第12話 美青年の一途な想い
――楽師が奏でる円舞曲の明るい調べ。
フロアの中央でダンスを楽しむ男女たちは、さながら薔薇の都と言われるこの王都の春に咲く大輪の花々よりも豊かな彩りを、サルヴァドール侯爵邸に添えている。
舞踏会は盛会であり、誰しもがこの場所の空気を楽しんでいるように見えた。
そう……冷ややかな表情をしている、パートナーの顔を見るまでは。
「あら、グラストン侯爵令息。ごきげんよう……エレオノールお嬢様から聞きましたわ。王都に転勤になったそうですわね、おめでとうございます」
彼女は見知らぬ男性に話しかけている。
もう一人、女性がいるところを見ると三角関係のもつれだろうか……。
「あ、あの……君とのことは、仕方がなかったんだ。あんな手紙だけで、申し訳なかったと思っているんだよ」
「……こんな場所でわざわざ謝っていただかなくても結構ですわ。ただ、できればこうした場所で話しかけていただかないほうが、お互いのためだと思いませんこと?」
気丈に振る舞っているようだが、傍から見ると彼女が無理をしていることは歴然としていた。
この世の春を謳歌するような場所にいるというのに、どこか寂しげな表情をしているのが気になって仕方がない。
これ以上、三人の空気を悪くするよりは自分が登場することで、何か突破口を見出せないものだろうか。
そう思って、素知らぬフリをして出て行った。
「あの……その男性は、いったい……?」
「恋人ですの。私たちデート中なので、お二人ともお引き取りくださらない?」
彼女の口から出た単語に、私の心臓は鷲掴みにされてしまう。
(こ、恋人……!?)
それは、これまで生きてきた二十二年間の中で、一番胸が高揚するときめきを感じる言葉。
その瞬間、思ったのだ。
いや、ずっと潜在意識にあった気持ちが、頭を擡げただけかもしれない。
この人をもっとしあわせにしてあげたい、という想いが――。
私は、リオネル・ユーレック子爵――もとは平民で、爵位を金で買ったいわゆる新興貴族である。
それに付け加えるのであれば、貴族の血が半分流れている私生児だ。
王都で調香師をしている母は、未婚のままで私を産んだ。
その後も誰とも結婚せずに女手ひとつで事業を拡大し、息子をアカデミーに進学させるだけの余裕のある職業婦人になった。
父親は調香の勉強をしていた頃に出会った貴族だと聞いている。妻子があったため、結婚することができなかった、と聞いた。
……妻子がなかったとしても、身分差がある結婚はむずかしい。
このベルクロン王国では、かつてのように王室や旧来の貴族の権力は弱まる一方だ。
政治を決定する議会は、旧来の貴族が主体となる貴族院と新興勢力が主体となる庶民院の二つに割れ、ブルジョワたちの意向も国の政策に影響を与えるようになった。
だからと言って、まったく貴族の地位が疎かになっているわけではない。
名誉と同じだけの力を持つものは、経済力である。
そのため、アカデミーの在学中に、私は事業を立ち上げた。アカデミーで出会った有力貴族の子息や各国の権力者の子息の助力を得て、まずは母の自慢の香水を異国に輸出することから始めた。
事業は思っていたよりもうまくいき、扱う商材も次第に増えた。卒業を迎える頃には数人を雇う商会を運営するようになった。
利益を得るために交渉することも、数字を追いかけることも私にとって苦ではない。
しかし、仕事を続けるうちに、平民ゆえの蔑みや差別が存在することを知る。
ベルクロン王国の上流階級の人々と対等に話をするには爵位も必要だと悟って、没落貴族から子爵位を買ったのは二年前のこと。
ただの平民の商人と新興貴族では、交流できる相手も変わる。
有力貴族の屋敷に招待されるようになった私は、あまり動きたがらない彼らの手足となることで信頼を得て、二年のうちに王室の仕事を任されるまでになり、さらに資産を増やしていった。
すべては順調で、なにも不足はない。
……しかし、心を揺さぶられることも何もない。
そう思っていた頃、出会ったのだ……カタリナ・エルフィネス伯爵令嬢と。
初めて見た時から、可愛らしい女性だと思っていた。
