第17話 お弁当

 昼ご飯は意外にも姉が弁当を作ってくれた。一人分も二人分も大して変わらないらしい。生徒会の人たちはみんな冷房の効いた生徒会室に集まっているらしいが、そこの入り込む勇気は僕にはなく、姉の弁当片手に、日差しが避けられてある程度涼しいところを求めて校舎内をさまよったが、結局いつもの図書倉庫にたどり着いた。


 エアコンの調子が悪くてそこまで涼しくはないが、ここならもしかしたら並木さんもいるかもと思って入ってみると案の定並木さんがいた。生徒会室で見たときには着ていたいつもの薄桃色のカーディガンはさすがに着ておらず、夏服の並木さんは新鮮だった。


 図書倉庫には三穂田さんもいて、なぜか姉もいた。並木さんと三穂田さんは真ん中と窓際のいつもの席だが姉は余っていた机と椅子を並木さんと向かい合うように設置して三人ともお昼ご飯を食べようとしていた。


 姉は未来を見る心配がないのでいつも気楽に接することができたが、今日は修一郎のことを口走ってしまわないか気が気じゃない。


 三人は部屋に入ってきた僕を見て三者三様の反応を示した。


「おう」


「ああ、来たの」


「お疲れ様。ごめんね、先にお昼食べ始めちゃって」


 屋外でペンキ塗りをするのは暑さやら匂いやらで大分疲れた。疲れた体に並木さんの優しい言葉が染みる。いつもの入り口近くの端っこの席に座り、弁当を広げようとすると、並木さんと三穂田さんが僕の方を興味深そうに見ていることに気が付いた。


 正確には僕の弁当を見ていた。三穂田さんなんかは席を立ち僕の近くまで来ている。


「な、なんですか」


「早く開けろよ」


 僕が弁当箱のふたを開けると並木さんと三穂田さんは二人そろって「おおー」という歓声を上げた。


「確かに卵焼きが焦げてるな」


「プチトマトのへたにケチャップが付いちゃってます。ご飯の上の梅干しも真ん中じゃなくて五センチくらいずれてます。萌祢先輩の言った通りです」


「だから言ったでしょ。私が作ってあげたって」


 自分と弟の分の弁当を作ってきたという姉の言葉を三穂田さんは信じられなかったらしく、冗談めかしく嘘つき呼ばわりしたことに姉は怒って、だったら僕の弁当の作った人にしか分からないような特徴を当ててやると言ったらしい。


