第25話 怪我

 お盆休みが明けて再び文化祭の準備や劇の練習が始まる。夏休みもあと二週間を切り、練習にも熱が入る。


 物語冒頭の魔王の襲撃で命を落とす勇者の幼馴染の少女を姉、幼少期の勇者を守山さん、成長後の勇者を幸一、勇者の仲間の寡黙だが優しくて強い戦士を修一郎、同じく勇者の仲間の元気いっぱいで秘かに勇者に思いを寄せる魔法使いの少女を小原田こはらだ茉美さんが演じて、その他をそれ以外の生徒会メンバーで演じる。


 僕は練習中は小道具の整理や必要な大道具の作成、本番は照明を担当する。並木さんは練習中は姉に代わりセリフのチェックや姉の書いた指示書に沿って演技指導を行った。こういう状況では物おじせずにしっかり発言できていて感心してしまった。

本番では音響を担当する。


 僕と並木さんの関係は花火大会前と変わらずいつも通りで、心配だった修一郎は花火大会の当日は落ち込んでいたものの、休み明けには姉の役に立って見る目を変えてやると燃えていて、劇の練習も大道具作成も以前よりも頑張って取り組んでいる。


 その様子を見て姉も安心していつも通り周りに的確に指示を出し、すべてが順調に進み、夏休みが終わる頃には劇を通しで完成させることができるようになっていて、あとは細かい所を修正していくだけとなっていた。


 九月になり学校が始まると練習や準備の時間が少なくなってしまう。しかし劇はほとんど完成しているので余裕はあった。


 

 今日は久しぶりに図書倉庫に集まり文芸部として文化祭の準備をしている。文化祭では今まで読んだ本の紹介文を書くことになった。それを図書室のテーブルの上に本と一緒に展示して訪れた人に読んでもらう。その場に部員がいる必要がないから当日は劇で色々忙しい僕らには好都合の企画だ。二年前の生徒会長が考えたらしい。


 いざ紹介文を書こうと思ったが、僕は並木さんが読み終わった本ばかり読んでいて、紹介文は圧倒的に並木さんの方が上手で、並木さんは全部自分が書くと言ってくれたので僕は何もやることがなくなってしまった。三穂田さんも文章を書くのは得意じゃないと言い生徒会室の方に逃げて行ってしまった。


 本来なら二人きりで嬉しいはずなのだが、並木さんは本の紹介文を書きながらずっとその本の内容について饒舌に語っているので僕にはその話に相槌を打つという仕事が生まれた。


 並木さんはそんなに読むペースが速くないから少ないねと言っていたが、四月から七月までで五十冊くらい読んだらしく、劇の練習や並木さんが塾で部活に来られない日を除いて三週間程度の間、僕は並木さんの本の話を聞き続けた。いつしかそれが楽しみにもなってきて並木さんも恥ずかしがることもなくなっていった。



 文化祭当日を一週間前に控えた土曜日の午後、休日を使ってまで準備をする必要があるものはなくなり、僕も姉も家でゆっくりしているときだった。姉のスマホにバスケ部の小原田さんから連絡があった。バスケ部の練習試合の最中に幸一が足を骨折する怪我を負ったという知らせだった。入院することになったそうだ。 


 さすがの姉もこれには大慌てで、僕と姉は小原田さんから教えてもらった病院に大急ぎで向かった。ロビーで待っていた小原田さんと合流し、幸一のいる病室へ向かう。


 左足をギプスで固定され、ベッドの背もたれに寄りかかり、今にも泣きだしそうな顔をしている幸一だけが大部屋の病室の中にポツンと一人だけいた。幸一は姉の顔を見るなり涙を流し始めてしまう。


「ごめん、萌祢さん。俺……」


「泣かないの。彼女も見てるんだから」


 姉が優しく声をかけても幸一の涙は止まらない。二ヶ月以上本気で取り組んできたからこそ悔しくてたまらない。僕も幸一がどれだけ頑張ってきたか間近で見てきたからその悔しさが分かる。


