第5話 黒髪の美青年との出会い1


 その夜、私はウルジニア侯爵にカフェ計画のことを話した。

 即座に却下されるかと思いきや、侯爵は意外と興味を持ってくれたようだ。

「カフェか、面白そうだね。隣の国で言うところの、コーヒーハウスみたいなものかな?」

「コーヒーハウス?」

「ああ、ティーサロンのコーヒー版のようなものだな。コーヒーハウスは、紳士の社交場になっているんだ」

 それを聞いて、私の頭の中にようやくイメージが湧いた。

 たしか、コーヒーハウスというのはイギリスのパブの前身になった店舗形態だ。

 イギリスでは廃れてしまったけれど、お隣の国のフランスではカフェがけっこう昔からあるし、世界的に今でも流行り続けている。

 ……ということは、このベルクロン王国でもカフェは受け入れられるかもしれない。

「叔父様、そのコーヒーハウスはどういうものを出しているのですか? どんな方々が集まっていらっしゃるのかも教えていただきたいですわ」

「そうだな。コーヒーや軽食を食べながら煙草を吸ったり新聞を読んだり、政治談議をするような場所だから、男性しかいなかったな。場所によって、集まる人もけっこう違うらしい……新聞社の近くには記者、銀行の近くには銀行員、みたいな感じだろうか」

「なぜ、女性がいないのでしょう?」

 そう尋ねると、侯爵は微かに肩を竦めた。

「政治の話をするのは、貴婦人だと好ましくないからじゃないか? 煙草の煙もご婦人方は嫌いだろう」

 想像してみて、思わず納得した。

 前世の日本では禁煙とか分煙というものがごく当たり前だったが、こちらの世界ではその概念がない。

 というのも、煙草とかコーヒーはこの国では高価な嗜好品であり、主に紳士の嗜みとされている。

 エルフィネス伯爵家では、朝食時にミルクを入れたコーヒーを一杯飲む習慣があったのであまり気づかなかったけれど、それさえも平民にとっては贅沢なものなのだ。

 煙草については、この国で見られるのは紙巻タバコではなく葉巻である。それも、輸入に頼っているために高価で、お金持ちの紳士の嗜みのようなものだ。

 店では一本ずつ買って、その場で吸うような形で楽しまれているのだろう。

「なるほど……貴婦人が入れるような形のお店にするのもいいですね」

「カタリナは面白いことを言うんだね。貴婦人はティーサロンがあるじゃないか?」

 たしかに、侯爵の指摘は正しい。

 貴婦人たちは、紅茶専門店に付設されているサロンを愛好している。

 店で扱っている紅茶とそれに合う焼き菓子を楽しめて、帰りに茶葉を購入して帰れるとあって、貴族の令嬢や夫人たちが買い物帰りに寄る憩いの場になっている。

 もし、私がお菓子だけを売り込むのなら、こうした紅茶専門店のような店を作ればいいが、そういうわけではない。

 そもそも、女性のみをターゲットにしようとは思っていなかった。

「……そうですわね。でも、ティーサロンとは別のお店を作ってみたいんですの」

 そう主張する私に、叔父さんは顎髭をいじりながら頷いた。

「わかったよ。支配人に話しておく」

「ありがとうございます、叔父様!」

「まあ、よかったわね! カタリナ」

 喜びに目を輝かせる私に、そばで刺繍をしながら成り行きを見守っていたイザベラ叔母さんもうれしそうだった。

「仮にカフェという店をやるとして、そこではどういうメニューを出したいのか今のうちから考えておいてくれ。場合によっては、支配人が君の自慢のお菓子をチェックするかもしれない」

「もちろんですわ! がんばります!」

 こうして、私はウルジニア侯爵夫妻の後ろ盾を得て、カフェ経営の小さな一歩を踏み出すことになった。



 ――その一週間後、ウルジニア侯爵のお陰で、とんとん拍子でデモンストレーションをできることになった。

 ランチの後のお客さんがいなくなったレストランのテラスで、支配人やホテルの経営層に対して、メニュー表を渡して本当のカフェと同じように給仕をするのだ。

 私たちだけで対応し切れるかわからないので、侯爵家のメイド二人が手伝ってくれることになった。

 なんせ私にはメニューの決定とレシピの確認がある。仕込みにはマドレーヌという心強いパートナーがいるとしても、なかなか過酷な日々を過ごすことになるだろう。

 コーヒーの豆の種類やブレンドに合わせたお菓子の組み合わせを考え、材料を買い出しに行き、厨房でお菓子を焼き上げて味の確認をした。

 今回、デモンストレーションの参加者は男性が多い。

 女性についても、ホテルで働いているメイド長などのスタッフが参加してくれると言っていた。

 貴族の貴婦人方であれば、フォークを用いて食べるケーキやタルトなどを用意するところだが、今回は仕事をしていてその合間の時間でカフェを使うというイメージで何を用意したらいいのかを考えた。

