2-16 スポットライト

 アーケードの無い商店街の、電気屋とパン屋に挟まれた小さな建物だった。道に面した部分はガラス張りで中が良くのぞけた。絵が飾ってあるのが見えるが、誰の姿も無い。


 噴き出る汗をタオルで拭ってから中に入ると、七五三木しめぎさんが奥の部屋から出てきて迎えてくれた。髪をバレリーナのように束ね、さらりとした黒いワンピースを着ている。スーツやエプロン姿の時とは様変わりして、画学生らしい出で立ちだった。


「全っ然、人がいないね」


 かなでは嬉しそうに個展の主催者に飛びついた。気持ちを、全身を使ってアピールするみたいに。


「初日はこんなもんよ」


 出してもらった麦茶で体を冷やしながら、僕たちは主催者の絵を鑑賞した。

 ポストカードにも使われていた絵は、僕の家に飾られている久保誠一郎の絵よりも大きかった。写実的に描かれたモチーフとモチーフの間に、四角や丸が重なるように描かれている。印刷物を見た限りでは図形は単色で塗られているように思えたが、実物の絵を見ると印象が変わった。それぞれに質感の差や色の濃さの違いが意図的に作られている。


「リアルですね。写真みたいにリアルなのに、写真っぽさが無いです」


 僕は言葉をひねり出す。まず賞賛したかったのは色使いだが、それは遠慮するようにと、奏から前もって言われている。

 素人臭さ丸出しの感想に彼女は「ありがとう」と口角を上げてみせた。


「写真に頼ることもあるけど、なるべく実物を見て描いているから。彼氏くんも、ちゃんと実物を見て描くんだよ」

「勉強になります」


 名前はきちんと伝えたはずだが、彼女は僕を「彼氏くん」と呼ぶ。


 奏は一人で自由に鑑賞しているふりをしながらそわそわとしている。せっかくの個展なのに、ろくに絵を観ていないのではないだろうか。

 落ち着きが無いのは「色の話をしてはいけない」という自分で用意した枷のせいなのか、今晩の計画のことを気にするせいなのかはわからない。


 僕はもう一度、七五三木さんの絵をじっくり鑑賞する。色にコンプレックスを持つ必要なんてあるのだろうかと思ってしまうけれど、ど素人にはわからない境地というものがあるのだろう。


 ギャラリーが閉まるまで僕たちは居座らせてもらった。その間に訪れたお客さんは二組だった。七五三木さんの学友と、美術関係者を自称する初老の男性だ。彼は口の端にあぶくを溜めながら絵について熱弁している。


「勉強になるね」


 男性をあしらう七五三木さんを横目で見ながら、奏が愉快そうに耳打ちした。





 ギャラリーを閉めた後、僕たち三人は新宿へ向かった。用があるのは駅から少し離れたビルだ。一階には、何日も前から奏が予約しておいたレストランが入っている。イタリアの国旗が入り口に掲げられていた。

 店内の光量は最小限に抑えられている。竹細工のようなシェードで包まれた照明が、それぞれのテーブルをほのかに照らしているだけだ。イタリア風の軽快な音楽も流れている。フランス料理の店に全く同じ曲が流れていたとしても、「フランス風だなあ」という感想を持ったに違いない。


「小池様ですね。お待ちしておりました」


 黒いシャツを身に着けた店員が愛想良く出迎えてくれた。店の奥の半個室のテーブル席へ通され、手書きのメニューを渡された。


「良さそうなお店じゃない。わざわざ予約してくれてありがとう」


 七五三木さんが言うと奏ははにかんだ。仲が良いと言うよりかは、棒を拾ってきた犬と買い主みたいに見えた。


 僕は奏の隣の椅子に座ろうとし、「あ」と声を上げてまたすぐに腰を浮かせた。


「なに? トイレ?」


 バッグをかごに入れながら彼女が訊く。行儀の悪い行動をとってしまったことを恥じながら座り直すが、右手側の壁から意識逸らすことができなかった。


 壁には久保誠一郎のサインが入った小作品が飾られ、スポットライトを浴びていたからだ。

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