第11話 天敵との再会!


 突然のエレオノールの出現に、私は思わず言葉を失っていた。

 南部地方でくすぶっているはずの彼女が、なぜ王都にいるというのだろう?

 フィリップにくっついてベルンにいるならまだしも、ここで鉢合わせするなんて冗談にも程がある。

 ……ただ、貴族令嬢が王都の社交界に出入りすることは稀であっても、けっして皆無ではない。

 ただし、ベルトラ子爵家はことさら名家と言える家柄ではない。もともと、近隣の公爵家の家臣を務めており、先々代が長年の功績で子爵位を賜った。

 エレオノールの父であるベルトラ子爵は、新興貴族やブルジョワと同じように南部地方で小さな事業をしているはず。

 そこが、私の中で少し引っかかっていた。

「……エレオノールお嬢様。ごきげんよう、お久しぶりですわね」

 椅子から立って、私はにっこりと微笑んだ。

 元婚約者を寝取った女とは言え、表面上は昔からの友人ということになっている。

 平然と挨拶ができなければ、礼節に反するというもの。

 しかも、相手は私が寝取られた事実を知らないと思っているのだから、優しい嘘はついて然るべきである。

「ごきげんよう。いかがですの? 王都での生活は」

「すべてが順調ですわ」

 その答えを聞いて、彼女はわかりやすく意地悪な笑みを浮かべた。

「あら、それはよかったですわね! 風の噂では、ティールームの真似事をしていらっしゃるとか……」

 いやに、情報が早いじゃないか。

 警戒心を露わにする私に、エレオノールはこれ見よがしに左手の薬指の指輪を見せつけてきた。

 燭台の灯りに、黄金の台の上に載ったダイヤモンドがきらきらと輝く。

(……フィリップと婚約したってこと? 嫌味な女だわ)

 その暗黙のサインに、あえて気づかないふりをする。

「ところで、エレオノールお嬢様はなぜこちらに?」

「……ふふ。婚約者が招かれたので、パートナーとして参加いたしましたのよ。先日、彼が王都に転勤になりましたの」

 それを聞いて、背筋がゾクッとした。

 最悪だ……フィリップが王都にいるなんて!

 たしかにこのベルクロン王国の官僚には、転勤というものが付き物らしい。

 まだ文のやり取りをしていた頃、フィリップは王都で働くのが夢だと何度か書いて寄越してきた。

 それを読んだ私は、そういうことがあってもかなり先の話だと思っていたけれども、こんな風に働き始めて一年くらいで転勤とは早いような気がする。

 特別な才能でもあるのか、それとも何かコネを利用したのか……。

「その婚約者というのが、誰だか気になりませんこと?」

 もったいぶった口振りをされると、何だか腹立たしい。

 そう来たら、私ももったいぶって知らないフリでもしてやるか。

「……あら、わたくしが知っている殿方でいらっしゃいますの?」

「もちろんですわ……だって……」

 そうエレオノールが言いかけたところに、彼女の後ろに男性の姿が現れた。

「こんなところにいたのか、エレオノール!」

 その声……その姿かたちは、見間違えることはない。

 私の婚約者だった、フィリップ・グラストン侯爵令息である。

「あ……何で……、カタリナがここに……!」

 彼は私の顔を認めると、まるで亡霊を見つけた人のようにぶるぶると震え始めた。

(あらら、面白いじゃないの! もし、私がフィリップに想いを残していたら、すごい修羅場になるわよね)

 そんなことを思いながらも、私は元婚約者に微笑みかけた。

「あら、グラストン侯爵令息。ごきげんよう……エレオノールお嬢様から聞きましたわ。王都に転勤になったそうですわね、おめでとうございます」

 それを聞いて、エレオノールもフィリップも唖然としている。

 おそらく、私があまりにも平然としているからだろう。

「あ、あの……君とのことは、仕方がなかったんだ。あんな手紙だけで、申し訳なかったと思っているんだよ」

「……こんな場所でわざわざ謝っていただかなくても結構ですわ。ただ、できればこうした場所で話しかけていただかないほうが、お互いのためだと思いませんこと?」

 にっこりと正論を述べる私に、二人とも強張った表情をしている。

 そうするうちに、皿を手に持ったユーレック氏が戻ってきた。

 一人でぽつんとしていたら、エレオノールの思う壺だった。ここはイケメンといちゃついて私が元気だということを見せつけなければ。

「あーっ、リオネルさまぁ! こっちこっち!」

 ぱっと明るい笑顔で、ユーレック氏に私は手を振った。

 その場の状況が読めない様子で、ローテーブルに皿を置く。

 彼の両手が開くのを見て、私はギュッとしがみついた。

「あの……その男性は、いったい……?」

 怪訝そうな表情のフィリップに、私はきっぱり言い切った。

「恋人ですの。私たちデート中なので、お二人ともお引き取りくださらない?」



 静けさが戻ったバルコニーで、私はユーレック氏に頭を下げた。

「ごめんなさいっ! 勝手に恋人とか言ってしまって!」

「あぁ……顔を上げてください。ご事情があったのでしょう? 私でよければ、話していただけないでしょうか。もちろん、無理にとは言いませんが……」

 なんて、優しい人なんだろう?

