3-2 優越感

 彼によると、点描の中に人の影が認識できるファンはさほど珍しくは無いらしい。久保誠一郎の展示の来場者たちはたいてい、人影を有難がって鑑賞していく。人影を見る能力があるということで、優越感を抱くような人もいる。

 しかし、その人影が天使の翼を生やしているのが見える人間は、ほんの一握りだそうだ。

 久保誠一郎は僕の色覚を絶賛してくれた。


 一方、人並の色覚しか持たない父は、胡乱気うろんげな視線を久保に送っていた。「もう帰ろう」と言い出さないか気が気ではなかったが、僕たちは絵についての話を続けた。


「久保先生がよく描いていた天使は、先生の娘さんなんです」


 天使が不在の会場を、女性は一度見渡す。


「先生の娘さんをモデルにしてるんですよ」


 天使にモデルがいることも、久保に子どもがいることすらも初耳だった。ホームページは隅から隅までよく見ていたつもりだが、子どもの話は何処にも書いていなかったはずだ。家族のプライベートを平気で暴露してしまう僕の父とは大違いだった。


「へえ、おいくつなんですか」


 さっきまで黙っていた父が突然割り込んできた。久保が答えると、父は僕の背中をぽんと叩く。


「じゃあ息子と同じくらいだ。すごいですね、絵で家族を食べさせていけるなんて。これからどんどん入り用になるじゃないですか、子どもは。なにかとね」


 父の言葉に久保は目を伏せ、帽子を指でいじった。


「ええ、なにかと……」


 ずっと話をしていたかったのだが、数名の賑やかな婦人たちが訪れてしまった。彼女たちは久保誠一郎を見るなり黄色い声を上げた。僕と父は退散することにした。随分と長居をしてしまった。


「そうだ。息子は私立の中学に行くんですよ!」


 婦人たちを遮り、何の前触れもなく父が胸を張るので、その場にいたほぼ全員がぎょっとした。


「おめでとうございます」


 女性だけはにこやかな表情を崩さない。


「いえ、これから受験するんです。合格祝いであなたの絵を買いますから。こういう小さいのじゃなくて、もっと大きいのを用意しておいてくださいよ!」


 顔から火が出そうになった。僕は頭を下げ、父の服の裾を引っ張って逃げるように外へ飛び出す。




「なんだか、カルト集団みたいなのが来ていたな」


 通りを歩きながら父があきれている。失礼な物言いにイライラしながらも、「熱狂的なファンのことを、『信者』と呼ぶことがあるんだよ」と教えてあげた。しかし彼は全く話を聞いていない。


「ちょっと待ってくれ。美味い飯屋がないか探そう」


 昼食をどこで楽しむかということで頭がいっぱいの様子だった。

 味オンチのくせに。僕はこっそり舌を出す。


「インドカレーはどうだ。本当はインドじゃなくて、ネパールのカレーらしいけどな」


 スマホを片手に店を探す父についていきながら思い出す。

 なぜ今回展示されている絵には天使がいないのかという質問に対する答えを、久保から受け取っていなかった。

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