第3話 犯人はお前か!


 案の定、イザベラ叔母さんは深く同情してくれた。

 当分の間は、私と侍女のマドレーヌを使っていない離れに置いてくれるという。

 しばらくはウルジニア侯爵邸に居候させてもらって、社交活動という名の婚活をしているようにエルフィネス伯爵夫妻に思わせるのがいい。

 そして、その間に王都のパティスリーや喫茶店のような場所を視察しよう。前世で言うところの市場調査というやつである。

 その相棒になるのは、侍女のマドレーヌ。

 お菓子のような名前が気に入っているが、お菓子のマドレーヌと違って微塵も甘い雰囲気がない女だ。情ではなく金で動くタイプの守銭奴女子……いつも、私が用件を頼むと生意気にもチップを要求してくる。

 とは言え、こっちとしては金で動く人間のほうが使いやすい。人間の情ほどあやふやなものはないからだ。

 仕事さえしてくれれば、多少の出費は仕方がないと思っている。

「はぁ、カタリナお嬢様のお菓子作りごっこも今日で終わりですわね」

 マドレーヌは飽き飽きした様子で、木のボールに入った卵を混ぜていた。

 前世のお菓子を作るとき、伯爵家の調理人を締め出して彼女と二人だけで準備する。それは、秘伝のレシピが盗まれないためだ。

 竈の火加減を確認しながら、私は彼女に言った。

「何を言っているの? 都に行ってからが本番よ!」

「えーっ……いい加減、この下女みたいな真似は卒業したいんです。一応、貧しいですけど私も準男爵家の娘なんですよぉ」

 マドレーヌが言う通り、厨房に仕えている下女は平民出身ばかり。貴族の身分を持つ彼女は侍女として令嬢の身の回りの世話をする上級使用人である。

 ただ、こればかりは仕える主が悪かったと思ってあきらめてもらうしかない。

「わかったわ。これが後に大流行したら、このお菓子にあなたの名前つけてあげる。一個売れるごとにロイヤリティーもあげるわよ」

「え……本当に? 料率は私に有利に交渉させてくださいませね!」

 俄然、やる気を取り戻したマドレーヌは、生地作りを手際よく進めていく。

 パティシエのような慣れた手つきは、厨房担当の下女にも真似できないだろう。

(私にとって、今日は大事な日だもの……がんばってもらわないと)

