第43話 別れ
クローバーのライブは大盛り上がりのまま無事に終了し、姉も三穂田さんもその日のうちに戻ってきていた。事情聴取のため赤沼さんはライブに行くことができなかったと聞いて同情したが、大槻さんがモノマネしたときのことを思い出すと自業自得とも思えてしまった。
僕は再び訓練の毎日に戻った。大槻さんも三月の間は今まで通りだったが、四月からは大学に復学したため毎日付きっきりというわけにはいかなくなった。それでも土日はほぼずっと一緒にいるし、平日は週に二,三回は夕飯を作りに来てくれて、大学の友達からはニートの家の通い妻なんて言われているらしい。
そして七月の真由の命日の前日、僕は八年前の真由の事故の日まで戻ることができるまでの力を手にしていた。大槻さんが三ヶ月で半年伸ばしたのに対し、僕は一年で七年半伸ばしたことになる。これも仕事もせず学校にも行かず、無限に時間があるニート生活とそれを支えてくれた大槻さんのおかげだ。
僕はこの日、過去に戻ることを決意していた。大学の授業を終えた大槻さんが家に来て、最後の挨拶をしている。二人とも胡坐をかいて向き合って座った。
「最後に一つ聞いていい?」
「何?」
「こんなに僕の世話をしてくれた理由を教えてくれない? 少しはいい男になったと思うけど」
そんな約束もしてたね、と大槻さんは恥ずかしそうに笑い、足を直して体育座りの格好になり、膝で顔を隠すようにうつむいた。
「君のことが好きだったから。小学生の頃から憧れていた」
「小学生って、まだ僕ら会ってないでしょ」
「君が気づいていなかっただけで、会っていたんだよ私たち。君が私に昔話をしてくれたとき、小学生の頃飲酒運転の車から小学生の集団を助けたことがあると言っていたね? あの中に私もいたんだよ」
確かにあった。五、六人の集団の中の一人の未来を見たら車に轢かれる未来が見えたから違う場所に誘導して助けたことがある。人見知りの僕が勇気を振り絞って人を救っていた。
「こっちに面白いものがあるよなんて言って、誰も反応しないから君は必死でさ。仕方がないから行ってやろうってなって皆が君のそばに行った瞬間、私たちがいた場所に車が乗り上げていた。君はそれを確認するとすぐにどっか行っちゃって、皆なんだったんだろうって不思議がっていたけど私は思ったよ。私と同じ力を持つ人だって。その力で私たちを助けてくれたんだって。私はそのときは力を使って人を助けたことがなかったから、助けてくれた君のことをかっこいいって思って、憧れた。母親に頼んで私やそのとき一緒にいた友達の過去を見てもらって、そこから君を探してもらった。ほどなくして君にたどり着いたけど会いに行く勇気はなくていつか会えたらいいなって思ってた」
それが私の初恋だったと言いながら大槻さんはまた照れて笑った。
「そのときだろうね、母親が君の未来を見て【予言】を書き始めたのは。どうしても未来を変えてやりたかったんだろうね。まあ、当時の私はその本がどういう意味を持っているのかも分からずに読ませてもらって、主人公が過去に戻っちゃう所で新しいヒロインが可哀そうって号泣してたけど。そしたら母親は主人公が過去に戻らない終わり方も書いてくれて」
「それで終わり方が二つあったんだ。僕も初めて読んだとき変わった本だなって思ったけど」
「小学校六年生のとき、君が中学一年生のときだね。私は小さい頃から真由ちゃんとはお手紙とかメールとかで連絡は取りあっていたんだけど、ある日、男の子が文芸部の見学に来たってメッセージが来た。驚いたよ、その男の子の名前が君だったんだから。いつしか真由ちゃんからのメッセージは君のことがたくさん書かれるようになった。初めて男の子と仲良くなれたとか、君が優しいとか書かれていて、真由ちゃんって頭良くて文章もうまいでしょ? もともと君に憧れていた私は真由ちゃんからの君のことが書かれたメッセージだけで君のことをもっと好きになっていった」
確かに真由の文章はうまい。文化祭のときの本の紹介文も生徒はあまり見に来なかったが、先生たちから絶賛されていたことを覚えている。僕のことをどんな風に紹介していたのか気になる。
そこまで言い終わると大槻さんは持ってきていた鞄から二冊のノートを取り出した。
