1-13 第三者
僕は彼らの視界に入らぬよう、そろりそろりと忍び足で父の元へ戻る。
「どうした?」
「トイレに行っていた」と嘘をつくと、「下痢か? 薬なら持ってるぞ」と張りのある声で心配された。思春期真っただ中だった姉が家を出ていく決心をしたのも頷ける。
早く
「無理して食べなくていい」
父は不要な気遣いをみせる。
「ちょっとお、テーブルを移動されると面倒なんだけど」
よしださんと案内係をバトンタッチした
「だって、ドリンクバーに近いほうがいいんでしょ? 店長にばれたら大変って言ってたじゃん」
腰壁とパーテーションで仕切られた隣のテーブルを、いつの間にか五人組が占領していた。僕の心臓はひゅうっと音を立てて止まる。
「絶対にばれないでよ」と彼女は念押しする。「ばれたら大変なんだから……」
彼女はパーテーション越しに申し訳なさそうな顔を向け、厨房に戻る。
「セットじゃなくて単品でいいよね。今日も奏がドリンクバー、サービスしてくれるし」
「俺、先にコーヒーとってくるわ」
この声は同じ基礎科の同級生だなと思った矢先、「峯本くん?」と名前を呼ばれた。振り返ると、同級生の彼が僕と父のテーブルをのぞきこんでいた。
ばれた。
息ができなくなった。
「え、峯本くんがいるの?」
「わー、峯本くんだー!」
五人全員がスタンディングオベーションを決めるかのような勢いで立ち上がる。
絶滅危惧種でも見つけたように浮つく彼らに、父の目線があからさまに冷たくなる。
「きみたちも俊介と同じ高校の?」
「いえ、予備校です。俺、俊介くんと同じ基礎科です」
面接のように、はきはきと明るく彼は答えた。
「基礎? おまえ、基礎コースに落ちたのか? 数学か? 英語か」
父の顔が警戒心をむき出しにするミーアキャットに見えた。しかしきっとこの後、ミーアキャットはヒグマにトランスフォームする。
「落ちた? 冬期講習が終わったら、それぞれの科に行くんですよ。俊介くんは油絵やるんだよね」
「なんだって?」
「大変申し訳ありませんでした」
小皿を一つだけ乗せた大きなトレーを持って、男性店員が父の元へやって来た。彼をきっかけに友人たちは僕への興味を無くし、座り直して楽しそうにモーニングのメニューを選び始めている。
「よろしければお使いください」
仰々しく運ばれてきた小皿がテーブルの中央に置かれた。
ヒトの血管から流れ出たような鮮やかなラズベリーソースが注がれている。溢れそうなほど、なみなみと。
「すまないね」
父は相手の目も見ず言った。運ばれてきたソースで、すでに半分ほど食べ終わっていたチーズケーキをさっそく赤く染めている。
謝罪した男性の店員も、これでもう用は無いと言わんばかりに去っていく。お互いにお互いのことなんて気にも留めていないのだ。もう少しタイミングが遅れて、目の前で僕が父にボコボコに殴られていたとしても、あの店員は変わらぬ態度でテーブルの上にソースを置いて戻っていったに違いない。
父はケーキに手を付けず、黙って皿を見下ろしている。
からからの喉を潤すために僕はコーヒーを一口飲んだ。喉が渇いた時に飲むのは水かノンカフェインのお茶だけにしろと、母によく叱られた。
「お父さん――」
何か言われる前に自分から全てを打ち明けてしまいたかった。テーブルにカップを置く自分の手が震えている。
大丈夫。
深呼吸を繰り返す。
僕は臆病者だ。密室で父と二人きりで話す勇気は無い。第三者たちの力を借りるべきだ。
もし何かあれば、奏やよしださんが、通報くらいはしてくれるだろう。すぐ隣には、朝食までしょぼいと盛り上がっている友人たちもいる。
「美大に行かせてほしいんだ」
背中に汗がつたう。
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