第2話 田舎脱出計画の第一歩!


「ああぁ……お父様、お母様! カタリナは悲しいです。あの優しかったフィリップ様がこんなにあっさりとわたくしをお捨てになるとは……!」

 エルフェネス伯爵夫妻の前でさめざめと涙を流す私――手にしたハンカチには、切った玉葱が仕込んであるので泣かずにはいられない。

 侍女のマドレーヌは、隣で私の演技にもらい泣きをするフリをしている。

「おかわいそうなカタリナお嬢様! あんなにも、婚礼の日を待ちわびていましたのに……」

「うぅ……この前のお茶会では、婚礼衣装のデザインができあがったことを皆様にご報告したばかり。恥ずかしくて、もうこの南部地方の社交界に顔を出すことはできませんわ……!」

 私たちの迫真の演技を見て、エルフェネス夫妻は顔を見合わせた。

「……かわいそうにねぇ、カタリナ……でも、きっとグラストン侯爵令息よりもいい人が現れるはずよ?」

 伯爵夫人はそう優しく言って、私の肩をそっと抱き寄せる。

「でも、お母様……わたくしは、フィリップ様を愛していたのですわ」

 もちろん、これも大嘘。

 ただ、愛と言う言葉はどの時代にも素敵なスパイスになる。だからこそ、前はぜんぜん口にもしていなかった侯爵令息への愛を何度も口にした。

「うーむ……そうか。お前がそこまで、あの男を気に入っていたとはな……」

 エルフィネス伯爵は困ったように、顎髭を抓んだ。

「本当よね、あなた。今まで令息のほうが一方的にカタリナに熱を上げているのだとばかり思っていたわ」

 夫人の言葉に、思わずギクッとする。

 そりゃあ、前世で恋愛の「れ」の字もなかった私だ。相手がどんなに白馬の王子様のような美形でも、すぐに恋に落ちるわけがない。

 ただ、令息とデートすると一つだけいいことがあった。

 それは、私がお菓子好きだと知っている彼が、新しくできたパティセリ―から色々なケーキを取り寄せて食べさせてくれたこと。

 それらを見て、この世界のケーキ事情を少しは学ぶことができた。

 要は、花より団子というやつである。私にとってのフィリップはその程度の存在だったが、今は交渉手段として大いに彼への愛を語ろうではないか。

「まあ、お母様! 彼がベルンに行ってからというもの、私は彼のことを想わない日は一日もありませんでしたわ」

「そうだったの……あなたも、わざと平気なふりをしていたのね。不憫な子!」

 同情した様子で、夫人は眉をハの字に下げる。

「本当ですわ。周りの令嬢は、フィリップと婚約中の私をみんな羨ましがっていたというのに……これから、私は愛した男性に裏切られた哀れな娘と言われ続けるのですわね……」

 一同、無言になってしまう。

 そんな中で、場を和ませようと夫人が努めて明るい笑顔を見せてきた。

「大丈夫よ、カタリナ。しばらくは気が晴れないかもしれないけれど、パーティーに出れば他にも素敵な男性がたくさんいるのよ? あなたは美しいから、令息と婚約する前は色々な男性からエスコートしたいっていうお手紙をいただいていたじゃない!」

