第23話 花火

 姉の音頭でパーティーが始まった。花火大会開始までの約一時間はなんの目的もないただの宴会で、姉は生徒会女子メンバーの中心にいて楽しそうにおしゃべりしているし、修一郎も生徒会の男子メンバーと楽しそうだ。


 並木さんも友達の守山さんと一緒に生徒会の女子との会話に参加している。幸一は現地参戦しているためここにはいない。僕はいまだに人見知りして輪の中に入れず、端っこの方で座りながらジュースをちびちび飲んでいた。


 僕は文化祭の準備が始まってすぐのときに見た修一郎の未来を思い出していた。


 あのとき見た未来は間違いなく今日だ。花火が始まってどれくらいたったときかは分からないが、花火が打ち上がる午後七時半から八時半の間に修一郎は姉に告白する。結果までは見ていないが、それ自体を止めるほどのことではない。


 成功しても失敗しても姉は姉だし修一郎が友人であることは変わらない。


 ただ、修一郎が告白するという事実が僕の心を迷わせる。三穂田さんに気長に頑張れと言われたけれど、僕も何かするべきなのかという焦りがどんどん湧いてきて、それを落ち着かせようとする僕とせめぎ合っていた。


 その結果何か行動するわけでもなく、落ち着くわけでもなく並木さんや修一郎の様子をきょろきょろとせわしなく観察していた。


「よう、お一人さん。数少ない友達が他の友達と仲良くしてるから一人になっちまったか?」


「分かってることをわざわざ説明しないでください」


 僕の背後にいつの間にか三穂田さんが立っていた。振り返ろうとするとそれを制し僕の隣に腰かけた。大きなクーラーボックスやビニール袋などを持っていてなかなか座りづらそうだ。


「どうしたんですか? その荷物。さっきまで持ってませんでしたよね」


「ああ、今父親が車で届けてくれたんだ。ほれ、出来立て。あとなんか飲むか? 」


 三穂田さんは持っていたビニール袋の中からパックに入った焼きそばを渡してくれた。さすが定食屋や居酒屋をやっているだけあってプラスチックのパックに入っていたとしても匂いも見た目もおいしそうだ。皆の輪に入れず食べ物を取り逃していたのでありがたい。


 クーラーボックスの方には氷とたくさんの缶ジュースが敷き詰められていたが、中学校にはふさわしくない、大人のジュースも入っていた。


「これ、ビールじゃないですか。ダメですよこんなの持ってきちゃ。先生もいるのに」


 ジュースの中に数本の缶ビールが混ざっていた。三穂田さんが飲酒なんてするとは思えないが、だったらどうしてという疑念が出てきてしまう。


「馬鹿言うな。これはあたしの父親から先生への差し入れだ。それによく見ろ、ノンアルだ。ほんとは先生に一番に持って行こうとしたんだが、一人ぼっちで寂しそうにしている奴がいたから先に来てやったんだ」


「そんなに寂しそうでした?」


「哀愁漂うというのはこの光景のことなんだなって思ったぞ。ところで、真由のことを見つめていたのはまあ分かるとして、なんで修一郎のことも見ていたんだ? なんかあったのか?」


 姉といい三穂田さんといいなんでこうも鋭いのか。隠し事なんてできそうもない。なんとか誤魔化そうとしたがいい言い訳が出ず白状しなければならなくなると思ったがその心配はなかった。何故なら三穂田さんはすでに知っていたからだ。


「萌祢のこと、お前に相談したのか」


「知っていたんですか。修一郎が姉ちゃんのことが好きだって」


「ああ、あたしだけじゃなくて生徒会の女子はみんな気づいている。むしろあたしが最後に気づいたくらいだ」


「うわあ、怖いなあ女子って。でもみんな気づくレベルってことは姉ちゃんも」

 

「当然気づいているだろうな。ちなみにお前が真由のことが好きだっていうことも噂になっているし、お前の他にも生徒会の男子の中に真由のこと狙っている奴がいるっていう噂もある」


 さらっと重要な情報が出ていた気がする。僕の気持ちがたった一ヶ月程度の交流の中で生徒会女子たちにばれているのはともかく、並木さん狙いの男子がいるのは初耳だ。気持ちは大いに分かるが信じたくない。