 並木さんはどっちを信じるか迫られて、一緒に過ごした日数の多い三穂田さんを選んでしまったそうだ。


「というわけで私を疑った罰として真由ちゃんの卵焼きは私がいただきます」


 そう言って姉は並木さんの弁当箱から一瞬で卵焼きを取り去り、自分の口に入れてしまった。


「あーおいしい。悪いから私の卵焼き一個あげるわ」


 姉は僕の弁当箱から焦げていない方の卵焼きを取り去り、並木さんの弁当箱の卵焼きがあったスペースに入れてしまった。僕の卵焼きは焦げているものだけになってしまった。


「あ、私のって言ったのに僕のじゃないか」


「私が作ったんだから私のよ」


 そんな暴論を言われている僕を不憫に思ったのか、並木さんが自分のお弁当箱を差し出して、自分のお弁当の卵焼きをくれた。


 午前中の頑張りがすべて報われた瞬間だった。甘くてふわふわで優しい味の卵焼きに疲れなんて吹き飛んでしまう。一気にやる気を取り戻した僕は姉に脚本の進捗を尋ねた。


「もう少しねー。最後で悩んでる。ねー」


 並木さんと顔を見合わせて苦悶の表情を浮かべていた。


「そっちは? なんかトラブルとかなかった?」


「今のところはないけど。ちょっと段ボール足りないかも。去年の奴確認したら結構ぼろぼろのもあって作り直さないといけなさそう」


「しょうがないな。近くのスーパーに電話でお願いしとくからお昼食べ終わったら段ボールもらいに行って。望と葵で」


「え、あたしも? このクソ暑いのに」


「私を疑った罰よ」


 僕は何の罰なのだろうかと思ったが口には出さなかった。言っても無駄だからだ。



 昼食が終わると姉と並木さんは再び生徒会室で脚本の作成に取り掛かった。


 僕と三穂田さんは校門を出て、歩いて十分ほどの距離にあるスーパーに向かい歩き始める。昼間の最も暑い時間帯で、猛暑というか灼熱であった。僕も三穂田さんも体育の授業で使う学校指定の半そでシャツを着ていたが、こうも日差しが強いと露出した肌が焼けるようでむしろ長袖のほうがよかったのではないかと思う。


 職員室に冷蔵庫があってそこで氷も作っていることを知っていた姉は、先生から氷をもらい受け、氷をビニール袋に入れ、それをタオルで包み、僕と三穂田さんの首に巻いてくれて、直射日光が当たらないように頭にもタオルをかぶせてくれた。


 なんでこんなにタオルを持っているのかと聞いたら、こういうとき必要になるかと思ってと答えた。多分段ボールが足りなさそうなことを把握していて、もともと誰かに取りに行かせるつもりだったのだろう。


 首から上がタオルまみれの中学生男女が道を歩く光景は道行く人には異様に映ったかもしれないが、僕は暑さを少しでもしのげるなら何でもよかったし、三穂田さんも髪がどうとか、恰好がダサいとか気にする人ではなかった。


 ただただ二人でスーパーを目指して歩き続けた。暑さを忘れるために面白い話をしろと言われたが思いつかなかったので断った。即興でそんな話ができるならもっと友達が多いはずだ。


「じゃああたしが話をしてやる。覚悟しろよ」


 三穂田さんは暑さでイライラしているのかちょっと怒り口調だ。


「はい、よろしくお願いします」


 何を聞いてもこの茹だるような暑さは忘れないだろうと高をくくっていた。


「今日真由は自分で弁当を作ってきたそうだ」


 しっかり者の並木さんなら料理くらいできても不思議じゃない。これくらいでは暑さを忘れるにはまだ足りない。ただ並木さんへの好感度が上がっただけだ。


「それがどうしたみたいな顔しやがって、お前は真由から卵焼きをもらっただろ? つまりお前は真由の手料理を食べたということだ」


 三穂田さんの顔を見るとたいそう恨めしそうな悔しそうな顔をしていた。


「あたしでさえまだなのに、萌祢どころかお前にまで先を越されるとは」


 僕は暑さのことなんかすっかり忘れて、さっき食べた並木さん手作りの卵焼きの味を思い出していた。あの後に姉が焦がした卵焼きを食べてしまい、その微妙な甘さと苦さのブレンドが記憶に残ってしまっているのが残念でならない。


「幸せそうな顔しやがって。覚えてろよ」


 覚えているに決まっている。焦げた卵焼きの味をさっさと忘れて、甘くてふわふわで優しい味の卵焼きを脳の中で再現させて一生忘れないと誓った。



 スーパーの中は天国だった。三穂田さんのおかげで少しは暑さを忘れることができたとはいえそれは気持ちの問題で、体のほうは暑さで参っていた。冷房の効いた店内に入った瞬間汗が引いていきもう一生ここで暮らしたいと思うほどだった。


 僕らはさすがに頭にかぶったタオルは取って、レジの近くの段ボールが積みあがっている所に向かった。三穂田さんが近くにいた五十歳くらいの女性店員さんに中学校名を伝えるとすぐに案内してくれた。


 レジ近くの段ボールはお客さんが商品を持って帰るときに持っていくものだからということで僕らが持って行っていい分を持ちやすいようにひもで縛ってまとめておいてくれたのだ。おまけに無料の飲料水サーバーで水を飲んでいくように勧めてくれたり、僕らが首に巻いているタオルを見て中の氷を入れ替えてくれたりと至れり尽くせりの対応だった。

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