第27話 手を取って

 土曜日の朝、リビングに行くと制服を着た姉がいて普通に朝食を食べて学校に行く準備をしていた。昨日まではつらそうにしていたのに、なんともあっけない回復だった。


「熱、下がったの?」


「もちろん。もう平気。心配かけてごめんね。もう大丈夫」


 無理をしているようには見えない。本当に熱が下がったのならこれ以上のことはない。姉がいればみんなの士気も上がってきっといい劇になる。


「真由ちゃんには悪いけど私が劇に出る。ちゃんと私を助けなさいよ、勇者様」


 いつもの調子の姉が戻ってきた。学校に着き、生徒会室に行くと姉はみんなに囲まれた。本番はこれからだというのにもう泣いている人もいる。


「こら泣かないの。もう、しょうがない」


 そんなやり取りも終わって体育館に移動し、劇の準備が始まった。僕は舞台袖で勇者の衣装を身につけていた。


「かっこいいね。勇者様」


 並木さんにそんなことを言われると頬が緩んでしまう。


「おいシャキッとしろよ勇者様」


 冷酷な女悪魔に扮する三穂田さんに頭を叩かれた。辺りを見渡すと皆それぞれの衣装を身につけて準備万端だ。約二ヶ月半かけて準備をしてきた劇が幕を開ける。


 順調そのものだ。三日練習していなかった姉は完璧だったし、僕もうまいとは言えないかもしれないがミスはなかった。他の人たちも皆練習通りに演技ができていて、場面は終盤、勇者が過去に戻るか現在に留まるかを選択する場面となった。


「僕は戻るよ。どうしてもあの子を助けたいんだ」


 勇者に思いを寄せていた魔法使いの少女は涙を流す。


「また、仲間にしてくれる?」


「うん。また一緒に旅をしよう」


 僕がそう言うと舞台上が暗転し、大道具が入れ替わることで場面が転換される。冒頭の魔王襲撃のシーンに戻ってきた。


 子供の頃の勇者である守山さんが勇気を奮い立たせ魔王の手先から幼馴染である姉を救った。


 それからは今まで倒した魔王の配下の四天王との戦いがダイジェストで行われる。成長した勇者、仲間の戦士と魔法使いに加えて、幼馴染も戦う力を手にして同行している。


 三人目の四天王を倒したところで僕は姉の様子がおかしいことに気づいた。


「どうした?」


 勇者が幼馴染に声をかける。本来こんなセリフはない。姉が心配でつい出てしまった。


「大丈夫。敵の攻撃をよけるのが大変でちょっと疲れちゃっただけ」


 姉もアドリブで対応してくれたが演技ではなく明らかにふらついている。最後の四天王を倒したところでもう一度場面転換のための暗転がある。その間に僕は姉を問い詰めた。


「熱下がってなかったんじゃないの?」


「大丈夫。平気だから。あとワンシーンだけ」


 息も荒く顔も赤い。明らかに発熱していて、舞台に上がれる状態じゃない。


「どうした」


 出番を終えた三穂田さんや他の人たちも近寄ってきた。


「姉ちゃん、熱があるみたいで」


 どうする。ラストシーンで幼馴染がいなくなったら明らかに不自然だ。でもたった一回の中学生の劇ならそれくらい誰も気にしないか。いや、当の姉本人が一番気にする。そんなことはできない。


 もう場面転換が終わっていてそろそろ次のシーンに入らないといけない。時間がない。周りを見渡して解決策を探しても何も見つからない。どうしようもない、やはり幼馴染なしで行くしかないと思ったとき、心配そうに姉を見つめている並木さんと目が合った。


 目と目で通じ合った気がした。並木さんは覚悟をしている。あとは僕が最後の一押しをすればいい。


「並木さん、一緒に行こう」


 その一言で、ラストシーンに出演しないメンバーが皆動き出し、姉の衣装を脱がせ、並木さんに着せ替えた。三穂田さんは姉をそのまま背負って保健室まで連れて行ってくれた。


 舞台に上がる直前、並木さんの手は震えていた。練習していたとはいえ一度は安心して気持ちを切っていたのだからいきなりの出番では当然だ。僕は本物の勇者になったつもりになって右手で並木さんの左手を握った。


「大丈夫。並木さんならできる」


「うん」


 並木さんもその手を握り返す。


「先に行ってる。頼んだぞ」


 魔王役の三年生の先輩が先に舞台に上がり、僕ら勇者一行を待ち構える。魔王が四天王をはじめとした魔王の軍勢の死を悼み、勇者への復讐を誓った所へ勇者たちが登場する流れだ。その出番のときがやってきて、少しは震えが止まった手を離そうとしたとき誰かが後ろからその手を抑えつけた。


