第8話 黒髪の美青年、優良顧客になる


 ありがたいことに、カフェのテスト店舗は大盛況!

 最初の三日だけで、当初予想していた七日間分の利益を稼ぎ出した。すなわち、軽く二倍の収益を上げたということ。

 ホテルの支配人も、これには大喜びだ。引き続いてテラスでよければ続けてほしい、というありがたい申し出をしてくれた。

 これまでの一週間のように無償でテラスや機材を借り続けるのは問題なので、支配人と話してカフェの収入の一割を賃料として払うことにした。

 厨房の人たちも足りなくなったら材料を融通してくれたり、困っていたら手を貸してくれたり、とよくしてくれるから本当はもっと払わねばならないと思う。

 しかし、支配人は私が出資者の一人であるウルジニア侯爵の姪だということで、気持ち程度で構わないと言われた。

 コネも実力のうち……私はありがたく、その申し出を受け入れることにした。

「これもあなたのお陰よ、マドレーヌ」

 ランチのお客さんの波が過ぎ去った後で、自分たちの賄いのパニーニを作っているマドレーヌに私はさっそくお礼を言った。

「いえいえ。私はカタリナお嬢様について行っているだけですよ。お嬢様がいるからこそ、このカフェが成り立っているんですから」

 やけに殊勝なことを言うものだ。

 これも、彼女なりの計算なんだろうと思う。

 ただ、計算高さをマイナスしても余りあるプラスポイントをマドレーヌは稼ぎ出してくれた。

 ポスターも水彩画で色塗りをして仕上げてくれたお陰で、カフェの集客につながった。

 いつもは外の気軽なレストランにランチを食べに行く宿泊客も、カフェでパニーニをテイクアウトしてくれるようになった。天気がいい日はテラス席で食べ、そうでない日は部屋に持ち帰って食べているようだ。

 パニーニというホットサンドは、この国では存在しない。

 しかし、前世で言うところのピザに似ている郷土料理があるので、それに似ているパニーニも受け入れてもらえたのだろう。

 評判を聞きつけて、ホテルの宿泊客以外のお客さんも来てくれた。

 ふつうだったら、この街の住民はホテルに足を踏み入れることはほぼない。

 基本的にはホテルは街の外から来訪する者の宿泊施設。元が王宮の所有物だったということもあり、この王都では最も宿泊代は高額だ。付属するメインダイニングも、なかなか庶民が利用できない高級な料理を出す場所である。

 それが、カフェができたお陰で建物内に入る機会が生まれ、次回、何らかのお祝い事があるときはカフェではなく、メインダイニングで食事をしたいと思うかもしれない。

 そういう縁とか口コミというのは、意外に侮れないと私は思っている。

 なぜなら、この時代にはテレビもパソコンもインターネットもない。新聞が最大のメディアであり、それに準じるのがポスター、そして、人々の口コミなのだから。

「いえいえ、マドレーヌのお陰よ。約束は忘れていないから、いっしょにがんばりましょう!」

「わかりました、がんばります!」

 ほくほくとした出来立てのパニーニの香りは食欲を誘ってくる。

 中身はこの国で食べられているビザとほぼ同じ。トマトソースとチーズ、スライスしたソーセージを入れている。お客さんに出しているメニューと基本的に同じだが、賄いなので具は少なめでソーセージは端の小さい切れ目の部分を使っている。

 侯爵家のメイドとカウンター業務を代わって、カフェオレとパニーニを載せたお盆を持ってテラス席に座ったところに、長身の人影が現れた。

(……あっ、ユーレック様だわ!)

 なぜか、私の胸は彼を見るとドキドキしてしまう。

 なんだろう……このよくわからない感覚は?

