1-10 神様
「募金といい、マンションといい、俊介くんの家ってお金持ちなんだね」
「そうだね。上には上がいるけど、庶民とは呼んでもらえないかもね」
「否定しないんだ」
「堂々としていたほうがいい。謙遜してもしなくても僻む人は僻むから」
「真似しないでくれる?」
「そもそもお金持ちなのは親であって、僕はただのスネ夫」
金持ちは鼻につく。人生において最も大切なことはスネ夫から学んだ。
彼を反面教師にして謙虚に生きていたのだけれど、それでもやっかんでくる人間というものは現れるものだ。だから僕は今日、
十二階に着き、家のドアを開ける。お化け屋敷と勘違いしているのだろうかと思うほどの慎重さをもって彼女は中へ入った。
僕はさっそく、ゲーム機をリビングのテレビに繋げてカラオケの準備を始める。その間に、彼女は重厚感のあるダイニングテーブルの表面を撫でたり、テレビと背比べをしたり、冷蔵庫の中に入れないかと挑戦したりしていた。
これらは全て、頻繁に家具や家電をとっかえひっかえするのが生き甲斐の父からのお下がりだ。会社員の初任給くらいの値段のコーヒーマシンも、からあげが調理できるレンジもあるが、コンビニやファミレス頼りの僕の身には余る。母も医者だが倹約家だったので、父の趣味は二人の喧嘩の火種にもなった。
「他の部屋、見てもいい?」
リビングから続く寝室のドアを指すので頷いた。彼女は中をのぞいたが「ベッドしか無かった」とつまらなそうに言ってすぐに閉じてしまう。
「玄関とトイレの間にある部屋は見ないでね」
「エロ本はそこに隠してるの?」
「エロ本よりすごいものがある」
「さっすが。高級マンションに暮らそうと思う人間は違いますなあ」
「違うかもね」
私立の中学はともかく、小学校と高校ではそれなりに庶民感覚を身につけられたつもりだ。だから言い切れる。このようなマンションに高校生の子どもを一人で住まわす父は、どう考えたって変わっている。
父は、「一人のほうが勉強に集中できる質だから」と言う出来の悪い息子を信じ、二つ返事で鍵を渡してしまったのだ。大人になったら新興宗教の教祖になって、騙されやすい父を信者にするのも手かもしれない。
「夜景が見える」
駅の周りに立つビルとビルの間を彼女は眺める。見惚れるような景色だろうかと思いつつも、うっとりとした彼女の横顔を無遠慮に見つめていた。
「俊介くん、私をこんなところに連れ込んで何するつもり?」
わざとらしくにやつく彼女にマイクを渡し、「カラオケでしょ」とあしらう。もちろんそれ以上のことを望みそうになるけれど、僕は理性が働くほうなのだ。裏を返せば、臆病ともいえる。
マイクを握ると、彼女はリビングの真ん中でさっそく流行りの歌を熱唱する。手拍子を打ちながら、これは運命の出会いだったのだと確信し胸をときめかせた。――僕はスネ夫であり、そして小池奏はジャイアンだった。
歌い終えた彼女は「ありがとうございましたー!」とアイドルさながらの笑顔を見せる。怒鳴るような歌い方をしたせいで、既に声が嗄れている。
僕は盛大な拍手を贈った。耳を塞ぐのを我慢していた自分に対して。
「神様は絵の才能を贈った代わりに、音楽的なセンスを奪ってしまったんだね」
「うるさーい」
マイクで頭を小突かれた。
「俊介くんだって、目の代わりに舌を取られちゃったんでしょ。セントラルなんかの常連になるくらいだし」
「な、なんでそれを」
驚きのあまり、行きつけの店を暗にけなされたことにも腹が立たなかった。
「レジでよしださんに『いつもありがとうございます』って言われてたでしょ」
「聞こえていたの?」
「彼女、声が大きいじゃない。こんなファミレスにいつも来る人なんているんだって、びっくりした」
ということはあの日、僕が彼女を認識するずっと前に、彼女が僕を認識していたということになる。そう考えるとなんだか背中がこそばゆい。
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