第10話 舞踏会はときめきに満ちて
サルヴァドール侯爵邸には、王都の上流階級の人々が集っていた。
二階にある大広間にはビュッフェ式のテーブルが据えられて、その周りを囲むように優美なソファーが配置されている。
楽団が奏でる音色に合わせて、フロアの中央で男女がダンスに興ずる様子は、まるで色とりどりの蝶が舞っているかのよう。
南部地方よりも華やかな都会の紳士淑女の姿を目の当たりにして、私は大広間の入口で気後れしてしまっていた。
私の隣のパートナー――リオネル・ユーレック氏も、この夜会にふさわしい洗練された装いをしている。
スタンダードな燕尾服であるが、彼の長身と均整の取れた体躯に合わせて仕立てられているとあって、他の男性が着るより何十倍も粋に見えるのである。
(イケメンは何を着ても、イケメン度が上がるのねぇ)
つくづくそう思ってしまう。それと同時に、こんな平凡な私が彼の隣にいてもいいのか……と、卑屈に思う。
私のほうはと言うと、瞳の色に合わせた淡いブルーのドレスを着ている。胸元に大きなリボンがついている南部で流行しているデザインだ。
同じ生地の青いリボンで結い上げた髪に、真珠のイヤリングとネックレス……アクセサリー類は次にフィリップに会う時のために、と買い求めた代物だったが、こんな場所で出番がくるとは思いがけないものである。
マドレーヌに仕上げてもらって、鏡の中に映った自分の姿には惚れ惚れしたものの、サルヴァドール侯爵邸に到着すると自分のドレスが時代遅れに思えて仕方がない。
そんな私の心情を汲んでくれたのだろうか……。
まるで励ますかのように、ユーレック氏は私を見つめながら言ってくれた。
「カタリナお嬢様は、今日来ている誰よりも美しいですよ。だから、自信を持ってください」
「……ユーレック様!」
あまりにストレートな誉め言葉に、顔が熱くなってくる。
「それに、私が事業をしている仲間も、カフェ経営を始めるお嬢様の話を聞いて興味があるようなのです。今後のお仕事の面でも、プラスになると思いますよ」
「そうなんですか?」
「ええ……サルヴァドール侯爵は、芸術家のパトロンとして有名なのです。最近では、目新しい事業をする人物を支援していたりもするので、懇意にしておいて損はありませんよ」
それを聞いて、私は目を輝かせた。
芸術家のパトロンで新規事業の支援者……それは、これからカフェの形態をどうするか考えるうえで大事な存在である。
フィリップから受け取った慰謝料の五万ゴールドは、エルフィネス伯爵家の財産になってしまっている。
伯爵家から定期的な仕送りは約束してもらっているものの、一気にそれだけの金額を欲しいと言えば怪しまれるし、王都で婚活をしていないことがバレバレだろう。
それならば、事業に理解を示してくれる人物から融資をしてもらうというのは、素晴らしいアイデアである。
「ユーレック様……ありがとうございます。ぜひとも、侯爵様にご挨拶させていただきたいですわ」
「よかったです、ようやくあなたの笑顔が見られた」
安心した様子で、ユーレック氏は白い手袋をした手を私に差し出した。
「さあ、せっかくですから楽しみましょう」
「はい……!」
私たちは、共に眩いシャンデリアに照らされた舞踏会の会場に入っていった。
老年のサルヴァドール侯爵はとても寛容で、伯爵令嬢という身の上でありながら飲食店をやろうという私に興味を持ってくれているようだった。
皆がカードゲームに興じているエリアの居間に私たちを招き入れて、話をじっくり聞いてくれることになった。
「ああ、最近できたホテルの一角でやっているんですね? 前に家内とダイニングで食事をしたことがあったけれど、どこら辺でされているのですか?」
「ダイニングに面した中庭にあるテラスです」
「……そう言えば、ありましたね! 空地を有効活用しているなんていい考えだ。しかし、今はいいけれど寒い時期や雨の日なんかは、客足がどうなんでしょうね?」
興味を持ちつつも、問題点を見定めるのはさすがである。
「おっしゃるとおりです。ただ、そういう時期は宿泊しているお客さんも昼食のために外出が億劫になるようなので、雨の日はさほど影響はありませんでした。ただ、支配人と話したところ、寒い時期や雨の日はロビーの中にカウンターを移してもいいと譲歩していただけたのです」
それを聞くと、サルヴァドール侯爵は驚いたような表情になる。
「ほぉ、あの支配人がそこまで譲歩するとは……伯爵令嬢の提供されるものが、それほど魅力的だという証拠ではありませんか?」
侯爵の言葉に、ユーレック氏が頷いた。
「そうなんですよ! カタリナお嬢様のお作りになる焼き菓子は、頬が落ちそうなおいしさなのです。それに、ランチに出すパニーニというお食事もピザに似た味ですが、片手で食べられる温かな食事とあって、うちの従業員からも好評なんですよ」
ユーレック氏は自分のランチが終わったあとに、部下たちのランチをまとめてテイクアウトしてくれるようになった。
優良顧客が援護射撃をしてくれたお陰で、サルヴァドール侯爵は興味を露わにし始めた。
「ユーレック子爵のような新進気鋭の実業家が、そんな風に手放しで褒めるとはね! ご令嬢、ホテル以外で店舗をされるご予定はないのですか? もしあるのでしたら、喜んでパトロンに名乗りを上げさせていただきますよ!」
私の夢にお金を貸してくれそうな人が現れた!
