第29話 未来が見えても

 一学期の終業式の日、今年も明日から文化祭に向けた準備が始まる。今日は木曜日ではあるが学校が早く終わったので僕と真由は図書倉庫に集まっていた。さすが真由は早速夏休みの宿題に手を付けていた。僕はまだやる気にはなれなかったが仕方なく取り組んでいた。


「え、もう数学半分終わったの? 早すぎ」


「早く終わらせておかないと劇の練習とかあるし。それに」


「それに?」


「遊びにも行きたいから。八月はお互い誕生日だし。その、今年は花火大会一緒に行きたいなって思って。お互い人ごみは苦手だけど思い出に、ね」


 真由の方から誘ってくるのは珍しい。即答で了承して、僕も俄然やる気を出して宿題に取り組んだ。二時間くらいたった所で真由は数学の宿題をすべて終わらせてしまい、帰り支度を始めた。普段は持って来ない大きなトートバッグに学校の宿題を全部詰めている。


「塾があるからそろそろ帰るけど、望君は?」


「うーん、もうちょっとだけやってくよ」


「うん。じゃあまた明日ね」


 僕は軽く手を振って答えた。僕も真由と同じ数学の宿題をやっていたがまだ半分も終わっていない。僕も頑張っているつもりだが学力のレベルが違いすぎる。それでも同じ高校を目指すため頑張らないわけにはいかない。


 真由が部屋を出て五分くらいたって勉強に飽きてふと思った。花火大会と言えば浴衣だ。去年ニュースで見た人たちもほとんどの人が着ていた。私服は何度も見たけれど、浴衣みたいな特別な格好は三穂田さんの家でクリスマスにパーティーをやったときにサンタの帽子を被っているのを見たことがあるくらいだ。勉強にも飽きてきて、気になりすぎた僕はこっそり持ち込んでいるスマホを取り出し、和菓子屋を前に目を輝かせている真由の写真を画面に表示した。僕はもう写真でも未来が見える。


 見えたのは通学路を歩く真由だ。夏の日差しの下、制服の上にいつもの薄桃色のカーディガンを羽織り、学校指定の鞄の他に大きなトートバッグを持っている。失敗した。花火大会の時期を意識して見ないといけなかったのに何も考えずに見てしまった。


 一度現実に戻ろうと思ったが僕は違和感を覚えた。なんでこんな普通の風景が見えるのだろう。何も考えずに未来を見た場合はその人にとって直近の大きな出来事が見えるはずだ。


 それはすぐに起こった。真由の歩く歩道とは反対側の車線から青い軽自動車がこちらに走ってきているのが見える。ふらふらとセンターラインを時折はみ出しながらスピードを上げていて、真由がそれに気づいたとき、車はセンターラインを完全に飛び越し、歩道を歩く真由にまっすぐに向かってきた。


 僕は学校を飛び出した。あれは今日の未来だ。大きなトートバッグは荷物がたくさんある日しか持って来ないし、天気や服装を見ても間違いない。真由はもうすぐ車に轢かれる。


 僕は懸命に走った。まだ間に合うことを信じて、真由を助けられることを信じて、息をするのも忘れて、ひたすらに走り続けた。死力を振り絞り、苦しくても、足がつりそうになっても走り続けた。


 そんなわけがない。真由が車に轢かれるなんてありえない。そう自分に言い聞かせて、走り続けた。


 走る僕の横を青い軽自動車が猛スピードで走り抜ける。そんなわずかな時間でも僕の目と脳は運転席で呆けている老人と車体前方の凹みを鮮明に捉えた。


 僕は走るのをやめてしまった。いや、走ることができなくなった。すべてを理解してしまいこれ以上近づくことができなくなってしまった。遠くで救急車の音が聞こえる。人が集まってきている。僕は膝から崩れ落ち、その場から動けなかった。


 栃本先生が運転する車に拾われて、救急車が向かった病院に行った。何度か会ったことがある真由の両親がいたが、お医者さんにすがりつくように二人とも泣いていた。お医者さんの表情も険しく、何も聞かなくても結果は分かった。




 真由の通夜は家族と近親者のみで行われ、次の日の告別式には僕を始めとしたクラスメイトや先生たち、僕の母や姉、三穂田さんも出席した。皆泣いていて、嗚咽に包まれた式となった。


