1-7 腫れ物
まずいことを言っただろうか。後悔している僕に、
「絵の中の少女に気付く人は、珍しくないんだ」
彼はぼそぼそと喋りながら指で帽子をいじくっていた。
「でも、天使の持つ翼を見つけられる人はそうそういない。きみくらいだ」
憧れの画家の言葉に浮かれたのは言うまでもない。
特別な天使が見えることで、彼に認められたような、通じ合えたような気になって有頂天になった。
彼のように絵描きになりたいと、はっきり思ったのはこの時だ。
僕は昔から暇さえあれば絵を描いていたのだが、この日を機にますます制作にのめり込むようになってしまった。見かねた父は「そんなんじゃ、御三家はとても無理だぞ」と釘を刺した。中学受験対策として塾に通うようになっても、僕は隠れて絵を描き続けた。
ある日、ろくに勉強せずこそこそと絵を描いているのが発覚して、描き溜めてきた作品も道具も全て捨てられてしまった。
父から殴られるようになったのはその頃からだ。痛かったし恐ろしかったが、そのうちに僕は抵抗することをやめた。下手にうつむいたり顔を背けたりすると
約二年間、僕は恐怖に耐えて生活した。実家の壁にはまだ血痕がいくつか残っている。
父が勝手に決めた第一志望の学校には箸にも棒にも引っかからなかったが、なんとか都内の男子校に合格。父の暴力は減り、合格祝いの贈り物までしてくれた。幸運と引き換えるかのように、父に愛想を尽かせた母が姉をつれて家を出て行った。
中等部では美術部に入った。美術室は堂々と絵が描ける唯一の場所だった。
ある日の放課後、美術室の隅で友達とのぞきこんでいたスマホを突然取り上げられた。振り返ると美術部の顧問である中年教師がいた。あだ名は「ジャージマン」だ。体育の教師でもないのに毎日ジャージを着ていた。
スマホの持ち主である友人は青ざめ、画面に表示されたイラストの作者である僕は真っ赤になった。顧問はたまにしか部活に顔を出さないから、完全に油断していた。
彼は押し黙ったまましばらくスマホを操作し「誰の絵なんだ」と訊いてきた
「誰のスマホなんだ」ではなく、「誰の絵なんだ」と。
僕は人喰いワニに身を捧げようとしたウェンディ・ダーリングのごとく一歩前へ出た。
「僕のです」
血しぶきを浴びながら高笑いしている
次のページの、自分のこめかみに銃口を当てて一筋の涙を流している女子高生の絵も僕のです(この直後、彼女が一回目のループを遂げるというストーリーも考えていた)。
不道徳なイラストを描いてネットにアップしていた罪で退学処分になるのではないか。中学生の僕は砂糖菓子のように純粋だったので、本当にそう思って震え上がった。何よりも学校から父に一報が入ることが恐ろしかった。
しかしジャージマンは「色使いがいい。たくさん描けよ」と漏らすだけだった。僕は出席停止処分にすらならなかった。友人のスマホは容赦なく没収された。
人並外れた色覚のせいで生きづらさを感じることも多少はあったのだが、やはり絵を描いて褒められるのは気持ちがいいものだった。
小池
美術部の顧問に褒められた日から少し経って、僕は交通事故を目撃してしまう。眠りにつく度に現場の様子が夢の中で再生され、うなされるような、
父はそれまで、僕の頬を殴っては腫れさせていた。しかし事故を目撃した日を境に、むしろ腫れ物に扱うような態度で接してくるようになった。
だから、悪夢に悩まされる一方で、僕はほっとしていた。しばらくは勉強、勉強と言われなくて済む。「しばらく」というのは、具体的に進路を決めなくてはならない時期まで、という意味だ。
気が付けばもう高校二年生の冬。
受験まであと一年しかない。
事故の影響で一時期は絵を描いたり学校へ通ったりする気力さえ失くしていたが、フラッシュバッグの頻度も徐々に減ってきた。そろそろ執行猶予も切れる頃だ。
いや、そんなものはもうとっくに切れている。
そうだというのに、父は未だに大人しい。トラウマを抱えている僕への懸念もあるのだろうが、大きな理由は他にある。
彼は少しずれているのだ。
家族のありのままの姿を直視する力が乏しい。僕が医学部を目指して必死に勉強しているものだと思い込んでいる。
5が並んだあの成績表を目の当たりにしても、尚。
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