 先ほどまでは何とか拮抗させていた焦りと理性の戦いで完全に焦りが勝ってしまった僕は三穂田さんの正面に回り、肩をつかんで前後に揺さぶりながら尋ねる。


「ちょ、ちょっと。どういうことですか? 他の男子が狙ってるって。誰ですかそれは」


「お、おい。落ち着けよ。今は修一郎の話だろ?」


 腕をつかまれて簡単に振りほどかれてしまった。三穂田さんは口だけでなく力も強い。強制的に落ち着かされてしまった僕は、今度は冷静に三穂田さんに詳細を尋ねた。


「あたしも詳しくは知らんが、女子の間で噂があるのは事実だ。今のところ生徒会の男子に真由の彼氏として認められる奴はいないし、お前が現状一番仲の良い男子なんだから焦るなよ」


「生徒会女子が僕の気持ちに気づいているというのは?」


「噂というか共通認識だな。生徒会女子たちもこの一ヶ月で真由の魅力に気づき、今ではお前が真由と付き合うに足る人間かどうか見極めている所だ。まあ、他の男子に比べればお前は真由と仲が良いという実績があるから評価は悪くないと思うぞ」


 並木さんはまた周りの女子たちを魅了して過保護にしてしまったようだ。もしかしたらさっきまで一人ぼっちでいたことがマイナス評価を受けていたりするのだろうかと不安になる。


「まあ今はお前のことはいい。それより修一郎だ。生徒会女子たちの予想ではそろそろ告るんじゃないかって予想されている。お前の数少ない友達なんだからサポートしてやるんだぞ。じゃあなこいつら配ってくるから」


 三穂田さんが僕の隣を去るとまた一人ぼっちになった。先生に焼きそばやノンアルコールのビールを渡した後、自然と皆の輪の中に入っていく三穂田さん。僕にとってはとてもハードルが高いことで真似できそうもない。姉にはコミュニケーションが大切と言われていたけれどそう簡単にはいかない。


 三穂田さんがくれた焼きそばは今まで食べた中で一番おいしくて、ふがいない僕の心を癒してくれた。


「安積君、これ、どうぞ」


 焼きそばを食べ終えて手持無沙汰になっていた僕に差し出されたのは綺麗な形をした大福だった。差出人は並木さんだ。同時に僕の隣に腰を降ろした。


「ごめんね、こんなに遠くにいるとは思わなくて安積君にだけ渡すの遅れちゃって」


 申し訳なさそうに言う並木さんだが悪いのは僕だ。皆の真ん中に置いておいて勝手に持って行けるようにすれば楽なのに一人離れた場所にいるから律儀な並木さんはわざわざ持ってきてくれたのだ。


「これ、私の家の近くにあるお店の商品でね。私が一番好きないちご大福なの。こしあんがものすごくがしっとりしてて、中のいちごは甘すぎなくてあんこの甘さを引き立てて」


「あ、ありがとう並木さん。おいしそうだね。いただきます」


 おいしいと伝えると並木さんはにっこりという擬音がぴったりな笑顔で喜んだ。好きなものを語るときの並木さんはいつもより饒舌で少しだけ遠慮がなくなって、新鮮ではあるがその後恥ずかしがって自己嫌悪に陥ってしまいその日は口をきけなくなってしまう。


 最初に見たとき以来これまでも何度かあったが、僕も三穂田さんも最近はエンジンがかかりきる前に話を遮るという術を身につけていた。


「あの、並木さん。良かったらでいいんだけど教えて欲しいことがあって」


 いちご大福が一段落すると僕は気になっていたことを並木さんに尋ねた。栃本先生の奥さんと何を話していたのか、だ。並木さんは少し考えるようにうつむき、顔を上げたと思うと、僕らよりさらに離れたところにいる栃本先生夫妻と隣にいる僕の顔を交互に見た。


「栃本先生と奥さんすごく仲が良さそうだったから。どうしてそんなに仲が良いんですかって聞いたの。そしたら、お互いを信頼して何でも話すこと、本心をちゃんと話して理解し合うことだって。私のお母さんとお父さんあんまり仲が良くないからつい聞いちゃったの」


