2-21 補色
花を自由に描きなさい。
それが今日の油絵の課題だった。モチーフは用意されていないから、生徒各自がそれぞれの記憶を頼りに花を描いていくしかない。
僕はカンヴァスの上にひまわりを描くことに決めた。花には少しも興味が無い。まともに描けそうなのは、わざわざ花屋まで受け取りに行ったブーケに使われていたひまわりくらいだった。
完成した僕の絵を見た岩井は眉を寄せた。黄色いひまわりの花に紫色を使ったのがよろしくなかったと彼は言う。
黄色と紫は補色関係にある。つまり、正反対の色であるということだ。色同士がぶつかっているために画面にまとまりがない。ふつうに、見た通りに描いたほうがいいとのことだった。
「奇を衒っている」と思ったのだろう。目に映る世界をそのまま描いているつもりなのに。
しかし見たままに描くと画面は調和を乱してしまう。今回のひまわりの絵だけではない。僕のここ最近の悩みだった。
つまり、まだ色を上手く扱う技術が無いってこと。色だけではない。デッサン力だって甘い。要は、下手くそだということだ。
浪人は何年できるだろう。浪人してやっと美大に入り、卒業した後はどうやってお金を稼げばいいのだろう。最近は、そんなことばかり考えてしまう。
アトリエに戻ると、広げたままだったクロッキー帳の空白にひらがなが書かれていた。「ばーか」と、僕の現状が書いてあるのかと思ってどきどきしたが、「おくじょう」というメッセージが残されていただけだった。鉛筆で濃くはっきりと記されている。とても親切だ。ひらがなを知っている人ならば、一目で解読することができる。特殊な色覚は要らない。
飛び出すようにアトリエを出た。階段を上り、屋上に続く柵を開ける。
頭上には透明な青が広がっていた。まだまだ明るい夏の空だ。
メッセージを残した人物が手すりにもたれ空を見上げている。「パトカーが来るよ」と言いかけてやめた。
彼女にあの空は何色に見えているのだろう。
大切な人が目の前にいるというのに、広大な砂漠に取り残されたような気分になる。
世の中には「あちら側」と「こちら側」を隔てる柵があって、それはきっと電波でできている。電波は人間の目には見えない。彼女はその見えない柵の向こうに逃げてしまった。
僕は今、一人ぼっちだ。
「連絡、したよ」
彼女は僕に近付き、顔を覗き込んでぎこちなく微笑んだ。
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