第9話 初めてのデート


 中庭のテラス席は、ホテルの規模もありテーブルは大小合わせて五十席ほどある。

 その中で、一番カウンターから離れている席に私たちは移動した。

「ここなら、少しは職場のことを忘れられるでしょう?」

「ユーレック様、お気遣いいただいてありがとうございます……えっ?」

 彼は私の椅子を引いてくれた。

 メイドの格好の私にそんなことをしてくれるなんて、ユーレック氏はなんて紳士的な振る舞いをする人なんだろう!

 しかも、私はカフェで食事を提供した身で、彼は優良顧客。これじゃあ、立場が逆ではないか。

 ただ、礼儀作法としては私がそれを断るほうがマナーに反する。

 ここは、ご好意に甘えておとなしく座ることにした。

「重ね重ね、ありがとうございます。こんな風に接していただけるとは思っておりませんでしたわ」

「いえ……カタリナお嬢様の休憩時間が、少しでもリラックスできるものになればいいのですが」

 爽やかな笑みを浮かべて、彼はパニーニが包まれた紙袋を開ける。

「じゃあ、食べましょうか。あったかいうちがおいしいですしね」

「そうですね!」

 私もパニーニを包んでいる袋を開けた。

 中から湯気とともに、おいしそうな香りが立ち上ってくる。

(あぁ、しあわせ……)

 焼きたてをもらってきたから、パニーニはまだ熱々だ。

 意外と猫舌の私は少し冷めてから食べるほうが好きだった。

 生地はピザと似ているけれど、発酵のさせ方だけならパニーニは二次発酵までするから、どちらかというとパンに近い。それをオーダーが入ったら具材を挟んで焼くのだ。

 外がカリカリして、中がモチモチしている触感がいい。生地作りも、限られた時間の中で色々研究に研究を重ねた。薄力粉と強力粉の配合を変えた生地を作り、侯爵邸の皆さんに試食してもらって一番評判のいいものにしたのだ。

 ――初めて私がこれを食べたのは、前世のイタリアンカフェ。バイト代が入ると、色々なカフェの調査をしていた知識が、ようやく役に立つ日が来た。

 自分が食べておいしいのはもちろん、みんなにおいしいと喜ばれれば、空腹だけではなく心もほっこりと満たされる。

「……温かくて手軽な食事がこの値段で食べられるなんてね。賃金のことを考えたら、もう少し高く設定してもいいんじゃないですか?」

 ユーレック氏は猫舌ではないようで、出来立て熱々のパニーニを先に食べ終わった。

 私はと言えば、まだふーふーと冷ましながら彼の美しい手に見惚れていた。

 古くからの貴族はこのホテルに出入りしない って、イザベラ叔母さんが言っていたから、たぶんユーレック氏は新興貴族かブルジョワのどちらかだろう。

 それにしては、食べる手つきが優雅だなぁー……と観察してしまっていた。

 ぼんやりしていたところに、現実的な話を持ちかけられて私も急にお仕事モードに戻る。

「賃金は……いまは謝礼程度でしか支払っていないんです。もともと、彼女たちはわたくしが居候させていただいている屋敷と、わたくしの実家から連れてきた使用人なので」

 本物の実業家を相手に、こんなことを言うのは気恥ずかしい。

 私は申し訳なさそうに目を伏せる。

「もしかして、カタリナお嬢様は南部地方のご出身ですか?」

「はい」

「ああ……では、ご実家というのはエルフィネス伯爵家でいらっしゃるのですね。どうりで所作が美しいと思っておりました」

 社交界で出会ったわけではないから、私の素性をはっきりとは知らなかったのだろう。

 そりゃあ、貴族令嬢がメイドの格好をしているなんて思うわけがない。

 エルフィネスの姓を名乗っていても、ユーレック氏としてはそれが偽名なのか本当なのかわからなかったのではないだろうか?

「申し訳ございません。伯爵家の一人娘がこんなことをしているなんて、驚かれたでしょう?」

「いえ。お名前伺ったときから、もしかしたらとは思っていました。私もいまでこそ子爵位を持っておりますが、もともと平民の出なのです。エルフィネス伯爵家は由緒正しい家門ですから、こうして交流させていただけて光栄です」

 そう言うユーレック氏は、爵位を金で買った新興貴族なのだろう。

 私からしてみたら、出自に胡坐をかかずに事業をしているところは尊敬に値する。イザベラ叔母さんの思惑とは違うけれど、私はできればもう少し色々彼と話ができればいいな、と思った。

「旧来の貴族よりも、ご自身で事業をされているほうが素晴らしいと思いますわ。ぜひ、わたくしも見習いたいものです」

「カタリナお嬢様は、事業に積極的でいらっしゃるんですね。これから、このカフェの経営は本格的にされるのですか?」

「ええ。このテラスでの店舗はお陰様で、続けてほしいとホテル側に言われました」

「それは、おめでとうございます! お嬢様のようなお若い女性が事業を起こされるのは大変でしょうが頑張ってください。私ができることなら、いくらでもお手伝いいたしますよ」