 こんな風に慰められると、ついつい心がぐらぐらと揺れてしまう。

 憧れの人のままでいいのに、それ以上を求めてしまいそうで怖かった。

 顔を上げると、心配そうな表情をした彼の美貌がそこにある。

 さっき、あの二人に言ったみたいに恋人同士だったらいいのに……そうしたら、彼の胸に飛び込んでいたかもしれない。

 ただ、そういう関係性ではないから、冷静になってあんなことを言ってしまった原因だけは説明しよう。

「……湿っぽい話になってしまうかもしれないですが、大丈夫ですか?」

「問題ありませんよ」

 そう言ってもらったので、私は王都に来た本当の経緯を話し始めた。

 これまでも、彼に尋ねられたことはあったけれど、適当に誤魔化してきたのだ。

 ふつうに考えたら、南部地方の貴族の令嬢が王都に一人で来るケースは珍しい。

 父親が国王の側近か中央の官僚ならともかく、エルフィネス伯爵家は名門とは言っても政治と関わりを持たず、領地経営を地道に行っている一族である。タウンハウスも持たず、王都に赴く機会はほぼない。

 その娘の私が、親戚がいると言っても一人で王都にいるのがユーレック氏としても不思議だったのだろう。

「……そうでしたか。デリケートな話題なのに、尋ねてしまって申し訳ありませんでした」

 当の本人よりも、ユーレック氏のほうが沈鬱な表情になっている。

 たしかに、内容は衝撃的だったに違いない。

 万が一、自分が友人と婚約者に裏切られたとしたら……そう思ったら、誰しも心が乱されてしまうものだろう。

「いえ……リオネル様に話せて、すっきりしましたわ」

「私はカタリナお嬢様のことを尊敬します」

 ユーレック氏は、静かにそう言ってくれた。

「そんなひどいことをしてきた相手に、あんな風に堂々と渡り合うなんて。もし、私が同じ立場だったら取り乱していたでしょう」

「……そんなに褒められるようなものではございませんわ。結局、わたくしは元婚約者に気持ちがなかったというだけの話ですから」

 そう言いながら、私は彼が持ってきてくれた前菜をつまみ始めた。

 何種類かあるけれど、フレッシュチーズとブラックオリーブが載ったカナッペが美味だった。葡萄酒に合うものということで、料理長が作ったのではないだろうか。

 いつも夜会などに出ると、壁の花だったのは本当だ。

 壁の花というかビュッフェテーブルの近くに陣取って、ダンスの申し込みを断り続けた壁の花とは私のこと。

 フィリップが婚約者になったことでよかったことは、断る口実があったことだ。

 まぁ、その程度の存在でしかないからクズカップルが目の前に出てきても、動じなかっただけかもしれない。

「あの……カタリナお嬢様」

「……は、はい! 何でしょう?」

 前菜のおいしさに気を取られてしまっていた私は、咀嚼していたカナッペを飲み込んでから慌てて笑顔を作った。

「さっき、咄嗟に私のことを恋人って言ってくださったじゃないですか」

「ごめんなさいっ」

 私は、再び頭を下げた。

 本当にそれだけは、何度謝っても足りない気がする。

 カフェの経営者としても、優良顧客の一人を手放すわけにはいかないのだ。

「いえ、違います! 違うんです!」

「えっ……?」

「むしろ、それがうれしくて……たしかに少し驚きましたけれど、私はあなたと今よりはもう少し親しくなれればいいな、と思っていたので……」

 驚きのあまり、私は目をこすった。

 こんなに都合のいい話があるだろうか?

「あの……リオネル様。本当にそう思ってくださっているのですか?」

「ええ、もちろん」

 恐る恐る目線を上げると、ユーレック氏の真摯な青い瞳にぶつかった。

「カタリナお嬢様。新興貴族の私では、伯爵令嬢に交際の申し込みをするのは不遜だとは思います……しかし、私の気持ちを受け入れて……その、お……お付き合いをしていただけないでしょうか?」

 いつもは冷静で自信がある様子の彼が、私の顔色を窺いながら不安そうな表情をしている。

(……ほ、本当に!?)

 脳内では、いち早く小躍りしてしまっている自分がいる。

 カフェ経営と恋愛……二兎追うもの一兎も得ず、と思っていたけれど、二兎を得られるかもしれない!

 その予感にウキウキが止まらない。

「……お付き合い、させてくださいっ! ぜひ、よろしくお願いいたしますっ!」

「ありがとうございます……! これから、絶対にお嬢様に釣り合う男になります。そうしたら、その時は私と婚約してください」

 ユーレック氏はそう呟いて、私の手の甲に口づけを降らせる。

(素敵だわ……! リオネル様とお付き合い? 婚約……!? 最高じゃない!)

 心の中の小躍りは、激しくなる一方だ。

 彼の唇の感触は葡萄酒より甘く、私は未知の陶酔に浸ることになった。



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