第39話 彼女に

 何ヶ月も同じ生活を繰り返し、年が明けて一月となった。今日の訓練を終了して僕の家のこたつに入りながら大槻さんが作ってくれた寄せ鍋を二人でつついているときに姉がやってきた。


「望、良い話があるの、聞きなさい……て、未来ちゃんもいたのね」


「こんばんは。お姉さん。一緒にお鍋どうですか?」


「あら、おいしそう。頂くわ」


 姉と大槻さんはもう何度も顔を合わせていてすっかり仲良くなっていた。大槻さんはお姉さんなんて呼んで妹気取りをしているし、姉もまんざらではなさそうな感じがする。

 

姉の良い話というのは、クローバーのドームライブのチケット抽選に見事当選したということだった。ライブ当日は三穂田さんも一緒に来てくれることになっている。


 チケットの当落前から姉と同じホテルの予約を取っていて、チケットを取れなかったら二人で東京観光、取れたら僕と大槻さんとの三人で観光をする予定だと姉には伝えている。三穂田さんにはもちろん僕らが東京に行く本当の目的を話していて、もしも川田をドームの外で止めることに失敗したときに姉をドームに行かせないように止める役目をお願いしている。


 僕が占い師に扮してドームに向かう途中の川田と接触し、余計なことを言ってトラブルを起こさせ、大槻さんに警察を呼んでもらい事情聴取されているときに川田の鞄からナイフを見つけてもらうという作戦だが、激昂させすぎて殴りかかってきたりナイフを取り出されたりされたときのために三穂田さんにはみっちり鍛えてもらっている。


 大槻さんはこっそり撮った川田の写真を見て未来を覗き、不測の事態に陥ったときのため僕のサポートをする。一年近く大槻さんと過ごして分かったが、大槻さんは未来や過去の見方が僕よりも何倍もうまい。必要な情報をササっと入手できるため、完全にサポートに回ってもらった方が心強い。


 最近も川田関連の情報集めはずっと大槻さんにやってもらっている。大槻さん自身もこっちは自分にまかせて僕には自分の特訓に集中するように言ってくれている。


そんな大槻さんは姉と仲睦まじくおしゃべりしている。


「ところで、あなたたちよく一緒にいるし、家で一緒にご飯食べるくらいなんだから付き合ってるの?」


「えーそう見えます? 困っちゃうなー。どうでしょうね。ね、望君?」


 体をくねらせながら全然困ってなさそうににやにやしながら大槻さんは僕を見る。僕らの関係を表す言葉は一つしかない。そもそも大槻さんが言い出したことだ。


「いや付き合ってないよ。僕らは相棒というか、そんな感じ」


「むー」


 僕が一切の躊躇もなく否定したからかふくれっ面になる大槻さんだが自分が言った関係なので言い返せないようだ。


「それより姉ちゃんはどうなの? 修一郎とは」


 姉は前々から修一郎に言い寄られて困っていると言っていた。だがそれを言うときの表情は別に困っている気配は無く、そもそも休日には二人でどこかに出かけることもある。


「あ、修一郎って私と同じ大学の笹川修一郎君だよね。学部違うけど、一個上にめちゃくちゃ頭良くて共通テストで九割くらい取ってたのに国立でも下の方のレベルのうちに入った人がいるってちょっと話題になってたよ」


「そうなの。あいつもっといいとこ行けたはずなのに、地元にいればすぐに私と会えるからとか、私と同じ市役所に就職するなら地元の国立が有利とか言って、まったくもったいない」


 ぶつくさと修一郎の文句を言っているがお酒も入っていないのに顔は赤くなっていて、ただの照れ隠しのようだ。中学一年生の頃からずっと追い続けてきた僕の姉を、修一郎はついに捕まえていた。惚気か文句か分からないことをぶつぶつ言っていた姉は急にトーンを落として神妙な面持ちで静かに話し出した。


「だからクローバーのライブはこれで最後」


「どうして? 別に修一郎は嫌がってないんでしょ?」


「そうだけど私が嫌なの。私にとってクローバーは癒し。パフォーマンスを見たら元気が出てどんなにつらくても頑張れた。でもそれは彼氏ができるまでの代替品にしようって決めてたの。ちゃんとその人のこと大切にしたいから。今までクローバーから貰った元気や癒しは彼氏から貰えばいいし、費やしてきたお金や時間は二人のために使う。そう決めてたから。最後の思い出にドームに行けることになってほんとに嬉しい」


 食事を終えた姉は一足先に帰って行った。後片付けをする僕らは同じことを考えている。


「赤沼ちゃんがお姉さんみたいな人だったら良かったのにね」


「仕方ないよ。考え方は人それぞれだし」


 僕らは人の未来や過去が見える。でもそれは万能の力ではなく、人の気持ちまでは変えられない。無力さを再確認しながら片づけを終え、大槻さんは自宅に戻る。夜も遅いので自宅まで送るため、二人で寒空の下を歩いた。