それだけで、私は有頂天になってしまう。
「本当ですか!? うれしいです。実家に相談すると反対されそうで、店舗を借りて営業するまでの勇気が持てなかったのです」
「そうでしょうね……ご令嬢のように美しい方なら、ご両親はよりよい家門との縁談を望まれるでしょう。それが地方であればなおさらです。ただ、王都では昨今、貴族の女性でも生涯未婚で職業を持たれる方も増えてきておりますよ」
「そうなんですね」
「ええ。私がパトロンをしている音楽家や画家にも、貴族のご令嬢がいらっしゃいます。うちの家内のサロンにも参加しているので、ぜひ彼女たちとも交流を持ってみてはいかがでしょう? 招待状をお送りさせていただきますよ」
「まぁ、それはありがたいですわ!」
心からの笑顔を浮かべる私を、ユーレック氏は満足そうに見守っていた。
楽団が奏でる円舞曲の音色に合わせ、私はユーレック氏と踊り始める。
きらびやかな水晶のシャンデリアの下で、彼のリードに任せてステップを踏んでいると、少しずつ緊張感が抜けていく。
思えば王都に着いてから、ずっと働きづくめだった。
カフェの企画から運営から、これからの展望まで色々とやることも考えることも多くて、プライベートというものは皆無だった。
それが今、ようやく一息つくことができている。
憧れの人にパーティーに誘われて、彼と手を取り合って円舞曲を踊っているのだ。
運動音痴の私でダンスも下手だが、ユーレック氏のリードが上手なお陰か、まるで雲の上を歩くようにステップを踏むことができている。
「さすがにカタリナお嬢様は、踊りがお上手ですね」
澄んだ青い目が、いつもよりも近い。
低くて甘い声音で褒められると、頬が熱くなってくる。
「そんな……! ユーレック様のリードがうまいせいですわ。わたくしなんて、南部でも壁の花でしたもの」
「本当ですか? 私がその場にいれば、あなたを寂しがらせたりはしないのに」
そんな甘い言葉を囁かれると、誤解してしまいそう。
ユーレック氏にとって、私は地方の伯爵令嬢。いつかは実家に戻って、どこかの令息と結婚する予定の娘である。
カフェをしていることも、ほんのひと時の気まぐれだと思っているかもしれない。
そう……彼は私にとって優良顧客であり、それ以上の存在にしてはいけないのだ。
(でも、今夜だけは……誤解してもいいんじゃないかしら?)
夢見がちなもう一人の自分が、そう囁いてくる。
白皙の美貌は私だけを見つめ、腰に回された彼の手の感覚はいやに艶めかしい。
婚約者のフィリップにさえ覚えたことがない心の高揚を、ユーレック氏にはいつも感じてしまう。
「ありがとうございます、ユーレック様。お言葉だけでうれしいですわ」
「リオネルと……名前で呼んでくださいませんか? そのほうが、打ち解けられるでしょう?」
そう提案されて、私はほんの少しだけ恥じらった。
ただ、ユーレック氏のほうも私のことを名前で呼んでいる。だから、彼のことを名前で呼んでも馴れ馴れしいということにはならないだろう。
「リオネル様……」
「そう。これからも、そう呼んでください」
イケメンの輝くような笑みは反則だ。
胸のドキドキが加速してしまいそう……! 円舞曲を踊って倒れても、この世界では救急車なんて来てくれないから自制心を持たないといけないのに。
勤めてお仕事モードに戻って、私は冷静に微笑んだ。
「本当にうれしいですわ……こんな風に、理解のある方がいらっしゃるなんて」
「……そう言っていただけて、私もうれしいです」
その時、拍手が湧き起こり、私は円舞曲が終わったことを知った。
しばし楽団の交代制の休憩が始まるようで、ユーレック氏と私は給仕から飲み物をもらって、バルコニーへと向かう。
ちょうど、誰もいない場所を見つけると私は腰を下ろした。
「食事をとってきましょう。少し待っていてくださいね」
「リオネル様、ありがとうございます」
彼のすらりとした後ろ姿を見送った。
楽団のメンバーが弦楽四重奏を奏でるのをぼんやり聞きながら、夜の庭園を眺める。
舞踏会の類を開催しているとあって、サルヴァドール侯爵邸の庭園はタウンハウスとしては広い部類に入る。ライトアップされた噴水や白亜の彫刻が美しく、手に手を取り合っている男女の姿もちらほら見える。
舞踏会はこの時代では格好のデート場所なのだろう。それを覗いているような気分になるのが、何となく恥ずかしかった。
(私とリオネル様も、そういう風に見えるのかしら?)
変な妄想とダンスで火照った頬に、冷ややかな夜風が心地よい。
そうしているうちに、バルコニーに誰かが近づいてくる気配があった。
「……?」
後ろを振り向くと、薄緑色のドレスを着た令嬢が私を見つめていた。
「ああ、やっぱりカタリナお嬢様! 似ている方がいらっしゃると思ったんですのよ」
逆光だから、瞬時に顔までは判別できなかった。
ただ、声を聞けばすぐにわかった。
それが、私から婚約者を寝取った女……エレオノール・ベルトラ子爵令嬢だということを。
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