3-6 父と姉
「な、なんで」
突然現れた父に尋ねながら、今日が休診日だということを思い出す。スーツ姿ではないがよそ行きの服装をした彼も肩で息をしていた。
「お前、今、と、飛び出そうとしてなかったか!」
「そんなわけないよっ」
我が父のくせにやけに勘が鋭いじゃないかと思いながら声を荒らげる。僕自身もひどく動揺していた。自分が死を考えていたことが信じられなかった。
結局、僕はまだ死にたくなかった。少しも死にたくなかった。
才能は無いし、間接的に人を殺めた。それでも。
「……なんでここにいるの」
靴を履き直しながら僕はもう一度訊く。
「モーニングだよ、モーニング。一緒に食べていかないか」
父は明かりのついていないセントラルを振り返って愕然とする。
「潰れたのか!?」
「モーニング、もうやめるんだって」
「本当にろくでもないな、この店は」
評価が二転三転しているが、今回ばかりは無理もない。
父は一つため息をつくと「ちょうどいい。乗りなさい」と言って駐車場に停めた自家用車へ向かって歩いていく。
「見せたいものがある」
「何?」
有無を言わせないような雰囲気だ。いつになく深刻な顔に警戒してしまう。
「着けばわかる」
今日は大切な用事がある。デモストレーションを見に行かなくてはならない。
しかし人間だからサボりたい時だってある。今日がたまたまその日だっただけだ。
僕は父の車の後部座席に乗り込んだ。高級車と言われる部類の車で、内装のオプションに本体と同じくらいのお金がかかったと、父がよく鼻を高くしていた。
その父が、今は大人しい。自慢話どころか世間話すらせずハンドルを握っている。
モーニングにありつけなかったので途中でコンビニへ寄り、軽食を買って車内で食べた。
家族四人で出掛けた時の車内は、それはそれは賑やかだった。歌も歌ったし、しりとりもした。たまにしか行かせてもらえないファストフード店のドライブスルーが楽しみだった。セットに付いてくる玩具を取り合って姉と僕が喧嘩をし、母の雷が落ちた。
母と姉と僕がぎゃあぎゃあと騒いでいる時は、父はそれほど口を挟まなかった。耳障りに感じるほど父が饒舌なったのは、母と姉の作った空白を埋めたかっただけなのかもしれない。
一時間ほどして、見慣れない街の中へと車が滑り込んだ。駅前の小規模の商業ビルの前を通り過ぎると、低層のマンションや古くて大きな一軒家が立ち並んでいる。
久保誠一郎の個展が開催された場所とどことなく雰囲気が似ていた。どちらも閑静で品の良い街だ。
僕は初めて訪れる場所だったが、父は迷うことなく車を運転している。狭いコインパーキングの前で一度停車し、「入れづらいんだよ、ここ」と舌打ちした。
バックでの駐車をやっと済ませ、二人で車を降りる。父について歩いていくと、シンプルで洗練された外観の建物が並ぶ道に出た。カフェや花屋もあるが、服屋が特に多い印象だ。凝ったデザインの服に、床や他の店の壁からはね返った日光が当たっている。服が勿体無いなと、自分が購入するわけでもないのに余計な心配をした。
大きな白い建物の前で父は足を止める。
「ここだよ」
自動ドアをくぐる。一階には雑貨屋と靴屋があった。躓きそうになりながらオープン階段を上る。
何を見せるつもりなのか、だんだんと察しがついた。きっとここにクリニックを移転させるつもりなのだろう。都会だから患者もたくさん集まりそうだ。白衣を着た父と姉が診察するのを思い浮かべる。
しかし予想は外れた。
二階に上がり、四角にくり抜かれた入り口を見て息を呑む。
壁には「久保誠一郎」と書かれたプレートがくくりつけられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます