2-19 普通の人間
サプライズの主催者は顔を隠すように頭を垂れ、微動だにしない。店員は彼女の様子に、接客用ではなく心からの笑顔に切り替えた。サプライズに感極まっているのだと思っているらしい。
「ありがとうございます」
僕は店員と他の客にぺこぺこと頭を下げもう一度礼を言った。みんな、僕たちに温かい視線を送っている。
店員が引っ込むと、また異国の民謡が流れる。店内は明るくなり、安全に食事をすることができるようになった。僕たちに関心を向ける人間はもう一人もいない。
赤の他人たちの前で、僕は完ぺきなピエロを演じられたはずだ。自分を褒めてあげたくなる。
しかし、奏になんと声を掛ければこの場が丸く収まるのかまではわからない。最も気を遣ってあげたい相手なのに。
「どうして泣くの」
彼女に優しくしてあげるのが僕の役目だ。それなのに、自分の気持ちに正直になって、僕は訊いてしまった。
花屋に行っていた間にどのような会話が交わされたのかは、なんとなく察しが付く。それから、奏が七五三木さんに取り繕っていた理由も。
婚約者の従妹と浮気した五十嵐卓也の顔に、ホールケーキをぶつけてやりたくなる。もちろん蝋燭を刺したまま。
でも、終わったことだ。
「全部終わったこと」だと言ったのは奏のほうだ。
僕の、「どうして泣くの」という問いに対し、「わからない」と彼女は一言答えた。
「五十嵐先生のことで泣いているきみを慰めてあげられるほど、僕は心が広くないみたい」
「……あの人のせいじゃない」
彼女の声は粗い紙やすりのようにがらがらだ。
「俊介くんには、私の気持ちなんてわからないと思う」
「だから、その気持ちを教えてよ。具体的に」
尋ねるとまた黙ってしまう。
コーヒーマシンが「ブレンド」を抽出するのを待つように、彼女の気持ちが言語化されていくのを待った。すすり泣きが豆を挽く音のようでやかましい。
「五十嵐先生に未練があるわけじゃない。らっちゃんに嫉妬しているわけでもない。でも、ずっと引きずっていることがあるというか……」
セントラルのブレンドコーヒーと同じ濃度の言葉を彼女は吐露していく。
僕は蝋燭を引き抜き、クリームとスポンジの層をフォークで崩す。しかしパスタやステーキの詰め込まれた胃は重く、デザートに手をつける気には到底なれない。
「私は、普通の人間なの。普通以下かも。才能なんて持っていない。お父さんや、先生や、らっちゃんみたいな作品は作れないと思ってる。それに、……本当は、天使なんて見えない。私には天使は見えないの」
彼女は声を詰まらせた。
だろうね、と言いかけた自分の口を塞ぐため、クリームを一口分すくって食べた。
右側の壁を見上げる。久保誠一郎の絵が飾られていて、サプライズに大失敗した僕たちを見下ろしている。
胸の中で「見えません」と返事した。
「天使が見えるのか」と尋ねてきた七五三木さんに対してだ。彼女は僕の回答を聞く前に帰ってしまったけれど、その理由は、耳を傾けるまでもないからだ。
小さな絵の中に、天使は描かれていなかった。
一体も、だ。
それは点描で描かれた、久保誠一郎にとっての「出来損ない」たちが楽しむのにちょうどいい、ただの風景画だった。
――きみの何を信じればいいの。
ケーキを口に詰め込んだ。味なんてしなかった。
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