 給仕役のメイドたちの指導はマドレーヌに任せ、私はデモンストレーションの前日に、ホテルのテラスで侯爵夫妻をお客さんに見立て、事前練習をすることになった。

 今回、お茶菓子として搬入したのは、焼き菓子のビスコッティーとフィナンシェ。そして、ワンハンドで食べられるパニーニである。

 働いている人のためのクイックメニュー。できるだけ手が汚れないこと。それを一番に考えて作った。

 ビスコッティーはクッキーなどの焼き菓子が定着しているこの国では、ポピュラーになりそうだと思った。

 中にナッツ類を入れた焼き菓子は二度焼きしているので、ふつうのクッキーよりは固い。

 しかし、前世のイタリアではコーヒーやカフェオレに浸して柔らかくして食べるのが一般的だ。そういう説明を書いた紙でくるんで、ドリンクとセット売りする。

 フィナンシェは、前世ではコンビニにも置いてあるほどポピュラーなもの。

 フランス語で「金持ち」を表すあのお菓子の成り立ちは、諸説あるけれど形は金塊でパリの金融街から広まったという説を、私は信じている。

 それゆえ、食べると金運があがると言われる。商売をしている人には縁起物になるし、細長い形なのでかさばらず、少しだけ甘いものが食べたい男性にも人気になりそうだ。

 そして、パニーニの中身はハムとチーズにした。

 この時代、サンドイッチは手軽に食べられる食事として職業を持っている人々に人気だが、テイクアウトできるホットスナックはない。

 カフェでゆっくり食べるのにも合うし、テイクアウトして職場で食べるのもいい。中身を変えれば、商品のバラエティーも増やしやすい。

 とりあえず、その三種類のフードとコーヒー、カフェオレ、紅茶というラインナップでテストをしてみることにした。

 今回はデモなので接客をするが、パブやコーヒーハウスを真似して最低限の人数で回せるように、セルフサービスのカウンターを設置する。

 台の設置は護衛騎士のマルコに任せて、私は馬車から離れで焼いたお菓子類を運び込んでいた。

 ウルジニア侯爵家の侍女の制服を借りて、エプロンとヘッドドレスを身につけている私は、端から見たら伯爵令嬢ではなく下級使用人に見えるようだ。

 そんな私を誰も気にも留めないと思っていたら、そうでもなかった。

 ちょうどマルコと離れて搬入作業をし始めたところ、ロビーにいた二人の男性が、私をじっと観察してくる。

(……何かしら?)

 じろじろ見られるのは、けっして気分がいいものではない。

 だって、あたしは婚約破棄をされたばかり……しかも、友人に婚約者を寝取られたばかりだからとにかく男性不審気味なのだ。

 仕事で接客をしなければならない状況ならまだしも、そうじゃない時は男なんてまとめて生ゴミの日に捨てっちゃいたい気分である。

 眉を顰めてお仕事モードに戻ろうとする私のところに、男たちが近づいてくる。

「お嬢さん、いきなり話しかける無礼を許してください」

「……!」

 すぐそこにテラスへの扉があるのに、男の一人に先回りされて塞がれた。

 搬入業務を止められて、私は困惑する。

「あまりにもお嬢さんが可愛らしいもので……あなたのご主人も、ここに滞在しているんでしょ? 僕たちもここに仕事で二泊するんです。よかったら、仕事が終わったら部屋に遊びに来ませんか?」

「そうですよ。お酒を飲んだり、カードゲームをしたり……たまには、羽目を外したいでしょう?」

 二人の若い男に行く手を阻まれて、私はどうするか考える。

「すみません、私、忙しいので……」

 そう言って、ナンパ男たちを強行突破しようとしたが、男はどいてくれそうにない。

 手には荷物を持っているうえに、前も後ろも塞がれてしまった。テラスへと続く通路はとにかく狭いため、これではどこにも逃げることができない。

「あんたさぁ……ちょっと可愛い顔してるからって、調子に乗ってるんじゃねーよ」

「そうだ、そうだ。どうせ、顔で旦那をたぶらかして仕事にありついているくせに」

 私が断ったことをきっかけに、男たちは本性を出してくる。

 ありもしない誹謗を受けて、腹が立った。

(どうしよう……騒ぎを起こしたくはないわ)

 ここで大声を出せば、確実に助けはくるだろう。

 テラス席の近くにはウルジニア侯爵夫妻が到着しているはずだし、護衛騎士のマルコだっているのだから。

 ……しかし、侯爵夫妻にこんな風に男たちに絡まれたと知られるのはまずい。

 ここでのカフェのテスト運営はおろか明日に控えているデモンストレーションさえも中止になるかもしれない。

 この危機をどう切り抜けるか考えていると、ロビーのほうから人影が近づいてきた。

「ここにいましたか。探しましたよ」

 振り向くと、そこには黒髪に青い目をしたとてつもない美青年が立っていた。

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