金色にきらきらと輝く長い髪、淡いブルーの瞳は大きくて感情を豊かに表現してくる。
困っていた彼女を助けた礼に手渡された焼き菓子は、これまでに食べた何よりも口に合った。
ほんのりとしたバターの香り、やさしい甘さ、ふわりとした触感――。
一個だけでは足りない。そう思わせる中毒性が、そのお菓子……フィナンシェにはあった。
それはまるで、カタリナ嬢本人のように甘い誘惑だった。
調香師の母は多忙だったのもあり、家で食事を作ることはなかった。近所に住んでいた叔母が持ってきてくれた総菜で済ませたり、酒場にいっしょに行って食事をしたりすることが多かった。
だから、カタリナ嬢が手作りだと言って渡してくれたフィナンシェのおいしさは、ことさら印象深かった。
(こんな人と結婚したら、毎日おいしい料理を作ってくれるのかな……)
そんなふわりとした思いは、彼女のカフェで買い求めたパニーニを食べると、さらに大きいものになっていった。
彼女はきっと、私の胃袋を掴む天才なのだろう。
もっと、彼女のことを知りたい――そんな渇望は、日を追うごとに大きくなっていく。
彼女の姿を一目見るために用もないのにホテルに行き、菓子や食事を買い求めた。
経営者というだけあって、カタリナ嬢は支配人と話をしていることもあり、なかなか多忙そうである。
ようやく二人で話ができた時には、私は天にも舞い上がるような気分だった。
「もしかして、カタリナお嬢様は南部地方のご出身ですか?」
「はい」
「ああ……では、ご実家というのはエルフィネス伯爵家でいらっしゃるのですね。どうりで所作が美しいと思っておりました」
気になっていたことの回答を得たものの、実は石で殴られたような衝撃を感じていた。
彼女が身につけていたヘッドドレスとエプロンのせいで、彼女は平民だと勘違いしていた。
――が、話す言葉の美しさや所作の優雅さを見て、違和感を覚えていたのだ。
それもそのはず、彼女の実家は南部地方で有数の伯爵家。そこの令嬢であれば、ふつうは同等の家門の貴族の子息と結婚するものだ。
私と彼女の間にある、圧倒的な身分の差――そこに、思わず愕然とした。
これからカフェを経営しようとしている平民の娘であれば、すぐにでも求婚することもできただろう。
私は独身だし、それなりに資産を持っている。平民……いや、ブルジョワや新興貴族の家であれば、娘を嫁にやるのに不都合はないはずだ。
だが、相手が貴族の令嬢となると、話は違ってくる。子爵位を持つと言っても、私はしがない商人あがりの新興貴族なのだから。
自分の母が父と結ばれなかったのも、平民と貴族という身分の差が原因。しかし、二人の間には他にも障害があった。父が妻帯者だったということ。
ただ、まだ私には救いがある。
新興貴族とはいえ、私にはこの王都の有力貴族と同等の資産があり、今後、彼女が欲するだろうカフェ経営への手助けもできるということ……。
だから、しばらくはほのかな恋情を隠すつもりだった。
――が、カタリナ嬢が他の男性と対峙するのを見て、理性を失っていた。
しかも、相手の男には見覚えがある。
おそらく、同じアカデミーに通っていた貴族の子息だろう。学年が違うので名前までは知らないが……。
彼女からその男から婚約破棄をされたと聞いて、憤慨する一方である意味、感謝もしていた。
なぜなら、その一件がなければ私はカタリナ嬢と出会うことがなかったから――。
生まれながらの身分は、変えようがない。
しかし、彼女を大事に思う気持ちは誰にも負ける気はしなかった。
それに、親の家督を継いだりコネで官僚になったりする甘ったれた青年たちに比べたら、私のような事業家のほうが彼女の夢を理解できるはず!
そう思って、私は一世一代の決心で彼女に告げた。
「新興貴族の私では、伯爵令嬢に交際の申し込みをするのは不遜だとは思います……しかし、私の気持ちを受け入れて……その、お……お付き合いをしていただけないでしょうか?」
真っ赤な顔をして快諾してくれた彼女に、私は自分の命さえも捧げる決意をしたのだ。
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