 あまり積極的に話したい内容ではなかったのかもしれない。言わせてしまったことを少し後悔したが、並木さんはそのまま話を続ける。


「お母さんはね、私に勉強を頑張っていい大学に行っていい会社に入って一人でも立派に生きていけるようになって欲しいんだって。結婚は大学か会社でそのうちいい人が見つかるって。たいていのことはお金で何とかなるから家事とかそういうのは最低限でいいって。でもお父さんはね、私には女の子らしく料理とか裁縫とか洗濯とか、そういうのが得意になって欲しいって。勉強はそんなにできなくてもいいから礼儀作法とか身につけて早いうちから信頼できる男の人を見つけておけって言うの。その人を支えて生きていけばいいって。二人の教育方針が違うからよく喧嘩してて」


 並木さんの両親がそんな極端な人たちだとは思わなかった。素直で優しくて礼儀正しくて、勉強も料理も得意な並木さんは、円満な家庭で優しい両親にのびのびと育てられたに違いないと勝手に思っていた。


「でも並木さん、どっちの願いも叶えているように見えるけど」


「そう言ってもらえると嬉しいな。どっちも頑張れば喧嘩にならないかなって思って頑張ったの。二人とも私の幸せを考えてくれているってことは分かっていたし、勉強も家事もそれなりにできるようになったら喧嘩は減ったかな」 


 まだたまにするけどね。と付け足して並木さんは微笑んだ。その微笑みの裏でものすごい努力をしてきたのだろう。愛おしいほどの健気さだ。僕が三穂田さんだったら抱きしめて頭をなでていただろう。


「じゃあ、次は安積君のこと聞かせてくれる?」


「答えられることなら」


「安積君はどうして文芸部に入ったの?」


「え?」


「初めの頃は私も緊張しちゃって聞けなかったけど、ずっと気になってて」


 これは何だろう。純粋な興味なのか、それとも裏の意図があるのか。今になってこんなことを聞かれるとは思ってもいなくて困惑してしまった。並木さんはじっと僕を見つめて答えを待っている。答えないわけにはいかない。だがどう答える。嘘偽りなく正直に答えるならば並木さんに一目惚れしたからだ。


 しかしそれを言ったら告白するようなものだ。修一郎のこととか、気長に頑張れと言われたこととか、生徒会女子の噂とか色々なことが頭の中で渦巻くが結局何も結論が出ない。


 並木さんに見つめられていることに耐え切れなくなって目線をそらすと。栃本先生とその奥さんの姿が見えた。並木さんが奥さんから聞いた仲良しの秘訣は本心をちゃんと話して理解し合うこと。並木さんは両親の不仲というデリケートな話題を包み隠さず話してくれた。そのおかげで僕は並木さんが今の並木さんになった理由を少しは理解できた。


 並木さんは僕が文芸部に入った理由を理解したいと思っている。であれば僕のやるべきことは本心を話すことだ。並木さん相手に未来は見ない。そんな力に頼らず希望の未来を切り開いてやる。


 そう決意して並木さんの顔に目線を戻すと頬がうっすらと赤くなっているように見えた。きっと大丈夫。並木さんも僕のことが好きなんだ。


「並木さんに――」


一目惚れしたから。そう言ったつもりだった。僕の耳にはかすかに聞こえた。だがちょうど大きな音が重なってしまい並木さんに聞こえたかどうかは分からない。ドーンという大きな音が鮮やかな光の後に立て続けにやってくる。


「花火、上がったね」


「う、うん」


 顔が赤くなっているように見えたのも花火の光のせいか。花火を見つめる並木さんの目や頬が鮮やかに様々な色に光っている。花火よりももっと綺麗だ。


「ごめんね、安積君。ちょうど花火の音でよく聞こえなくて」


「ああ、うん」


 やはり聞こえていなかった。けれどもう一度同じことを言う勇気は僕にはなかった。とっくに冷静さを取り戻してしまいあんな勢いに任せた告白まがいのことはもうできない。


「えっと、僕が文芸部に入ったのは居心地が良さそうだったからかな。人が多い所とか騒がしい所が苦手だったし、並木さんも三穂田さんも静かで優しそうな人だったしね」


 本当の理由ではないけれど嘘は言っていない。この場をしのぐ誤魔化しとしては最上級の言葉だ。僕は誤魔化した自分が嫌になってその場から逃げ出した。


 勇気を出せなかった自分に嫌気がさした。あそこはもう一度言うべきだっただろうと脳内で反省会を開くがもう後の祭りで、あのシチュエーションは二度とこない。しかもその場から逃げ出してしまうなんて情けない。

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