第8話 文芸部

 校舎の四階、廊下の突き当りにある図書室へ向かう途中、ふとグラウンドを見る。


 六月になりだんだんと暑さが増す中、野球部もサッカー部も陸上部も皆一生懸命に走り回っている。最近まで僕も向こう側にいたのだけれど、ガラス窓一枚隔てた向こうの空間はこちらの世界とは違う世界みたいで、僕が向こう側に行くことは二度とないのだろうと思った。


 窓を開ければ同じ空気を感じることができるのに、近づくことはできない。こうなってしまったのは他でもなく僕自身のせいで、曾祖母の忠告を無視して、ヒーローになったと勘違いして、調子に乗って力を使いすぎたせいだ。僕は自分の浅はかさを初めて後悔した。


 窓を開けて、そこからしばらくグラウンドを眺めていた。顔がはっきり見えなければ未来も見えてこない。気を抜いてサッカー部の健太の姿を観察していると後ろから声をかけられた。


「あなた、ずっとそうしているけど大丈夫? 何かあった? 」


 僕は気を入れ直して振り返る。大した手間ではないのだけれど、そうしないと勝手に未来を見てしまうから面倒くさい。


「いえ。なんとなく外を見ていただけで、何かあったわけではないです」


 五十歳くらいの女の先生だった。ちょっと化粧が濃い。


「そう? ならいいけど、部活の活動日じゃない生徒はもう下校の時間だから早く帰るのよ」


「あ、部活。僕、文芸部を見に行こうと思って」


「ああ、あなたが一年一組の安積君ね。栃本先生から生徒が一人見に行くって連絡があったんだけど全然来ないから迷ったのかと思ったわ。私が文芸部顧問の富田とみたです。さ、着いてきて」


 富田先生の後に続いて図書室に入る。入学直後に学校を案内されたときに一度入ったきりで、その後は入ったことがなかった。改めて見てみると生徒が調べ物などで自由に使えるパソコンが置いてあったり、小学校の本棚よりも難しそうな本も置いてあって少し大人になった気分だった。


 富田先生は本棚の間を突っ切って図書室の一番奥に向かった。てっきり図書室が校舎の一番端だと思っていたけどもう一つ部屋があるようで、そこに続く扉の上には図書倉庫と書かれていた。


「ここが文芸部の部室です」


 富田先生はそう言いながら扉を開けた。倉庫というからにはごちゃごちゃとして埃っぽいのだろうと思ったが、案外きれいに掃除されていて、部屋の三分の二くらいの面積を占めるたくさんの本棚に大量に本が並べてあったり、本棚に入りきらなくなった本が床に積まれている以外は、教室にあるのと同じタイプの机といすが数個あるだけの部屋だった。


 窓際の椅子にきれいな姿勢で腰かけて、本を読んでいる女子生徒が一人。開いた窓からじめっとした風が吹き込み、その女子生徒の白い肌とのコントラストが美しい長くきれいな黒髪をなびかせると、なんだか爽やかな風だったのかと錯覚する。


 かすかに舞った埃に光が反射して彼女の可憐さを際立たせる。まさしく文学少女と呼べるような美人が部屋に入ってきた僕らに気付き、読んでいた本を閉じて机の上に置いた後こちらに近づいてきた。身長は百七十センチ近くあるだろうか、モデルでもやっているのかと思うほどスラっとしていてスタイルがいい。


「彼女が三年生で部長の三穂田みほたさん。君が来ることは教えておいたから。じゃあ、三穂田さん、あとはよろしくね」


 富田先生はそう言って図書室の方に戻ってしまった。実は人見知りする方の僕は、友達とは普通に会話できるのだが、初対面の人と話すのは苦手だ。しかも上級生のこんな美人と二人きりにさせられたらなおさらだ。三穂田さんは僕を興味深そうにじろじろと見ている。


