第22話 仲良し
八月のお盆前最後の日。明日からは学校が完全に閉鎖されてしばらく何もできなくなるが、皆のやる気と姉のリーダーシップのおかげである程度満足する形で練習や準備を終えることができていた。
最近は図書倉庫よりも馴染みのある場所になりつつある生徒会室で、姉と二人きりになっていた。姉は開けた窓から外を眺め、校門から出て行く生徒たちを見つめている。時計の時刻は午後四時を指していた。
「皆これから花火大会に行くのね。ワクワクしてるのが顔で分かる」
「僕らもそうでしょ」
今日は近くの河川敷で花火大会が行われる。たくさんの出店も並び、この時期のこの地域の行事としては最大級の規模で、僕らの中学校の生徒も大勢行くはずだ。
僕も小学生の頃は健太たちと一緒に行ったこともあったが、今の僕は人ごみに行くのは精神衛生上よろしくないので現地には行けない。
「栃本先生は六時に来るんだよね」
「うん。迎えに行くからね」
花火大会が始まるのは夜の七時半。終わるのは八時半。そんな遅い時間に子供だけで外を出歩いていけはいけないと並木さんは両親から言われているらしく、並木さんも花火大会には不参加。生徒会のメンバーも花火は見たいが人ごみを嫌う人が多かったようで、そこで姉は学校の屋上で花火を見ることを提案した。
もちろん生徒だけでそんなことができるわけもないのだが栃本先生が提案に乗ってくれて校長先生に許可を取ってくれたらしく、生徒会メンバー十数人と僕らのように初期から手伝っている数人がこちらに参加することになった。
並木さんの両親も学校で、しかも先生がいるならと了承してくれたようだ。食べ物や飲み物などを持ち寄ることになっているため皆一度帰宅している。僕らは朝用意したものを初めから持ち込んでいるのでこうして生徒会室で待機をしていた。
「それにしても、どうやって栃本先生を引き込んだの? いくら生徒会長の頼みだからってそう簡単にはいかないんじゃない?」
「栃本先生は毎年この花火大会を奥さんと一緒に見に行っていたの。でも去年の冬ごろから奥さんの足腰が悪くなっちゃって車いすでないと動けなくなってしまったらしくて。奥さんは毎年花火を楽しみにしていたんだけど車いすであの人ごみの中に入っていくのはちょっと難しいかなって思って、今年は諦めていたの。しかも栃本先生の家からは花火は見えないらしくてね」
「それで一緒に学校の屋上で見ましょうって提案した?」
「そういうこと。生徒からのお願いって言えば校長先生から許可取りやすいでしょ」
「なんで先生の奥さんの事情を知ってたの?」
外を見ていた姉は質問をした僕の方を振り返り、可哀そうなものを見るような、あきれているような、色々な感情が渦巻いた表情をした。
「そんなの先生と色々お話したからに決まってるじゃない。大切なことよ、コミュニケーションって。あんた最近私の近くにいて色々手伝ってくれて、やっと私のすごさが分かって、少しでも私みたいになれるように頑張ってるのかと思ったけどまだまだね」
「分かってたの?」
「おおかた真由ちゃんが私に憧れてるとか聞いたんでしょ?」
姉にはまだまだ敵わない。全部お見通しで、分かった上で僕を近くに置いていつも通りの姉でいたのだ。
「まあね」
「ま、これからも私の手足のように働いて勉強しなさい。損はさせないから」
「うん、よろしく」
「素直ね」
「ちょっとは大人になったんだ」
少し嬉しそうな顔になった姉はお姉ちゃんらしく僕の頭をなでようとしたが、背伸びをしても届かないので諦めてパソコンの前の椅子に腰を降ろした。劇の仕事ではなく生徒会の仕事をやるようで、姉は人より小さな体で人の何倍もの働き者で、心配になるほどだ。
僕もできることはしてやろうと手伝ってしばらくたつと一度帰宅していた人たちが続々と戻ってきた。生徒会室に一人戻ってきた時点で姉は仕事を辞めた。他の人には必要以上に働いている姿を見せたくないらしい。
姉は生徒会の皆に屋上に続く階段の踊り場に荷物を持って行かせ、僕と並木さんと三穂田さんとともに駐車場で栃本先生の到着を待った。
やがて一台の車が駐車場に止まり、栃本先生が降りてきた。そのままバッグドアを開けて車いすに乗った奥さんを降ろす。一人でも簡単に降ろすことができるようになっている特殊な車だった。
もともと車を買い替える予定だったがちょうど奥さんが車いす生活を余儀なくされたため、思い切って購入した、ということを姉は教えてくれた。どうやったらそんなことを聞けるまで先生と信頼関係を築くことができるのか感心する。
ただの公立の中学校にエレベーターなどついているはずもなく、屋上に行くには四階まで階段で上がり、そこからまた階段で上がる他ない。栃本先生は奥さんを背負って階段を上り始める。僕と三穂田さんで車いすを運び、姉と並木さんで栃本先生が持ってきてくれた差し入れや奥さんの鞄を運んだ。
車いすはそこそこの重さだったが、二人がかりならそこまで苦労するものではなかった。栃本先生の奥さんの体格はいたって普通で体重も五十キロ程度はありそうなものだが、先生はきつい顔を一つも見せず階段を上り続けた。奥さんは少し恥ずかしそうだったが嬉しそうな表情をしていた。
三階に上がったところで姉が休憩を提案した。表情は変えなかった先生だったがさすがにきつかったらしく、奥さんを車いすに座らせ息を整えていた。奥さんもすごく心配しているようで、先生の腰をさすっている。お互いがお互いを思い合っていて仲が良い夫婦なんだなと率直に思った。
「仲良しなんですね」
その言葉は意外にも並木さんから発せられた。人見知りの並木さんだが、先生相手なら必要なコミュニケーションは取れる。だがこんな風に雑談のような、気軽に話しかけることは見たことがなく、それを知っている奥さん以外の全員が驚いた目で並木さんを見てしまった。
「あ、ああ。そうだな。そう言われるとちょっと照れるな」
さすがの先生も驚きを隠せず動揺していた。事情が分からない奥さんはとても嬉しそうに微笑んでいる。
「よ、よし。そろそろ行こうか。他の子たち上で待っているんだろ?」
再び先生は奥さんを背負い階段を上り始めた。背中の奥さんが「頑張って」とか励ましの言葉をかけている。その様子を並木さんはじっと見つめていた。
屋上に着き、栃本先生が鍵を開ける。何度も見たことがある夕焼けの空だったが、この場所から見たのは初めてで、僕らは今、非日常にいるのだと実感した。ぬるい風が吹いていて決して涼しいとは言えないが、日中に比べれば過ごしやすさには天と地ほどの違いがあった。
皆持ち込んだレジャーシートや折り畳み式のテーブルや椅子を設置し、食べ物や飲み物も並べ始め、屋上に小さなパーティー会場が出来上がった。栃本先生はまだ荷物があると言って階段を降りて行った。その間一人になってしまった奥さんとは並木さんがずっと何かを話していた。
並木さんが知らない人と自分から会話をするのは珍しいと、少し離れた所から僕も姉も三穂田さんも不思議そうに見つめていた。
栃本先生が自分用の椅子やテーブルを持ってきた頃にはパーティーが始まる直前で、先生は羽目を外しすぎて危ないことはしないようにと一言だけ注意をするとあとはすべて姉に任せ、生徒たちから少し離れた所で奥さんと二人で飲み物を飲み始めた。
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