第38話 乗り越えた先で
七月の真由の命日の前日に僕に変化があった。人の顔を見ても勝手に未来が見えることがなくなった。地元の駅で大勢の行きかう人々の中に立っても何も起きない。ただ僕はそこに立っているだけ。
何も考えずに人の顔を見ることができるのは中学一年生の五月以来のことだ。今まで勝手に頭の中に未来が見えていたのが嘘のように晴れやかな気持ちで人の顔を見ることができる。
「おめでとう。君は神の試練を乗り越えた。自分勝手にその力を使えるし、過去も見えるし、過去に行くこともできる。私の過去や未来だって見えちゃうよ。試しに見てみるかい? あ、未来はダメ。どうせまだ死ぬ未来しか見えない。過去の、二時間十二分前なんて見てみるといい」
やけに細かい数字が気になったが言われた通りにやってみると確かに大槻さんのおそらく過去だと思われる光景が見える。多分これは大槻さんの家の自室で、パジャマを着た寝起きの大槻さんがゆっくりとパジャマのボタンに手をかける。
「わあ!」
「どうしたの? 急に大きな声を出して。良いものでも見れた?」
「見てないよ」
「ほんとかなー?」
大槻さんはいたずらっぽく笑って僕をからかう。このまま続けて見ていたらどうなっていたか自分でも分かるくせに何を考えているのか。こういったからかいは今回だけではなくたびたびあって、いったい僕のことをなんだと思っているのだろうか。
「勘弁してよ。それで、過去が見えるのは分かったけど過去に行けるってのはどういうこと?」
「そのままの意味だよ。君は未来を見ているときどんな感覚だった?」
「どんなって、その未来に自分がいるなら自分のことも見えるし、未来を見た人のことも見える。誰の視点なのか分からないけどある程度は自由に見渡せる」
「そう。その視点は未来を見ている今の君の視点だったんだ。見ているというか実際に意識だけが未来に行っているんだよ。君が見ていた未来はこの力によって創造されていて、君は不安定な状態でその未来に行くことができた。そこで未来の自分と一つになれば安定して今の自分の意識のまま未来の自分になることができる。過去に行くのも同じ原理さ。私は死ぬ直前に鏡で自分の顔を見て自分の過去を見ることでこの時代に来たんだ」
「じゃあさっきの大槻さんの部屋にもしも過去の僕がいたならそれと合体すれば過去に戻れたってこと?」
「そうなるね。しかし少なくとも私の部屋だと分かるくらいまでは見た、と」
「あ、そ、それは、ごめん。脱ぎそうな所で戻ってきたから。じゃあ僕の七年前の過去を見れば」
「もったいないことしたね。ま、それはちょっときついかな。私たちが未来や過去を見るとき未来や過去が創造される。未来は今の状態から予測することができるから意外と作るは簡単なんだよ。でも過去は一度なくなっちゃったものを作り直さないといけないから結構手間がかかる。相当鍛えないと七年も前には行けないよ。今は多分半年くらいが限界じゃないかな。私も最初はそうだった。過去に戻るともう一回その力を使うためには戻った分だけインターバルが必要になるから半年戻るを繰り返すこともできないしね。これからが本当の地獄だね」
「地獄って?」
「これまでと同じことを今度は自分の意志でやらなくちゃいけない。自ら色々な人の過去を見まくって、心身ともにダメージを受けまくるんだ。別に急がずゆっくりやってもいいけど、過去が見える時間を一年延ばすために一年かけていたらいつまでたっても過去には行けない。私は三ヶ月かけて半年伸ばすくらいで諦めた。というか自分が自分でなくなりそうになった。自ら死にに行っているようなものだからね、あれは。君は死ぬ運命から逃れられないとしたら、突然死んじゃうのと、自分から恐怖や苦痛を受けに行って死ぬのどっちがいい?」
「突然死んじゃう方がいいかな」
普段おちゃらけていることが多い分、真面目なトーンの大槻さんの言葉は重い。僕と同じ試練を乗り越えた大槻さんでさえ三ヶ月でやめてしまった地獄。それを乗り越えた先に僕の望むものがある。期待と不安が入り混じって、僕は苦笑いを返すことしかできなかった。
翌日の真由の命日に大槻さんと一緒にお墓参りに行くと先客に出会った。
「三穂田さん、お久しぶりです」
「おう」
死を悼むのに相応しい黒を基調とした落ち着いた服装の三穂田さんと白いワンピースに麦わら帽子という大槻さん。今日出会ったときにも思ったが白黒の二人を比べるとやはり大槻さんの服装はお墓参りには似つかわしくない。三穂田さんも驚きを隠せないようだ。
「な、なかなかすごい格好だな」
「この日は真由ちゃんとの思い出の品を持ってくるって決めてて、小学一年生のときにおそろいで買ってもらったんです。あの頃とはサイズ違うのでこれは自分で買いましたけど。可愛いですか?」
そう言われると三穂田さんも頬を緩まさずにはいられない。
「ああ、可愛いよ」
ご満悦な大槻さんはにこにこしながら僕の方を見て、僕の返答も待っている。裾をちょこっとだけ持ち上げて、誘惑しているつもりらしい。
「可愛い服だね」
「どうせ真由ちゃんが着たらもっと可愛いとか考えたんでしょ?」
「そんなことないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「じゃあ許す」
最近は機嫌がコロコロ変わる大槻さんと過ごすのも楽しいと感じられてきた。真由と過ごす穏やかな時間が好きだったけれど、大槻さんと過ごす忙しくて突拍子もないことが起きる時間も嫌いじゃない。目以外の顔も性格も全然違うのにたまに真由の面影を感じることができるのも僕の心に温かいものを運んでくれる。
お墓参りを終え、今後のことを相談するために近くの公園に移動し、僕を真ん中に三人でベンチに腰掛けた。
「美優とはうまくいかなかったんだってな」
「いきなりでは信用してもらえなくて。川田は僕らで止めます」
「ほんとに大丈夫か?」
僕らを心配した三穂田さんだが僕の真剣な表情を見て納得してくれたようだ。
「会場の外で川田とわざとトラブルになって足止めして、騒ぎが続けばいずれ警察が来るから、そこで川田が凶器を持っているといえば調べてくれるでしょう。そのために三穂田さんにお願いがあって……」
これから人を殺して大勢の人をパニックにさせようとしている奴と対峙しなければならない。そう考えると暴力沙汰も覚悟の上だが、身を守る手段を持っておかなければ危険だ。僕がそこで川田に殺されでもしたら今までの努力が無意味になる。
「あたしが休みのときは色々教えてやるよ。お前の都合のいい日教えろよな」
「僕は世間的にはニートなので、何曜日の何時でも大丈夫です」
「ああ、そうだったな。じゃああたしが都合良いときに連絡する」
仕事もせず、学校にも行かない僕には無限の時間がある。僕は月に二、三回三穂田さんに護身術や逮捕術を教わり、他の日は多くの人の過去を見続けて力を強くしようと人の多い所に出かけていた。
毎日のように心身をすり減らしくたくたになっている僕を見て大槻さんは「その辺の社会人より苦労してるね。ニートなのに」なんて冷やかしてきたが「君もニートみたいなものでしょ」と返したら、ほぼ毎日頑張って手作りしてくれていた夕食がカップラーメン一つになってしまった。
そんなことがありつつも毎日のように僕のサポートをしてくれていた大槻さんだったがたまに東京や千葉に行って川田や赤沼さんと接触し、もっと簡単に事件を防ぐ方法を探っているみたいだった。
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