 今日は、王都に行く前に開催する最後のお茶会。

 趣味がお菓子作りだと公言する私にとって、毎回手作りのお菓子を令嬢たちに振る舞うのは当然のこと。

 そして、この世界で私しか作れないオリジナルスイーツは、令嬢たちに大好評である。

「カタリナお嬢様が作るお菓子は、本当においしいですわ」

「そうですわねぇ! しばらくの間、この素晴らしいお菓子を味わえないのは寂しいですわ!」

 あまりに用意が大変になるとマドレーヌが準備が怒るので、今回は特に仲がいい令嬢を三人だけ招待した。

 彼女たちは社交界に出る前からの友達だ。気が置けない友人たちとの語らいがしばらくできないのは私だってつらい。

「そう言っていただけて何よりですわ」

 私は微笑んで、今日作ったお菓子を手に取る。

 令嬢が手に取って食べやすいサイズ感のもの。前世で言えば、まさにマドレーヌだ。

 型は鍛冶屋の特注品で、いつも家族の分を焼いているが今日はお客さんの分もあるから二回焼いている。

 元々、この世界では保存がきくビスケットのような堅いお菓子しか存在せず、私が作るふわっとしたスポンジ生地は珍しいようだ。

「カタリナお嬢様は、お菓子作りの才能がおありになるわ。王都に行ったら、職人になれそうですわね」

 ベルトラ子爵令嬢エレオノールが、マドレーヌを一個食べてから微笑んだ。

「まあ! 貴族の令嬢が職人だなんて……」

 他の令嬢たちがエレオノールの発言に眉を潜める。

 そう……この世の中、貴族令嬢が働くのは御法度だ。貴族というのは、働かないからこそ貴族である。平民を使うから貴族なのである。

 その貴族が働いてしまったら、貴族という概念が崩れる。

 しかし、前世の記憶がある私にとって、それはよくわからない感覚でもあった。

「あら? エレオノールお嬢様は、わたくしのお菓子を褒めてくださっているのよ。何も問題はございませんわ」

 平然とお茶を飲む私を見て、なぜかエレオノールは悔しそうな表情をした。

「……そうですわ。カタリナお嬢様はとても才能がおありになるから、殿方に頼らなくても強く生きていけますわよ」

「……?」

 エレオノールが、何を意図してそんな発言をしてくるのかわからない。

 だって、私とフィリップが婚約解消したというニュースは、彼女たちだって知っているはず。

 その証拠に、度重なる彼女の失言に、他の令嬢たちの表情は凍りついている。

「そ……それ以上、おっしゃってはだめですわ。エレオノールお嬢様!」

「あら、なぜかしら?」

 慌てて制止してくる令嬢たちを、エレオノールは驚いたように見回した。

「わたくし、カタリナお嬢様がフィリップ様との件を引きずっていらっしゃらないようで、本当に感謝していますわ」

 それを聞いて、私は片眉を上げた。

 エレオノールはフィリップと顔見知りかもしれないが、彼を名前で呼ぶほど親しくはなかった気がする。

 ――しかし、それは一年前までの話。彼がベルンに行く前はそうだったとしても、その後に何があったのか私が知る由もない。

「……なぜだか、伺ってもよろしくて?」

 その問いに、エレオノールは勝ち誇ったように微笑んだ。

「しばらくの間、南部の社交界でお会いすることもないから、教えて差し上げるわ。わたくしとフィリップ様は……」

「あぁーっ! エレオノールお嬢様は、夢を見ていらっしゃるのよ!」

「そうよ、そうよ! 妄想の世界に行ってしまわれているから、わたくしたちがお嬢様の頭を冷やしてきますわ!」

 二人の令嬢に両脇をがっしりとかためられて、エレオノールは庭園のほうへ連れ去られていく。

 エルフィネス伯爵邸の庭は広大である。かくれんぼをするには格好の場所だ。

 しかし、私が王都にしばらく行ってしまうというのに、それ以外の三人でコソコソしているところを見ていい気分がするわけがない。

「……何なの? あれは……」

 ティーカップをソーサーに置いて、近くに控えていたマドレーヌの顔を問いかけるように見上げた。

「カタリナお嬢様、わたくしが偵察をして参りましょうか?」

「あら、気が利くのね」

 こちらの意図を察して、率先して動こうとしてくれる面は本当に助かる。

「その代わり、チップを……」

 手を出してくるマドレーヌに、私は苦笑いした。

「わかったわ、後でね! その代わり、いい情報持ってきてちょうだいよ!」

「はいっ、今すぐに」

 彼女の後姿を見送って、しばし私は穏やかなティータイムを楽しんだ。


 ――が、私が平常心でいられたのはマドレーヌの話を聞くまでのことだった。

「……お、お嬢様! 大変でございますっ!」

 息せき切って駆けてきたマドレーヌは、私の耳元で偵察結果を報告してきた。

「どうやら……エレオノール嬢が、犯人のようです」

「犯人? どういうこと?」

「……カタリナお嬢様とフィリップ様の婚約破棄の件でございます!」

 たしかに、さっきのエレオノールの雰囲気からして、それはありうるかも……とは思っていた。

 ただ、彼女と私は前々からの仲良しだったから、必死でその疑いを打ち消してきたのに。

(……もしかして、ネトラレってやつ?)

 だとしたら、たしかにエレオノールは犯人である。

「令嬢たちの話によると、エレオノール嬢のお腹の中にはフィリップ様のお子がいらっしゃるそうで……それを知ったベルトラ子爵がグラストン侯爵家に怒鳴り込んだそうですよ!」

「……それで、フィリップ様は私との婚約破棄をして、彼女と結婚を?」

 衝撃の事実を聞いても、私はそこまで動じることはなかった。

 色恋沙汰というのは、恋愛感情があるからこそ発生するもの。私にはフィリップへの執着はまるでない。

 むしろ、友人を裏切ってまで恋を取るエレオノールが羨ましい気がする。

「その方向で話が進んでいるようでございます。ただ、カタリナお嬢様が南部にいらっしゃるうちは、話を公にはできないようで……」

「うーん、その話はもう少し前に知りたかったわね」

「え?」

 マドレーヌの怪訝そうな表情を眺めながら、私はうっすらと微笑んだ。

「だって、それを先に聞いていたら、慰謝料をもっと請求できたでしょう?」

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