第26話 代役
月曜日が過ぎ、火曜日が過ぎ、水曜日になった。今日を入れてあと三日練習できる。しかも金曜日は翌日の本番の準備ということで授業がない。二ヶ月以上練習してきた幸一には遠く及ばないが、素人の中学生としては普通くらいまでは演じることができそうなレベルになっていて、劇自体が成り立たないという最悪の事態は避けられそうだ。
そんなとき、姉が熱を出した。
三十八度を超える熱でとてもじゃないが学校に行ける状態ではない。一日休めば大丈夫だから私抜きでもしっかり練習しなさいと言われ、姉は僕を学校に送り出した。
授業の合間に職員室に呼び出され何事かと思ったが、感染症の類ではなかったという病院に付き添った母からの連絡を伝えられた。熱が下がれば姉はすぐに復帰できる。大丈夫と自分に言い聞かせた。
それでももし熱が下がらなかったらという不安は拭えない。それは他の生徒会メンバーも同じで、昼休み生徒会室に集まり話し合いをすることになった。
重苦しい空気だった。司令塔として常に最前線にいて的確な指示を送ってくれた姉を欠いてしまい、明らかに皆の士気が落ちている。
「戻って来れなかったらどうするんだ?」
皆が思っていたけれど誰も言い出せなかった言葉を誰かが言った。
「準備はほぼ終わっているから大丈夫だ。生徒会長の挨拶とかは副会長がやるとして、あとは劇だな」
文化祭のことに関しては姉がしっかりと準備をしていたのでおそらく問題はない。だが劇の勇者の幼馴染役だけはどうにもならない。照明のローテーションを組んだから兼役は不可能だ。
でもこの場の皆が思っていた。僕が幸一の代わりをするように、劇の内容を知り尽くしていて、他の人の動きも分かる人、そんな人は一人しかいない。しかしあと三日でできるのか、人前で演技なんてできるのか、そんな不安から誰も言い出せない。
生徒会室の長い静寂を、強い決意を持った芯の強い声が破った。
「私がやります」
並木さんが手を挙げた。守山さんの後ろに隠れることはない。その決意の表情と声色に皆が賛同し、僕らはその方向に進むことを決めた。
その日並木さんは初めて塾を休んだ。
放課後、皆が不安を抱えながらも劇の練習が行われた。並木さんもセリフはすでに覚えていて、姉の代わりに演技指導をしていたこともありほとんどの動きを理解していた。それでも実際に演じていたわけではないから細かい所作や声の抑揚の付け方、他の演者との立ち位置の調整など課題は多い。
それは並木さん自身も分かっていて、ミスをするたびに悔しそうな表情になり何度も何度も同じシーンを繰り返し、聞いたこともないような大きな声を出している。あんな並木さんは初めてで、僕も気合が入る。
家に帰り姉の部屋に入る。ベッドに横になる姉は僕に気づいたようだ。
「ごめん、起こした?」
「ついさっき起きたとこ。どうなった?」
「並木さんが代役を志願した」
「そう」
姉は嬉しそうに微笑んでいた。
「あんたも私じゃなくて真由ちゃんの方が救いがいがあるでしょ」
「ダメだよ。ちゃんと戻ってきてよ。並木さんはあくまで姉ちゃんがダメだったときの保険。皆姉ちゃんを待ってる。姉ちゃんがここまで引っ張ってきてくれたから諦めてないんだ」
「ごめんね。頑張って直すから」
僕は部屋を出た。いつも強気で何でもやってしまう姉が弱気になっている所を見ると自然と涙が出てきてしまう。その涙を姉に見せたら心配させてしまうから顔を見せないように自分の部屋に入った。
木曜日なっても姉の熱は下がらなかった。僕も並木さんも必死で練習した。並木さんのフォローをしたいところではあったけれど、僕も自分のことで精一杯で、気にかけている余裕がなかった。
金曜日になっても姉の熱は下がらない。並木さんの成長スピードは凄まじくとっくに僕よりもうまい演技ができるようになっていた。この日初めて通しで劇を行うことができた。本番は明日だというのに通しでできたことに感動して泣いている人もいて、自然とそれが劇のメンバーに伝播し、皆感極まっていた。
三穂田さんに言われて始めた生徒会企画の劇の手伝い。いつの間にか文芸部の僕らがその中心にいた。
「なんとかできそうだよ」
家に帰りベッドに横になっていた姉に報告をした。姉はまだ熱が下がっていない。
「よかった。あんたも真由ちゃんも頑張ったね」
「本番は明日だよ。明日うまくいかなかったら全部無駄になる」
練習ではできた。けれどたった一週間の付け焼刃で本当に明日の本番で通用するのか不安だった。それをつい姉に漏らしてしまった。
「あんたは私の弟なんだから、うまくいくに決まってる。自信持ちなさい」
うつるといけないからと姉は部屋から僕を追い出した。
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