 僕は涙が出なかった。僕の心からはぽっかりと何かが抜け落ちてしまっていて、僕にあるのは虚無だけだった。


 葬儀場を出てふらふらと歩き続け、たどり着いたのは河川敷だった。毎年花火大会が行われる真由と来るはずだった場所。車の通る音、歩いている人、なんてことない日常が周りにはあって、僕がいる場所だけが非日常だった。色付いた世界で僕だけが真っ暗な闇の中にいる。


 土手の部分に座り込んで、川の流れを見つめても何も起きるわけもない。いっそのこと流されてしまえば真由と同じ場所に行けるだろうか。


「望」


 僕に声をかけたのは三穂田さんだった。隣には姉もいて、いつかのように僕を挟み込むように座った。二人とも泣きはらした後で、目元が真っ赤になっていた。


「ごめんなさい。僕は真由を守れなかった」


 三穂田さんは僕を強く抱きしめた。


「お前は悪くない。事故なんだ」


「事故だけど、違うんだ。僕には真由を守る力があったんだ」


「何を言ってるんだ? 暴走する車から守れるわけ……」


「そういうことじゃないんだ、三穂田さん。僕には未来が見えるんだ」


 僕は三穂田さんの腕の中から抜け出して、真実を語った。僕には未来が見えること。中学に入ってから見た未来のこと。事故が起きる未来も直前に見えていたこと。そして……。


「事故を起こした運転手は、去年僕らがスーパーで助けた人で、あの人を助けたのもその後すぐに事故を起こす未来が見えたからなんだ。あのとき助けなければ、もっと早く真由の未来を見ていれば、事故は起きなかった」


 言ってからこれは言わない方がよかったと気づいた。きっかけを作ったのは僕だけど、実際に助けたのはほとんど三穂田さんだったからだ。真由の死の責任を三穂田さんにも背負わせてしまった。三穂田さんが姉の顔を見ると、姉はうなずいた。


「うちの家系に伝わる力なんだって。私にはないけど。でも、やっぱり使い続けていたのね」


「ごめん」


 姉も三穂田さんも泣いている。二人が泣いているのを見ると、僕の心の虚無だった部分に悲しみがあふれてくる。僕と真由が仲良くなるのを応援してくれて、いつも僕らを引っ張ってくれて、僕らが頑張ったら褒めてくれて、僕らがお互いの気持ちを伝え合ったら喜んでくれて、二人とも僕と同じくらい真由のことが大好きで、強くて優しい二人に僕も真由も憧れていた。 


 真由と初めて会ってから、事故の日までのことは今でも鮮明に思い出せる。初めて会ったときの真由は言葉にならないほど綺麗で、それから日々を重ねるごとにたくさんの表情を見せてくれて、普通の日々が宝物で、劇の練習や花火大会、文化祭、生徒会の活動に参加してからは真由といるのがもっと楽しくなって、「また明日ね」という最後の言葉はもう叶わない。


 このとき僕は真由が亡くなってから初めて涙を流した。


 姉と三穂田さんに抱きしめられながらひとしきり涙を流し続け、涙が枯れ果ててしまった頃合いに葬儀場に戻った。集まったクラスメイト達の顔を見るや否や大量の未来が僕の脳内に流れ込んでくる。必死に現実に戻るが顔を見ればまた未来が見えてしまう。悲しみが強すぎて、未来を見ないように制御することができなくなってしまった。


 僕は次の日から学校に行かなくなった。


 真由の死で僕はもう何もしたくなくなっていたし、人に会えば未来が見えてしまう。夏休みの文化祭の練習どころか、二学期になっても学校には行かなかった。僕を心配して修一郎が家に来てくれたことがあったが顔は合わせられなかった。栃本先生や同じクラスの幸一が何度も通って課題を届けてくれたりもした。


 勉強をしていると真由のことを思い出さずに済むから、ひたすらに勉強していた。でも真由のことは毎日思い出していた。問題を解き終わったタイミングで思い出が蘇ってくる。


 夢の中でも真由は出てきて、今までの楽しかった思い出やこれから起こるはずだった楽しい出来事を僕は夢で体験することができた。でも真由が夢に出てくるとき、最後に決まって事故で亡くなってしまう。そこで目が覚めて、涙を流していた。

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