第44話 なぜ、あなたがここにいるの?
玉座の隣に佇むのは、すらりとした長身の青年。
物静かな美貌、静謐な湖のような瞳の色、口元にうっすらと笑みを形作り、私たちのほうを見つめていた。
(王子殿下を紹介する場所に、なぜ彼が……?)
夢か何か見ているのではないかと思って、私は目を擦った。
そんな私の仕種に、彼は眦を下げて魅惑的な視線を送ってくる。
しかし、彼の登場に疑念を感じたのは、私だけではない。
エルフィネス伯爵は慌てた様子で、国王と彼の顔を見比べた。
「国王陛下……その方は……!」
「エルフィネス伯爵が驚くのも無理はない。どうやら、息子は伯爵にも会ったことがあるようだから……王子よ。挨拶をするがいい」
そう言われた王子殿下は、高座から降りて私たちと目線を合わせた。
「ごきげんよう、エルフィネス伯爵。私がカタリナお嬢様に求婚状を差し上げた、リオネル・デ・ベルクロン……ベルクロン王国の第二王子です」
「……あ、あなた様が第二王子殿下でしたか……! 先日は、とんだ失礼を働いてしまい大変申し訳ございませんでした!」
震える声で、伯爵はそう言うと深々と頭を下げた。
「顔を上げてください。こちらも身分を隠しているのですから、仕方がありませんよ。それどころか、自分の出自を知ったのも最近のことですし……」
そう伯爵を宥めるリオネル様を見て、私はもう一度目を擦った。
そして、これがどういう状況なのか、ようやくわかる。
リオネル様のお母様は、貴族の男性と恋に落ちて彼を身籠った。
身分差があることと相手が既婚者だということで、未婚のままでリオネル様を育てたと聞いている。
しかし、その「身分差がある、既婚の貴族男性」が、ベルクロン王国の国王だったとは!
思い返せば、お母様は平民でありながら王室御用達の調香師になっているし、賃貸の許可を得るのがむずかしい王都の一等地で香水店をやっている。
……が、それだけで国王とのつながりを類推するのは困難だ。
まだ頭の中が混乱している状態だが、それはエルフィネス伯爵夫妻も同じだろう。
リオネル様は、私を見て
「カタリナお嬢様にも言わねばならないと思いつつ、先延ばしにしてしまって申し訳ございませんでした。突然、王宮から求婚状がきて、さぞかし驚かれたでしょう?」
「……わたくしは、リオネル様が求婚者だと知って、正直ほっとしておりますわ」
「そう言っていただけて、うれしいです。あなたは、出自に囚われず私のことを見てくれた数少ない人ですから……」
青い瞳に魅入られるかのように、私はリオネル様を見つめた。
さっきまで心を煩わせていた深い霧が、どんどんと晴れ渡っていく。
私にとって、彼の身分が平民でも王子でも関係ない。
愛する相手と共にいる権利が奪われないなら、リオネル様が何者であってもいいと思っている。
彼が私に見せてくれるやさしさや気遣い。お母様とリオネル様と過ごした穏やかで楽しい時間――自分の目で見て、自分の感覚で判断した彼に恋をしたのだから、それだけで十分だ。
ひと月ぶりに会う私たちは、周りの視線を気にすることなく、微笑みながら見つめ合っていた。
そんな様子に、国王は伯爵に提案した。
「どうだ、エルフィネス伯爵。王子と伯爵令嬢を二人だけで話す時間を与えてやってはくれないか?」
王子と私のお見合いとしてはもっともな言葉に、伯爵は何度も首を縦に振った。
「もちろんでございます、陛下! 娘も殿下との再会を喜んでいるようですし、ぜひともそうさせてやってください」
「では、伯爵夫妻は控えの間で待っていてもらうとしよう。リオネルよ……そういうわけだから、令嬢に王宮の中を案内してやってほしい」
玉座を仰ぎ見て、リオネル様は手を胸に当てて頭を下げた。
「ご配慮ありがとうございます、陛下」
「裏庭の薔薇が見頃を迎えておるようだ。気分転換に行ってみてはどうだ?」
「そういたします」
リオネル様は私に向き直って、腕を差し出してきた。
「さあ、カタリナお嬢様、参りましょうか?」
「はいっ……!」
両親の目の前で彼にエスコートを受けられるのがうれしくて堪らない。
この謁見室に入ってきたとき、塞ぎ込んでいたのがまるで嘘みたい。
正々堂々とリオネル様の隣で歩けることに心躍らせながら、私たちはその場を後にした。
国王が言っていたように、王宮の裏庭には広大な薔薇園があった。
王都の至る場所に植えられている薔薇が一堂にここに集まっており、青空の下に華やいだ空間が広がっている。
愛しいリオネル様と色とりどりの花を愛でられる今日という日は、私の人生の中で最良の日……彼にとっても、同じように素敵な日になるといいのだけれど。
「お嬢様と一緒にこうしていられるなんて、まるで夢みたいです」
そのリオネル様の言葉が、爽やかな風に乗って私を舞い上がらせる。
昨晩の絶望の中で、これまで彼が私にくれたものをどれだけ懐かしく思っただろう?
「私もです! あの舞踏会の晩は、父が大変失礼をいたしました」
「それは気になさらないでください。私のほうこそ自分の母を先にあなたに紹介しておいて、エルフィネス伯爵夫妻にご挨拶に伺わなかったことを申し訳なく思っているのです」
「いえ、父が少々神経質になりすぎていただけですわ。前はそこまで頑固ではなかったのですが、どうしたものやら……」
それについては何も答えないまま、リオネル様は薔薇のアーチの奥にある東屋に私を誘った。
「せっかくですから、庭園を眺めながらゆっくりと話をさせていただきましょうか」
「ええ」
私のドレスが汚れないよう、ベンチの座面にハンカチを敷いてくれる辺り、彼の気遣いが感じられる。
並んで座ると、リオネル様は途端に神妙な面持ちになった。
「実は、不可解なことがありまして……」
「えっ、何ですの?」
「……あの舞踏会の席で伯爵にお目にかかった際、違和感を覚えたのです。私は王族の血が入っているせいか、魔法の気配を感じ取る力が備わっておりまして」
彼の言葉に、私は眉を顰めた。
魔法や魔術はこの世界にありがちなスキルだが、ベルクロン王国においては厳格に使用を制限されている。
魔法省という行政機関が設置され、魔力を持った者たちはそこに登録され、ベルクロン王国の国益のために魔力を使うことになっている。
そのため、魔法省とは何の関わりもない伯爵からそんな気配が漂っているなんて、とてつもなく奇妙な話だった。
「そんな……なぜ、そんなものがお父様から……」
「それはわかりません。私も気のせいかと思って、念のため魔法省の官僚の一人を謁見室のカーテンの奥に控えさせました。彼もやはり、私と同じような意見を持ったようです」
それを聞いて、途端に寒気がする。
誰かが、意図的にエルフィネス伯爵を操っていたとしたら……それによって私が南部地方に連れ戻されて、リオネル様と離れ離れにさせられていたとしたら?
その時、ふとエレオノールのことを思い出す。
いつか汽車に乗り込む前に見せた、底知れぬ憎悪を感じさせる眼差しと、屈辱に震える声が、鮮やかに脳裏に甦ってきた。
南部地方に戻った彼女が私への敵意を持ち続けていたとしたら、今回の件はただの偶然ではないような気がした。
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