2-6 その心は

 僕に怒鳴られた小池かなでは、山中でクマと対峙した時のような顔をしている。ここに鏡があれば、彼女と全く同じ表情をした僕が映し出されていただろう。


「俊介くんて、そんな声が出せるんだ」


 彼女は力が抜けたように笑い、ハサミをちょきちょきと鳴らす。クマに出会った時の対応としては不適切だ。


「何をしているの」


 尋ねた自分の声が掠れている。叫んだせいで喉がやられてしまった。


「制作。バイトのシフトを増やしたせいで時間が無くて、今日までに間に合わなかったの」


 彼女はベランダに積んであった布地を抱え上げ、教室内にどさっと投げ入れた。

 砂埃が舞う。一枚拾い上げてみると、やはり彼女が菅美すがびで描いていた油絵だった。木枠から外され、全て無残に割かれている。


「どうしてこんなことを」

「だから、制作だってば」


 僕が質問するたびに語気が荒くなっていく。


「一度描いた絵をばらばらにして、またつなぎ合わせてみたら面白いかもって、思って」


 彼女の白い首筋に汗がしたたり落ちる。


「展示されている作品を見てきたでしょ? 何をやってもいいの。歌うもよし、踊るもよし、自分の作品を割くのも……。それっぽいことをやっていれば単位が貰えちゃうの、この大学は。この前の講評で、『ゴミを再利用して作品を作りました』って言った同級生が何人いたと思う? 三人だよ、三人。家のゴミだったり街のゴミだったり川のゴミだったり収集場所は色々だったけど……。出来上がったものも、私にはただのゴミの寄せ集めにしか見えなかったね」


 喋っている間、彼女はずっと何かを威嚇するようにハサミを鳴らしていた。

 怒りの対象は何だろう。

 少なくとも、僕ではないはず。

 僕は危険生物ではない。

 話を聞きながら、彼女が切ってはいけないものにまで刃を当てるのではないかと、気が気でなかった。


「ごめんね。ここは俊介くんの志望校でもあるのに、悪口なんか言って」


 空気の抜けた風船のように謝ると、ベランダからまた何か引っ張り出す。イケアの買い物袋だった。


「良いところもあるんだよ。ここの食堂はセントラルっぽいから、きっと気に入ると思う」

「じゃあ、帰る時に寄ってみようかな。おすすめのメニューは?」

「ケースの中のノンアルコールビール。教授たちが買い占める前に買わないといけないけど。あと、残念なことに食堂は三時で閉まっちゃうんだ」

「セントラルだって夜の十時までやっているのに」


 僕はスマホで時刻を確認した。三時ぴったりだ。


「じゃあ、コスプレクロッキー大会に参加してくるから、終わったら一緒にセントラルに行こうよ」


 いつか僕にとって必要だったように、彼女にも第三者が必要だと感じた。

 しかし彼女は眼鏡を外し、シャツの襟に引っかけていたタオルで汗を拭いながら首を振る。


「私の家に行こう」

「えっと」


 言葉に詰まった。


「その心は? 今度はどこに連れて行かれるの?」

「私の家だってば。他にどんな意味がある? ちなみに親は仕事で明後日まで帰ってこない。遠慮しないで。ほら、行こう」

「クロッキー大会は?」

「コスプレなら私がいくらでもやってあげるから」


 「無題」という作品に使われるはずだった絵が次々と青い袋に放り込まれていく。事情を知らない人が中をのぞいたら、ゴミの寄せ集めをどうして大事そうに持ち運んでいるのかと不思議に思うに違いない。

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