「このままいっちゃえ」


 いたずらっぽく笑いながら守山さんが言った。修一郎が僕の背中を、小原田さんが並木さんの背中を押した。


 結局最後までその手を離すことはなく僕ら勇者一行は魔王を倒し、世界に平和をもたらした。


 観客の反応は分からなかった。役に入り込んだことによる興奮と、劇を終えられた安堵感とで周りは見えないし声も聞こえない。最後に出演者全員が舞台に上がり挨拶を終えるまで、僕らは手を握り続けていた。



 劇が終わると僕と並木さんは保健室のベッドで寝ている姉にこのことを報告した。姉は解熱剤を飲んで無理やり熱を下げていて、その効果が劇の最中にちょうど切れてしまったと三穂田さんから聞いていた。今は少し落ち着いたようだ。


「望も真由ちゃんもお疲れ様」


 僕らを見るその目はとても優しく、涙が溢れていた。


「ごめんね。大事なときに結局ダメになっちゃって」


「そんなことないです。萌祢先輩がいたからみんな頑張れたし、私も」


 姉は枕元にいた並木さんを右手で抱き寄せた。


「ありがとう。真由ちゃん」


 並木さんも不安や緊張から解放されたのか、姉の腕の中で泣いていた。


「あんたも来なさいよ。ほら」


 開いている左手を振って僕を誘っている。僕はベッドの反対側に回って素直に姉に抱き寄せられた。


 僕も一週間前代役を任されたときから抱えていた色々な感情から解放されて涙をこらえることができなかった。


「頑張ったね。望」


 僕らはしばらく泣き続けた。姉はずっと優しい言葉をかけてくれていた。




「おう、あたしの可愛い後輩を二人も侍らせやがって、元気そうだな」


 いつの間にか三穂田さんが見ていて、僕らは交代して保健室を出た。



 なんとなく気まずい。劇が終わって冷静になると、あの場のノリで手を握ってしまったことがものすごく恥ずかしく思えてくる。お互い何か言いたげな状態で保健室の前で僕らは立ち尽くしている。僕は勇気を出して言った。


「並木さん。あの、さっきは手なんか握っちゃって、ごめん」


「私は嬉しかったよ。あのおかげで震えが止まったから」


 またしばらく沈黙が続いた。まだ体育館や生徒会室で片付けが残っている。早く行って手伝わなければならないのに二人とも歩き出す気がなくて、お互いがお互いの言葉を待っていた。


 次に口を開いたのは並木さんだった。


「決心、ついた? 花火大会のときのこと」


 僕の顔をまっすぐに見つめて並木さんは尋ねてきた。


「すごい聞きたがっているけどもしかしてほんとは聞こえてたりした?」


「聞こえたような聞こえてないような。なんとなく聞こえたけど花火の音のせいではっきりとは分からなかったの。ずっとそのことが気になってて色々考えてた」


 ここで逃げたらもう次はない。言うタイミングはここしかない。僕は勇者になって勇気をもらった。こんどこそちゃんと伝える。並木さんの目を見るとまっすぐに僕を見つめて、僕の言葉を待っている。覚悟はできた。


「並木さんに一目惚れしたからって言ったんだ。並木さんがいたから文芸部に入った。今この瞬間もこの気持ちは変わってない。むしろ新しい並木さんを見るたびにもっともっと好きになった。並木さんは、僕のことをどう思ってる?」


 伝えた。僕の気持ちを素直に伝えた。そして並木さんの気持ちも逃さないよう尋ねた。並木さんは微笑んで、両手で僕の手を握った。少し震えている。


「私は小学生の頃から男の子とうまく話せなくて、中学生になったらちゃんと話せるようになりたいって思ってて、安積君はとっても話しやすくて仲良くなりたいなって思った。初めて男の子と仲良くなれた気がして、嬉しかった。花火大会の日、安積君の文芸部に入った理由を聞いたとき私に一目惚れしたって聞こえた気がして、その後二年生の先輩に好きだって言われて、色々考えるようになって、葵先輩とか、いろんな人に相談して、私の安積君に対する気持ちが好きってことなんだって気づいて、私の本の話を聞いてくれる所とか、代役を一生懸命に頑張っている所とか、好きだなって思って、さっきの劇でも、萌祢先輩の代わりに私に出ようって言ってくれて嬉しかった」


並木さんは一度目を閉じて、深呼吸をした。


僕も息をのむ。


「だから、あの、私は安積君のことが好き」


 嬉しくて、照れくさくて二人とも笑っている。僕は並木さんのことが好きで、並木さんも僕のことが好きで、なんて幸せなことなのだろう。


 この文化祭は僕らにとって一生忘れない思い出となった。


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