」


「う、うん」


 大槻さんでも川田の未来からどう行動するべきか見えないのだろうか。具体的な指示が少ない。いっそのこと僕が川田の未来を見て、と思った瞬間、ホテルのエレベーターが上の階からロビーのある一階に到着する音が聞こえた。中から数人が出てきて、その先頭に見覚えがある人がいた。川田の彼女で、川田を金づるにしていた赤沼さんだ。


 それを確認した瞬間川田は肩にかけていた鞄を体の前の方に持ってきて、中身をまさぐり、鞄の中に手を入れたまま赤沼さんの方へと歩き出した。その目は赤沼さんだけを見つめていて、憎悪や殺意に満ちている。


 赤沼さんを殺す気だ。ドームでの計画が頓挫したから赤沼さん本人をターゲットにしたんだ。


 僕は川田に向かって飛び出した。川田も赤沼さんに近づくスピードを上げている。赤沼さんもその周りの人たちも向かってくる川田に気付いた。そのときには川田はすでにナイフを振り上げていて、僕は間に合いそうもない。赤沼さんも一歩も動けずにいた。


「川田!」


 苦し紛れに叫んだ。それで何か変わるとは思えなかったが、それしかすることができなかった。悲鳴が聞こえる。膝から崩れ落ちて、赤沼さんが刺された現場を見ることができなかった。


「大丈夫だよ。望君。見てごらん」


 大槻さんの声だ。だがその声はイヤホン越しではなく直接僕のそばから聞こえる。声が聞こえた右側に目線を向けるとしゃがんで僕に目線を合わせる大槻さんがいた。目が合うと、正面を見るように促された。


 意を決して赤沼さんが刺された現場を見てみると、川田がナイフを持っていた右手をひねり上げられ、体をうつぶせの状態で床に押し付けられている。


「三穂田さん」


 三穂田さんが川田を取り押さえていた。そばには姉もいる。


「どうして」


「ん? 朝食を食べにレストランに行こうとエレベーターから降りたら、偶然暴漢が近くにいた人を襲ってきたから。休みとはいえ警察官として守っただけじゃない?」


「そうじゃなくて、どうして大槻さんがここにいるの? 最初に川田と会った場所の近くにいたはずじゃ」


 後で話すと言って大槻さんは川田をとらえている三穂田さんの元に近づいて行った。僕もついて行き川田の様子を見るが、凶器を失い抵抗する気力は無いようだ。


「お前ら、待ち合わせの時間はまだだよな。でもちょうどよかった、今のうちに萌祢をどこかに連れ出してやってくれ。警察が来て事情聴取とか始まったらライブの時間に間に合わなくなるかもしれない」

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