「真由ちゃんが亡くなった後に見つかったのを、無理言って譲り受けたんだ。真由ちゃんの日記、中学生になってから毎日欠かさず書いていた。一冊一年分しっかり書いてある。君と出会って、一緒に過ごして、意識し始めて、君のことが好きだと気づいて、思いを伝え合って、楽しい日々が続いていて、私の大好きな真由ちゃんが、私が憧れた君と仲良くしていて、でも真由ちゃんは死んじゃって、どうすればいいのか分からなくなった。私にできることを探した結果、そのときはまだ過去には行けなかったけど行けるようになること自体は母親から聞いていたから、真由ちゃんを救いに行こうと思って君のように努力した。兄弟はいないし、母親はもういなかったし、父親も仕事で忙しかったからずっと一人やっていた。でも過去に行けるようになったのは真由ちゃんが亡くなって一年後くらいのことで、そのときは半年くらいしか戻れなかったからまた訓練を積んで、三ヶ月で半年伸ばしたけど、その頃には私自身が壊れかけてしまっていて、諦めてしまったんだ」
僕が乗り越えられたのは大槻さんが支えてくれたからだ。それを大槻さんはたった一人で戦っていた。僕が味わった地獄を大槻さんはたった一人で。
「諦めてしまった私は真由ちゃんへの思いとか、君への思いとかを全部捨て去って、普通の人になろうとした。普通に高校に通って、大学に通って普通の人生を送るつもりだった。でもね、ある日大学の近くで占いのバイトをしているとき、君の友達の修一郎君に出会った。修一郎君は私を並木さんって呼んだんだ。私は君とこの時代で初めて会ったときと同じように帽子を深く被ってマスクで鼻と口を隠していて目元しか見えていなかったから、真由ちゃんのことを知ってる人が見間違えても仕方がないよね。修一郎君と少し話をして、真由ちゃんのことや君のことを思い出した」
「それで、川田の事件で姉ちゃんが死んで、僕らも死ぬ未来を見た」
「そう。でもそれを知ったのは事件の直前で、どうしようもなかった。ドームには一応行ったけど、中に入ることもできずに外で立ち尽くす無力な私がいて、その後は君が知っての通り」
ちょっと休憩と言って大槻さんは胡坐をかく僕の足の間に座り、僕の胸に背を預けた。
「どうしたの? 急に」
「一応私はまだ君の彼女だし、こういう恋人っぽいことしてもいいでしょ」
僕は何も言わなかった。これから今を全部捨てるつもりなのに気の利いたことを言うのは逆に不誠実だと思った。
「この時代に来たとき、川田の事件を一緒に止めること以外は何も決まってなくて、ずっと憧れていた君とずっと一緒にいようかなとも考えていたし、君に過去に戻る方法を教えて真由ちゃんを助けた未来を生きてもらおうとも考えていた。どうしたらいいか迷った挙句君が真由ちゃんとデートした場所に私も君と行くことにした。そうしたら君の気持ちが分かるかなって思って。案の定君は私とデートしながら真由ちゃんのことばっかり考えていて、私と真由ちゃんの似ている所とか似ていない所とか、そういう所ばかり見ていた」
最後の方は涙声になっていた。僕の目の前で大槻さんの肩が震えている。
「ごめん。君と一緒にいたのにすごく失礼なことをした」
「いいの。分かってたから。君がずっと真由ちゃんのことを思っていることは分かっていたから、それが確認できたから、過去に戻ることができることを教えた。本当は事件阻止までは具体的な方法を教える気はなかったんだけど、君としばらく一緒に行動して思ったんだ。昔からの憧れだけじゃなくて、真由ちゃんのメッセージや日記だけじゃなくて、実際に時間を共にした君のことが好きだって。だから川田のことは私に任せて、過去に戻るための訓練をするように君に言ったんだ。憔悴した君を甲斐甲斐しくお世話してあげれば私のことも好きになってくれるかなって思ったから。そんな下心で君の世話をしていた」
「理由はともあれ、ありがたかったよ。君がいなかったら諦めていたと思う」
「私のこと、好きになった?」
「それは……うん」
嘘ではない。確かに僕は大槻さんのこともだんだんと好きになっていた。
「真由ちゃんとどっちの方が好き?」
それには答えられない。答えてしまえば大槻さんを傷つけることになる。
「ちゃんと答えて。私は君の恩人なはず。これくらいのお礼は貰う権利あると思うな」
それでも答えられない。過去に戻るという選択をする以上、何を言っても傷つける。
「じゃあ質問を変える。君が世界で一番好きな子は真由ちゃん?」
「……うん」
「じゃあ、二番は私?」
「……」
「答えないってことは同率一位っていう可能性もあるわけか。嬉しい」
こんな時どうすればいいのか分からない。アニメや漫画で似たようなシチュエーションになった時は後ろから抱きしめていたはずだが、もうすぐいなくなってしまう僕が大槻さんにそんなことをするのは僕の中で許されなかった。
「普通はさ、こういうとき君が私を抱きしめて、私は君の腕の中でぐるっと回って君の方を向いて、いちゃいちゃラブラブするもんじゃないの?」
「ごめん」
「ずっと一緒にいて、この部屋で何日一緒に過ごしたか、同じ部屋で寝たこともあるのに、君は一切私に手を出さなかった。そんなに私に魅力がないのか、それとも君の性欲が枯れ果てていたのか、どっちだろうね」
