1-9 パートナー?

 赤や緑の照明がアトリエの中で激しく踊っている。

 コーラの酸で口の中の脂が落とせないものかと試みていると、肩にぽんと手がのせられた。振り返ると、アトリエを忍者のごとく出ていくかなでの姿が見えた。

 慌てて立ち上がり、プラスチックのカップと鶏のあばら骨を紙皿ごとゴミ袋に突っ込む。


「おい、峯本みねもと! まだ帰るなよ? 山田先生の、ちゃんと見なって!」


 冬期講習の間に親しくなった基礎科の同級生がげらげら笑いながら僕の袖をつかむ。いつになく陽気で顔も赤い。手の中のアルミ缶には「お酒」と書かれているが、彼も未成年のはずだ。

 部屋の中央では、講師の山田がスポットライトを浴びながら踊り狂っていた。学科試験対策を担当する五十代の男性だ。彼の身にまとっているセーラー服のスカートのすそがはためく。あらわになった中年男性の太ももが生々しい。

 室内はクラブのような盛況を見せていた。実際にクラブという場所に足を運んだことはないから、ただのイメージだ。普段は神聖なアトリエとして扱われていることを忘れてしまいそうになる。

 僕は同級生の耳に口を寄せてささやいた。


「僕も準備があるんだ。女王様は好き?」


 「峯本、まじで?」という言葉を背中に受けながら、上着と荷物をつかんで廊下に出た。制服姿の男女が仲睦なかむつまじく語らう横をすり抜け、階段を下りる。


 奏は予備校の向かいの狭い公園のブランコに座っていた。いじっていたスマホから顔を上げ、小動物のようにぴょんと降りて歩いてくる。

 街灯に穏やかに照らされながら二人で駅のほうへ向かった。大音響のアトリエと比べると、年末を迎える街はあまりにも静かだった。


「受験生なのに余裕なんだね」

「私、上手いから大丈夫」

「学科のほうは? マークシートってきれいに塗りつぶせたら加点されるシステムだっけ」

「さてはきみ、サイコロ鉛筆を知らないな」


 彼女に連れて行かれたのは駅前の大きなカラオケ店だった。

 なるほど、ベッドの無いラブホとは上手く言ったものだ……と、もし僕が経験豊かなら感心していたのだろうか? ラブホテルにカラオケがあるという話は聞いたことがある。しかし必ず備わっているものなのだろうか。


「二人でーす!」


 悶々と考え込む僕をよそに、彼女は意気揚々としながらカウンターにピースサインを見せる。

 中にいた従業員は申し訳なさそうに頭を下げた。今日は団体客も多くかなり混み合っていて、なかなか部屋に通せないと言われてしまった。近くにあったもう一軒のカラオケ屋もあたってみたが、そこでも全く同じことを言われ、案内してもらえなかった。

 店を出た彼女は「予約しておけばよかった」と頬を膨らませる。


「カラオケって予約できるものなの? 行ったことがなかったから知らなかった」


 ガラス壁に貼られた、「年末年始料金とさせていただきます。」という文句を眺めながら僕は尋ねる。


「カラオケに行ったことがない人なんているんだ。俊介しゅんすけくんって友達いないの?」

「いや、カラオケなら僕の家でできるから。家族もいないし」


 「よかったら来れば」と誘う前に彼女は「じゃあ俊介くんの家に行こう」と片腕を上げた。


「か、奏のパートナーに半殺しにされない?」


 もじもじしながら訊くと、「パートナー? 社交ダンスなんてやってませんけど?」と言って歩き出してしまう。全く見当違いの方向に歩いていこうとするので腕をつかんで引き留めた。


 階段で駅のデッキへと上がる。仕事納めをしたのであろうサラリーマンたちが肩を組んで歩いている。

 白い箱を抱える集団に募金をお願いされたので、財布に入っていた小銭を何枚か投じた。彼らを見かけると、年の瀬であることを実感する。


「募金なんてする人、初めて見た」

「小銭を持っていたら募金することにしているんだ」

「じゃあ、俊介くんに会う時はいつも募金箱を持っていくね」


 デッキから続く駅構内や商業施設の入り口を素通りし、僕たちはさらに奥へと進む。細い通路に出た。周辺でも一等高いマンションの入り口とこの通路が繋がっていることに気付き、彼女は目を丸くさせる。


「嘘でしょ?」


 あんぐりと口を開けて彼女は高層マンションを見上げる。


「ここに住んでるの? 本当に?」

「良い反応をしてもらったところで申し訳ないんだけど、三十二階建ての十二階なんだ。たいしたことないよ」

「一階だったとしてもすごいよ。相場なんて知らないけど」


 このマンションの一室を投資目的で父が買い、僕はそこで一人で暮らしている。

 エレベーターの中で説明すると彼女はしばらくの間、隕石が間もなく地球に落ちると知った時のように言葉を失ってしまった。

 他にも何室か所有していることは言わないほうがいいだろうな、と判断した。

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