 たしかに、私はモテないわけではない……むしろ、この地方では一、二を争う美人と言われている。

 金色の長い髪に、白い肌、淡いブルーの瞳。体形だって細身でありながら、胸はあって腰は括れている。

 要は、前世の自分が見たら羨ましくて仕方がないルックスに恵まれているわけだ。

 しかし、いま欲しいのはイケメン男子たちの熱い視線ではない。フィリップから入る五万ゴールドの慰謝料……そして、それを使ってカフェ経営をする準備の時間である。

 私は首を横に振って、伯爵夫人の提案を却下した。

「……いいえ、お母様。今はどなたのエスコートもお受けする気はございませんわ。むしろ、パーティーさえも参加するのがつらいくらいですもの」

「おお、カタリナ……あなた、本当に心を痛めているのね」

 夫人の嘆きに、私は頷いた。

「一度、婚約破棄された娘でございます。社交界で後ろ指を指されるくらいであれば、いっそのこと修道院にでも入って神の花嫁として一生を過ごしたいと思っておりますわ」

「修道院だって……!? それはだめだっ!」

 それまで黙り込んで私たちのやり取りを聞いていたエルフェネス伯爵が、慌てて口を挟んでくる。

 それもそのはず――貴族の結婚というのは、家門同士の絆を深める最も有効な手段である。

 エルフィネス伯爵家には、息子は二人いるが娘は私しかいない。

 伯爵としては、他の有力貴族との関係を強めるためにも、私をしかるべき家門に嫁に出したいはず。

 フィリップと私が結婚すれば、グラストン侯爵家とのつながりが持てる。今後、上のお兄様が領地経営をするときにも、下のお兄様が官僚になる場合にも、実家ばかりではなく縁戚になった侯爵家の後ろ盾があるほうが優位に働く……そういう算段なんだと思う。

 しばらくの間、私がめそめそしているだけならまだしも、修道女になってしまったら家長としての伯爵の影響の範囲外に私が行ってしまう。修道請願をするということは、私の身柄が伯爵家から教皇庁へと移るという意味だ。

 絶対に、伯爵としてはそれだけは避けたいはず。

(ふふ、なかなかいい考えじゃない?)

 私は心の中で、自画自賛した。

 この時代の伯爵令嬢が考えそうなもので、一番強烈なものを言ったつもり。

 もちろん、本気で修道女になって祈り働く生活を送るほど、私は早起きが得意でも信心深いわけでもない。

 妥協案だって考えてある……しかも、すごくいい感じのものを。

「お父様……でも、ここにいるのはつらいですわ……」

 ハンカチからぽろりと玉葱の欠片が落ちるが、それをマドレーヌが靴で隠した。

 お菓子の名前を持つだけあって、さすがにすばらしいアシストをする侍女だこと!

「そうね、カタリナ。あなたの気持ちはよくわかるわ! わたくしも若い頃に恋をした殿方が知り合いと結婚してしまって、とてもつらい思いをしたわ……」

 伯爵夫人は、心底同情してくれているようだ。

 そんな善意の人を利用するのは申し訳ないけれど、私にも前世からの目的があるから仕方がない。

 強い味方が現れたということで、さっそく用件を切り出そう。

「お母様……前に、イザベラ叔母様が王都のパーティーに誘ってくださったのを覚えていらっしゃる?」

「ああ、覚えているわ。でも、あなたは令息との婚約式を控えているから、と断ったのよね?」

「ええ……王都はどんなに素敵なところでしょうね。パーティーもきっと、南部地方のものよりも華やかでしょうし」

 イザベラ叔母さんというのは、エルフェネス伯爵夫人の妹だ。

 王宮で文官をやっているウルジニア侯爵に嫁いで、三人の男子をもうけたが女の子ができなかったため、私のことをとても可愛がってくれている。

「ええ。王都はとても美しいところよ。パーティーも華やかだわ」

 元々、夫人は王都の貴族の出身なので、まるで夢見心地で私の話に頷いてくれる。

「……そう。あの時、お断りをしたことを今でも後悔しているの。イザベラ叔母様はどうしていらっしゃるかしら……?」

 泣きそうな顔で、私はハンカチを握りしめた。

 それを見たエルフェネス伯爵は、苦々しい顔つきで言った。

「……わかった、わかった! 王都に行けば、気分が晴れると言うんだな?」

「お父様!?」

「だったら、王都に行ってくればいいじゃないか。あの愚かな令息のせいで参加できなかったパーティーに参加して楽しんでくればいい」

「本当ですか? うれしいっ!」

 あまりにあっさりと要求が通ってしまって、拍子抜けしてしまう。

 しかし、伯爵としては娘が修道女になるより、王都にしばらく行くほうがましだと考えているのだろう。

 あるいは王都に出れば、何かが変わるかもしれない、と――。

 私が婚約破棄された令嬢でも、見初めてくれる誰かが現れるのでは……と、期待しているのかもしれない。

 伯爵に王都行きの許しを得たとあって、伯爵夫人は私を羨ましそうに見つめた。

「あら、本当ですか? あなた……わたくしも一緒に行ったらダメかしら?」

 ため息をついて伯爵は、首を横に振った。

「お前にはこれから帳簿の仕事を手伝ってもらわねばならん。カタリナの介添え役なら、侯爵夫人に頼めばよかろう?」

「……わかりましたわ。イザベラに手紙を書いてみます」

 残念そうな夫人には申し訳ないが、計画がうまくいった私は内心ほくそ笑んでいた。


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