「どっちでもないよ。大槻さんは魅力的だと思うし、僕にも性欲はある。ただ、真由のことを考えるとそんなことはできなかっただけ」
大槻さんは体を百八十度回して僕の胸に顔をうずめた。胸の辺りが大槻さんの涙で濡れていくのが分かった。
「ねえ、私の名前を呼んで」
「大槻さん?」
「下の名前」
「……未来」
呼んだ瞬間、未来は顔を上げた。目が合った。大粒の涙がたまった少し垂れ気味の大きな目はいつもより輝いて見えて、その目に見とれているうちに近づいてきて、僕の唇に未来の唇が触れていた。
時間が止まった気がした。それが数秒だったのか、数時間だったのか分からない。でも確かにその間だけは未来に時間を奪われていた。
唇が離れると未来は立ち上がった。涙を拭いて、いつものおちゃらけた雰囲気を頑張って作っている。僕の部屋に置いてある【予言】の本を手に取った。
「この本実は君の中学校に持って行く前に私が家で読んでたんだ。そしてもう一つのエンディングの最後のページの所で紙で指を切っちゃった。ほら見て、よーく目を凝らしてみると下の方微妙に色が違うでしょ。これ私の血の跡。過去に戻ったら探してみてね」
「うん。分かった」
僕も立ち上がって未来と向き合った。最後に楽しくお話しして別れたいという気持ちが分かったので、未来が満足するまで付き合うことにした。
「それから、真由ちゃんは虫が苦手だからちゃんと君が守るように。でも何故かトンボだけは平気だから」
「うん。それは知ってたけどもっと気を付けるよ」
「それから、君は一生真由ちゃんを大切にすること。真由ちゃんのいとこにめちゃくちゃ可愛い上に君に好意を持っている女の子がいるけど、浮気なんて絶対ダメだからね」
「うん。ずっと真由を大切にする」
「それから、真由ちゃんはかなりガード固いから、えっちなことは大学生くらいまでさせてくれないと思う。我慢するんだよ」
「うん。我慢する」
「それから、結婚式には私も呼ぶこと」
「真由のいとこなんだから、そりゃ呼ぶでしょ」
「真由ちゃんのいとこ枠じゃなくて君の友人枠で呼んで」
「分かった。友達が少ないから助かるよ」
「それから、真由ちゃんを救って落ち着いたら、私に会いに来て。友達になって」
「うん」
「すぐに来てくれなかったら友達になってあげないし、結婚式にも行ってあげない。でも少ししたら私をちゃんとフッてね。私泣いちゃうかもだけど、新しい恋を見つけられないから」
「うん。約束する」
未来は嬉しそうに笑って、ピースをした。嬉しいときによくやっている仕草だ。僕もピースをして返した。
未来は鞄から小さな手鏡を取り出し、僕に手渡した。女の子のキャラクターが描かれている、結構古そうな手鏡だった。
「小学生の頃にやってた女の子が変身して戦うアニメの主人公の変身アイテム。好きなアニメだったからずっと持ってた。それを持っていたから片平の家で炎に包まれそうになったとき、この時代に来れた。縁起の良いものだからこれを使いなよ。鏡に自分を映して、あとはいつもの要領で過去を見れば自分の過去が見える。そこで自分を見つけて入り込むんだ」
「ありがとう。使わせてもらうよ。ところで気になることがあるんだけど」
「何?」
「僕が過去に行ったら今ここにいる僕はどうなるの?」
「さあ? 死ぬ寸前の私がどうなったかは知らないから。精神がない抜け殻の君がここに残るか、それとも君がもともといなかったことになって世界が再構築されるか、それとも過去に戻らない選択をした君が残るのか、私的には最後だったら幸せだけどどうなるかは分からない。どちらにせよ真由ちゃんが死んだ世界の私と君が出会うことは二度とない」
「そっか」
「あ、私も一つ言い忘れたことがあったんだ」
「何?」
「別れよう私たち。もう恋人関係はおしまい」
「ああ、そういえばそうだったね」
「……さよなら。過去の私とよろしくね」
「さよなら。真由を救ったら、必ず未来に会いに行く」
手鏡を覗いて自分の顔を見る。僕も涙を流していた。過去に戻れば未来との日々はなかったことになり、真由を救えば起こりえない未来となる。それでも僕は真由を救うことを選ぶ。
今成功している人たちも真由を救うことで何かが変わって違う未来になる可能性はある。でも少なくとも今の僕に協力してくれた人たちのことは僕がこの力を使って守ってみせる。
姉も、三穂田さんも、健太も、幸一も、拓哉も、修一郎も、守山さんも、小原田さんも、そして未来も、僕の力で必ず守る。その覚悟を持って、僕は自分の八年前に飛んだ。
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