2-4 油絵科希望の現役生
五月の大型連休明けに
洗練されたこのポスターも青美の学生がデザインしたものなのだと、たまたま近くを通った岩井が教えてくれた。そして参加してくるようにと強く促された。
青美は近所にあり、僕の志望校だ。何より、
受験生である僕はもちろん、大学生活を謳歌する彼女も忙しそうだった。講義もバイトもあるし、青美に入って最初の作品講評会があるから余裕が無いそうだ。
それでも時間の合間を縫って、二人で何度か出かけていた。行先は大抵、彼女が決めてくれる。おさわりオーケーのキャバクラへ行こうと猫カフェへ連れて行かれたり、食後にお金を払わなくていいんだよと食券形式のラーメン屋に連れて行かれたりした。
しかし、次にいつ会うという約束を、今は交わしていない。オープンキャンパスは再会するためのいい口実になるかもしれない。
淡い期待を抱きながらオープンキャンパスに申し込んだ旨をSNSで彼女に伝えると「私は行かないよ」と素っ気ないメッセージが返されただけだった。
当日になり、僕は折り畳み傘を持って自宅を出発した。降るのか降らないのかはっきりしない、この時期らしい天気が頭上に広がっている。
駅のデッキの下のバスロータリーには見慣れぬ制服姿の若者で長蛇の列ができていた。恐らく僕と彼らと行先は同じだ。
バスを諦め、青美まで歩くことに決めたのだが、道のりの半分ほどを進んだところで自分の選択を後悔した。
青美は近所ではあるが、小高い山の上に建てられているのだ。もちろん道は整備されているものの傾斜がきつく、やっと頂上にたどり着いた時には汗だくになってしまった。バスから降りてきた学生たちが涼しげな顔をしていて恨めしい。
青美の門をくぐり駐輪場の横をすり抜ける。手入れされた芝生や大きな池が建物と建物の間の隙間を埋めている。地方の庭付きの美術館のような趣だった。さすがは私大だ。今日は維持費も教えてもらえるだろうか。
僕は早速、貰ったパンフレットの地図を見ながら絵画棟を探した。油絵科の生徒の作品はそこに展示されているという。奏には会えなくても、本人の作品を見ることができればいい。
キャンパス内も起伏が激しく、再び登山者になってしまったような気分になる。林に囲まれた建物を見つけ、やっと絵画棟に着いたと思いきや、そこには「講義棟」と書かれていた。僕は途方に暮れる。
「迷子?」
リクルートスーツ姿の女性が近づいてきた。腕にジャケットかけている。
暑いのだろうが、きちんと羽織っていたほうがいいのではないかと余計な心配をする。下着の線が透けてしまっていた。
「どこに行きたいのか当ててあげようか?」
彼女は大きな一重の目を閉じ、手のひらを僕にかざした。うーん、と唸った後、
「絵画棟でしょ。油絵志望だね?」
と口の右端を上げる。
「ご名答です」
彼女は「ついてきなさい」と言って歩き出した。
「どうしてわかるんですか?」
似たような会話を、いつかどこかで誰かとした気がする。
「見た目かな。油絵科希望の現役生だって、すぐにわかった」
「見た目」というのは顔なのか体格なのか服装なのか、はたまたその全てなのか。僕は訊き返す代わりに彼女を観察した。
年齢は五つ以上は上に見える。髪の毛は黒いが、不自然な不透明さだ。僕じゃなくても、就活のために慌てて染めたことが一目でわかるだろう。額には汗が浮かんでいる。暑さで染まった頬の色と上に塗られたチークの色がやや合っていない。
なにも初対面の人間の粗を探したかったわけではない。他人の顔をじろじろ見るのは失礼だろうが、気になることがあってつい彼女を盗み見ていた。
「あそこが絵画棟」
コンクリートブロックのような建物を彼女が指さす。礼を言ってから、僕はここに来るまでに浮かんだ疑問を口にした。
「僕たち、前にどこかで会いました?」
「あら、若いくせに古臭い手口を使うわね」
首を傾げていると彼女は「何でもない」とからから笑う。下着や化粧について指摘されたとしても、同じように笑いそうだ。
「じゃ、ごゆっくり」
彼女は踵を返そうとして立ち止まった。
「そうだ。三時半からコスプレクロッキー大会があるんだ。食堂の隣のホールで」
学生服や和服やアニメのキャラクターの衣装を着た在校生がモデルとなり、参加者に絵を描かせてくれるというイベントらしい。
「私もモデルやるから、よかったら来て。絶体絶命の就活生のコスプレ」
彼女は自分のリクルートスーツを指した。
「髪も就活ために黒染めしたんですか?」
「気合入ってるでしょ。ついでにさっき、本当に面接してきた。でも落ちたわね、多分。グループディスカッションはぶっつけ本番じゃ無理だ。きみは真面目に就活やるんだよ」
ヒール付きのパンプスを履いた彼女は来た道を軽やかに戻っていく。在校生が親切に道案内をしてくれたおかげで、僕は無事に目的地にたどり着くことができた。
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