「ねえ望君。さっきお姉さんに付き合ってるんじゃないかって言われたの覚えてる?」


「うん。まあ他の人からしたらそう見えてもしょうがないよね」


 大槻さんは突然立ち止まり僕に背を向けた。どんな表情をしているか僕からは見えない。


「お願いがあるんだけどいいかな?」


「まあ、僕にできることなら」


「君が過去に帰るまで、私のことを彼女ってことにしてくれないかな」


 いつものおちゃらけているときとも、真面目なときとも違う。少しだけ声が上ずって緊張しているかのような大槻さんは初めて見た気がする。


「理由を聞いてもいいかな」


「理由? まあその、私三月生まれで、今度の三月に二十歳になるんだ。二十歳までに彼氏を作るっていうささやかな目標があったし、事件防いだら四月から大学に復帰するから、一応彼氏いましたっていう事実もあった方が皆の話についていけそうだし。ああ、もちろん君が真由ちゃんのことを今でも大好きなことは分かってるよ。君と私の付き合い方は今のままでいいから、関係の名称だけ相棒から相棒兼恋人(仮)くらいに思ってもらえればいいんだけど。ダメ?」


「まあ、それで君が喜ぶなら、いいよ」


 今までずっと世話をしてもらっていたのだからそれくらいのことはお安い御用だ。僕が承諾すると大槻さんは嬉しそうに走って行ってしまった。




 二月の末日、クローバーのドームライブ前日。僕はこの日までに七年分の過去を見ることができるようになっていた。事件を防いだ三月から真由が亡くなった年の七月に戻るには七年と八ヶ月戻る必要があるため、あと少しという所まで来ている。


ただこの日だけは明日のために訓練はせずに体力を温存し、前日入りしているホテルの室内で大槻さんと最後の作戦会議をしていた。時刻は夜の九時を回っていた。


「電話は常にオンにしておいてワイヤレスイヤホンで会話しよう。ルートは教えた通り、何回か川田に会ってちょっかいかけておいたからこの紙に書いたとおりの言葉を言えばこ必ず川田は怒ってトラブルになるはず。口論になったらできるだけ時間を稼いで」


「うん。殴られるくらいなら儲けもの。ナイフを出されたら必死で逃げるよ。トラブルになった時点で通報よろしくね」


「大丈夫。ちゃんと捕まえられる未来が見えている。君は未来を見ちゃだめだよ。未来を知った人間が普段しない行動をとったら未来が変わってしまう可能性があるんだから。君は君のまま行動すればいい」


「うん」


「もう寝よっか。ライブスタッフの川田は明日の朝七時にはドームに到着するように動く。私たちは五時起きだね。ね、ツインじゃなくてダブルにすればよかったかな?」


「そんな冗談言えるなんて、緊張してないの?」


 僕らは同じ部屋、別々のベッドに入った。恋人なんだから同じ部屋でいいでしょという大槻さんに押し切られた形だが、そもそも五万人収容のライブが翌日にあるため会場周辺のホテルは予約がほとんど埋まっていて、近い場所のシングルルームが二つ残っているホテルがまず見つからなかったこともある。姉と三穂田さんも別のホテルのツインルームに宿泊している。


「私は未来が見えるから。成功するのは知ってるからね」


「ずるいなあ。僕には余計なこと考えないようにって本当に必要なことしか教えてくれないんだもの……あ、寝たふりなんかして。もういいや、僕も寝るよ、おやすみ」


「うん。おやすみ」 


 大槻さんはすぐに寝息を立て始めたが、僕はなかなか寝付けない。大槻さんは大丈夫と言っていたけれど明日の僕の行動次第でたくさんの人の運命が決まると考えると重圧に押しつぶされそうになる。部屋の中は適切な室温に保たれているはずなのに嫌な汗が止まらない。


 せめて自分も未来が見えているなら安心ができると思ったが、川田を捕まえるまで事件に関連した未来は見ないと大槻さんと約束していた。もし失敗したらという不安と成功したらあとは過去に帰るだけだという期待が入り混じって頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。




「おはよう、望君」


 目覚まし時計の音と大槻さんの声で目が覚めた。僕もいつの間にか寝ることができていたようだ。昨夜は寝付けないからとちょくちょく時計を見ていたが十二時くらいまでは確認した記憶がある。五時間ほどは眠ることができたみたいだ。


「私は早く起きちゃってもう準備終わったから、ほら着替えとか済ませちゃって」


 顔を洗って、着替えをして、ホテルのレストランの朝食はまだなので昨日のうちの用意してあった朝食を軽く取り、僕らはホテルを出た。

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