 何て言ったって美青年だし、危険なところを助けられたから、私の心臓がユーレック氏を見ると喜んでしまうのかもしれない。

 今日の彼も、とても素敵な装いだった。

 白いドレスシャツに体の線をぴったりと出すダークグレーのベスト、黒地に白の細いストライプのトラウザーズ、足元の黒の革靴はぴかぴかに磨き上げられている。

 今日は、オフィシャルな用事でここに来たわけではなさそうだ。

 ネクタイをしていないため胸元が少し覗いており、また心臓がドキドキとうるさいほどに騒ぎ始める。

 微風が彼の黒髪を揺らしている様子をぼんやりと眺めていると、不躾な視線に先方も気づいた様子だ。

「あっ……、カタリナお嬢様! こんにちは」

 午後の太陽にも負けないほどの美貌で、ユーレック氏は微笑みかけてくる。

 あまりに神々しくて目が眩んでしまうほどだ。

 しかし、ひるんではいけない! 私はテスト店舗であれ、このテラスカフェの経営者なのだ。

 つまり、有望顧客に対しては営業スマイルをしなければ! それが輝くばかりのイケメンだろうが何だろうが関係ない。

「ごきげんよう、ユーレック様。先日はありがとうございました!」

 にっこり笑う私に、彼のほうも満面の笑顔を向けてくれる。

「今日はお会いできてよかったです」

「え……?」

「いえ、昨日もここに来たのですが、あいにくカタリナお嬢様は支配人とお話をされていたようなので……パニーニをテイクアウトして、ランチにいただきましたよ」

「まあ、ありがとうございます! お口に合いましたでしょうか?」

「ええ。生地のカリカリした触感とチーズのなめらかさが、何とも言えませんでした。今日も食べたいな、と思って来たんですよ」

 有望顧客になってくれるかもって思っていたら、本当になってくれた!

 顔と心が綺麗なだけではない。ユーレック氏は、私にとって天使様のような人だ。

「うれしいです! ユーレック様のようなビジネスマンの方を想定して、このお店のメニューを作っているので、いいご意見を聞いてほっとしました!」

 ほっとしてそう言うと、ユーレック氏は私の手元のお盆を見た。

「……もしかして、これからお食事ですか?」

「ええ。さっきまでけっこうお客さんがいらっしゃったので……ようやく、交代で休憩に入るところなんです」

「実は、私も食べそびれてしまって……いま買ってくるので、よかったらご一緒しませんか?」

「えっ……!?」

 その申し出に、私の心臓はドキドキを通り越してそれこそ飛び出してしまいそうだった。

 ランチ時間だとしても、イケメンとデート?

 それは、なかなか貴重すぎる体験だった。

 断ったらもったいない、というより……お断りする理由は何もない。相手は、私の危機を救ってくれた恩人なのだから。

「わ、わかりました! では、ここでお待ちしております!」

「……よかった! すぐに戻りますね」

 そう言って、ユーレック氏はだいぶ人が少なくなってきたカフェのカウンターに行って、注文をした。

 すっと姿勢がいい長身の後ろ姿に、思わず見惚れてしまっている。

 彼に魅了されているのは、私だけではない。

 カウンターで接客している侯爵家のメイドたちも、驚くほどの美青年と話をしているとあって顔を赤らめている。

(あぁ……やっぱり、私の審美眼は正しいんだわ)

 つくづく、そう思った。

 本当に王都に来てよかった。もし、南部地方にずっといたとしたら、あのクズ男のフィリップが史上最強のイケメンだと思い込んでいたのだ。

 それを思えば、エレオノール嬢にも感謝してしかるべきだろう。

 彼女はとてつもない女豹だが、彼女がいたお陰で私は婚約破棄からのカフェ経営の夢を見ることができた。感謝してもしきれない。

 災い転じて福となる、とはこのことを言うのだろうか。

(今頃、あの二人はどうしているのかしらぁー?)

 上機嫌で他人の心配をしてみた。

 私はこれから、ウキウキワクワクのデートをするので、南部地方のクズカップルもせいぜい楽しくやっていればいいと思った。


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