「どれくらい入院するの?」


 姉は幸一ではなく小原田さんに尋ねた。


「状態を見ながらって聞きました。でも少なくとも二週間くらいは、と。今ご両親が着替えとか家に取りに戻っているところです」


「そっか」


 姉はしばらく目を閉じた。幸一への励ましの言葉とか、これからのことを考えているのだろう。目を開けるとまるで弟の僕にやるような仕草で幸一の頭をなでてやっている。


「あなたは安静にして怪我を治しなさい。劇は予定通り行うし、絶対に成功させる。あなたの努力も、皆の努力も無駄にはしない。さ、行きましょ」


 言い終わると姉は僕と小原田さんに病室を出るように促した。


「姉ちゃん、どうするの?」


 病院の出口に向かう姉について行きながら僕は尋ねた。主演の幸一が出演できない以上どうしようもない。いったい姉はどうするつもりなのだろう。


「言ったでしょ。劇はやるし、成功させる」


 ロビーまで着くと姉は足を止め、小原田さんに病室に戻るように言った。


「ご両親が戻るまであなたがいてあげて」


「先輩はどうするんですか?」


「集まれる人だけでも今から学校に集まって練習する」


「練習するって、勇者役の幸一がいないのに」


「代役を立てるに決まってるでしょ」


「そんなの誰に頼むのさ」


 嫌な予感はしていた。幸一が足を骨折したと聞いたときからこうなる気はしていた。


「あと一週間で準備するには新しい人じゃ無理。劇の内容を知り尽くしていて、他の人の動きも分かる人。そんなのあんたしかいないでしょ、望。今からあんたが勇者よ」




 学校に着くとすでに三穂田さんを始め多くの人が集まっていた。皆そろって浮かない表情をしている。それもそのはずで、主演が怪我をした挙句代役が人見知りでほとんどしゃべらない冴えない奴とくれば当たり前だろう。


「皆、休みの日に集まってくれてありがとう。状況は連絡した通りで時間はない。でも失敗するわけにはいかない。幸一が責任を感じてしまわないように誰にも文句を言わせない劇を作る。そのために頼りないうちの弟を、皆の力で立派な勇者にしてあげてください」


 姉が頭を下げると、皆の表情が少し明るくなった。僕も覚悟は決まった。


 まずは演技をせずにセリフの読み合わせを行った。セリフはほとんど覚えていた。照明の種類やタイミングをつかむため台本は何度も読んでいたし、劇自体も何度も見ている。


 姉や並木さんと一緒に何度かセリフのチェックをやったこともある。問題は発声の仕方や動き方の方で、実際の演技の練習に入ると、とても見よう見まねで簡単にできるものではなかった。


 土曜日の学校は午後五時に閉まる。それまで僕のためだけの練習が行われる。


 帰るときも同じ方向の人たちとセリフを読み合わせしながら帰った。人見知りとか、並木さんに告白した二年生だとかそんなのは関係なく僕を含めた全員が、僕を勇者にするために動いていた。


 家に帰ると姉と一緒に練習をした。厳しかったけれど泣き言は言わない。ただただ必死に勇者になるため努力をした。


 幸一から【頼む】という一言だけのメッセージが届き、【任せて】とこちらも一言で返した。並木さんや三穂田さんからも激励のメッセージが届いた。姉との練習を終えても僕は深夜まで一人で練習を続けた。姉に見つかっていい加減寝ろとベッドに押し込まれたが眠りに就くまでずっと頭の中でセリフを読んでいた。


 日曜日も予定にはなかったが練習となり、ほとんどの人が集まった。


「照明は出番のない人でローテーションする。もう作ってきたから新しく動き覚えて。セリフは問題ないから一回通しでやってみましょう。どうしてもきつい所は一回止めるから」


 照明のローテーションなんていつ作ったのだろうかと思ったが、深夜まで練習していた僕に気づいたということは姉も深夜まで起きていたのだ。そのときに作ったのだろう。


 全員が劇を成功させようと頑張っている。今までほとんど会話をしていなかった人たちも僕を褒めたり、アドバイスをくれたり、そのおかげで僕もどんどんうまくなっていっている気がした。劇への集中力も増していき、それと同時に問題が起きた。


 良い演技をしようと集中すると対面した人の未来が見えかけてしまう。必死に現実に戻り劇集中するがそれを何度も繰り返すことになってしまう。敵や仲間を見ない勇者なんてありえない。僕はもう一つの敵と戦いながら劇の練習を続けた。


 幸いなことに、必死に現実に戻ろうとする様が戦いの場面では鬼気迫る感じがして良いと好評だった。しかしそれ以外の場面では、僕は劇と未来を見ないようにすることの両方に集中しなければならず、とてつもない疲労が僕を襲った。


 この日も午後五時までみっちりと練習し、昨日と同じように帰り、昨日と同じように家でも練習した。深夜に姉の部屋を見てみるとまだ明かりがついていた。

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