 その言葉に、励まされた。

 もちろん、ウルジニア侯爵夫妻も頼りになるが、住まいを提供してもらい、お手伝いの人員を融通してもらったのだから、あまり甘えてばかりはいられない。

 この店舗を続けるとしたら、人材については今のままではいけない。カウンターのスタッフを誰か雇わねばならないし、そのうちここ以外に店舗をオープンするのなら、不動産の契約もしなければいけないのだ。

 そうした時に、この王都でビジネスをしているユーレック氏なら、色々と知恵を授けてくれるだろう。

「ありがとうございます! 何かあればご相談させていただきます」

「ぜひ、お気軽に。これでも、色々事業は手掛けているのでお役に立てるかと思います」

「ユーレック様には、助けられてばかりで……お願いばかりするのも何なので、私が何かユーレック様のお手伝いをできないものでしょうか?」

 それは、本心から出た言葉だった。

 ずっと、借りを作りっぱなしだと居心地が悪い。

 マドレーヌや侯爵家の侍女ならお金や物で解決できるが、ユーレック氏にとって私の存在が何ひとつ役に立たないのが歯痒かった。

「うーん、そうですねぇ」

 彼はカフェオレのカップを両手で持ちながら、思案している様子である。

 ちょっとした仕種さえも、イケメンがするとこんなに絵になるんだなって思ってしまう。

「あ……! ちょうど、お願いさせていただきたいことを思いつきました!」

「何でしょう?」

「明後日、仕事の取引先のお屋敷で舞踏会が催されるのです。よかったら、パートナーとして一緒に行っていただけないでしょうか?」

 それは、まるで夢のような申し出だった。

 こんな素敵な男性と、素晴らしいひと時を過ごせるだなんて!

 私は即座に首を縦に振っていた。

「もちろんですっ! わたくしなんかで宜しければ……!」

 


「うれしいですわー! こんな風に、本来業務ができる日が来るなんて」

 マドレーヌは私の髪を梳いて、結い上げてくれる。

 今夜は、ユーレック氏の取引先であるサルヴァドール侯爵邸での舞踏会。実家から持ってきたイブニングドレスに着替え、いつものカフェ用の装いから美しい貴族令嬢へと早変わりしていた。

 何より、仕事場以外でユーレック氏と会えるとあって、まるで恋人とのデートの前みたいに期待でいっぱいだ。

 いや、あのクズ男と婚約していたときも、こんなにもときめいたことなどない。

 ユーレック氏にとっては、適当なパートナーがいなかっただけ。ただ、年齢的に釣り合いそうな私が都合よく近くにいたから声をかけてくれただけ――。

 そうだとしても、私には過ぎた相手だった。

(まあ、比較対象がクズなのもあるけど……)

 私は鏡の中に映る自分の、晴れやかな微笑みを見つめた。

 機嫌が良さそうな私を見て、マドレーヌはにやにやしてくる。

「な、何よ……!?」

「……いえ、カタリナお嬢様のおしあわせそうな顔を見ると、私もうれしくなってしまって」

「しあわせそう?」

「だって、よくカフェにいらっしゃる方でしょう? 南部地方ではまず見ないイケメンですよねぇ!」

「そうねぇ……」

「でも、新興貴族の方だとおっしゃいましたよね?」

「そう、だけど……?」

 にやにやしてくるマドレーヌの意図は、なんとなくわかった。

 彼女は、エルフィネス伯爵家の使用人である。私が直接的に給金を出しているわけではない。

(もしかして、ユーレック様と私のことをお母様に言いつけるつもりかしら?)

 マドレーヌは眉を顰めた。

「……なに? 口止め料がほしいの?」

「まぁ! 人聞きが悪いですわ、お嬢様。私はお嬢様のしあわせを祈っているだけですわ……カフェの話や新興貴族の男性との交際の件が、奥様の耳に入って大変ですからねぇ」

 たしかに、カフェの件もユーレック氏との交流も内密にすべきこと。

 ある程度の形になれば、エルフィネス伯爵夫妻も口を鎖すかもしれない。突然、婚約破棄されて傷心の娘が生き甲斐を見つけたのだ。

 修道女になってしまうのに比べたら、カフェ経営者という職業婦人の道を歩むほうがまだいいだろう。

 しかし、いま新興貴族の青年との交流までばらされてしまうと面倒だ。

 爆弾は一発投げ込んで小康状態になった頃にまた一発投げるのと、二発同時に投げるのではどちらに破壊力があるのか……?

 二発同時だと、さすがにエルフィネス伯爵夫妻の堪忍袋の緒が切れるかもしれない。

「わかった……わかったわ! 口止め料払うから、お願いだから内緒にしておいてよ!」

「かしこまりました、お嬢様!」

 うれしそうな守銭奴侍女と相反して、私は予想外の出費に心の中で涙を流すのであった。




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