「お前が安積望? まあ適当に座れよ」


 清楚で可憐な文学少女の見た目には似ても似つかない荒っぽい口調で椅子に座るように促された。


 聞き間違いではないかと彼女の顔を二度見してしまった。呆気にとられた僕は気が抜けてしまっていたわけで、彼女の未来を見てしまう。


 知らない制服を着た三穂田さんが泣いていた。周りは黒い服を着た大人が大勢いて、静かで重苦しい空気が流れていた。まるでお葬式のようだと思った所で僕は意識を現実に戻した。


 きっと三穂田さんが高校生になったら親族の誰かが亡くなってしまうのだろう。そういった未来は小学生のときによく見ていた。悲しいことだけれど、誰にでも訪れる仕方のないことだと割り切るしかなかった。死の未来が見えても老衰や病気には手出しできない。


「座れよ」


 未来を見ていた僕が、声が聞こえずぼーっとしているように見えたのか三穂田さんはもう一度僕に声をかけた。聞き間違いではなかったようだ。


「あ、はい。すみません」


「いや、あやまんなくていいから」


「すみません」


 僕が入り口のそばにあった椅子に座ると、三穂田さんはさっきまで座っていた窓際の椅子に座り、ドラマで見たことがある高校入試の面接みたいな位置関係となった。ドラマの面接では志望理由とか聞かれていたはずだ。


「なんで来たんだ?」


 本当に志望理由みたいなことを聞かれた。多分文芸部の見学に来た理由を聞かれているのだろうけど、一人で気楽だったのにどうして邪魔しに来たの? みたいな拒絶の意味にも聞こえて、僕は何も答えられず口ごもってしまった。この面接は不合格だろう。


「萌祢の弟だろ? 聞いてた通りだな」


「え、姉ちゃんと知り合いなんですか?」


「あたし生徒会もやってるし、萌祢とは一年の頃同じクラスだったからな。お前のことも聞いてた。人見知りで身内や友達としかまともに会話できない心配な弟がいるって。で、どうすんだよ?」


「え?」


「え? じゃねえよ。うちの部、入んの?」


「あの、まだどういった活動をするのか詳しいことが分からないので」


「基本の活動日は平日毎日。放課後図書室が開いてる六時まで。別に毎日来なくてもいいし早く帰ってもいい。あとは自由しろ」


「自由とは?」


「基本は本を読む。いい本があったら他の部員に教えたり、紹介文を書いて図書室の掲示板に貼ったり。本の内容を語り合ったり。自分で小説を書いたり。子供に本を読み聞かせるボランティアに参加したり、休みの日に文豪ゆかりの場所に旅行に行ったり」


「い、色んな活動をしているんですね」


「あたしは今まで本を読む以外してない。面倒だし」


「そうですか」


 昔はそんな活動をしている先輩がいたらしいという噂が文芸部には代々語り継がれているらしいが、三穂田さんが知る限りそんな活動をした先輩はいないらしく、この部は好きなときに来て、好きな時に本を読んで、好きなときに帰るだけの部活なのだそうだ。


 三穂田さんは口が悪いけど性格が悪いわけではなさそうだし、これといった面倒くさい活動もないのに部活動に所属していることになるのは魅力的だった。


「えっと、入部については前向きに検討します」


「優柔不断な奴だな。今決断しろよ」


 性格は悪くなさそうと言ってもやっぱり少し怖いし、姉と繋がりがあるというのも姉が余計なことを言ったり、姉に余計なことを言う危険性があるのでもう少し良い条件の部活がないか探したかった。


 今日のところは帰ろうと部屋を出ようとしたとき栃本先生が言っていたことを思い出した。一年生が一人入部した気がすると言っていた。


「そういえば先輩の他に部員はいるんですか?」


「いるけど水曜日はいつも来ない。気になるんなら明日も来いよ」


 その夜、すでに僕が文芸部に顔を出したことを知っていた姉から三穂田さんの印象を聞かれたので、怖かったと答えたらやっぱりねと大笑いしていた。でも本当は繊細で優しくて友達思いで泣き虫な子なんだと言っていた。


 僕は信じられないと言ったが、未来の中で見た、泣いている三穂田さんを思い出し、もしかしたら本当なのかと気になってしまった。

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