第17話 ドキドキのご自宅訪問
リオネル様のご自宅兼事務所は、沿道に薔薇が咲き乱れるメインストリートに面した三階建ての大きな建物だった。
赤い煉瓦造りの連棟式建物で、右側の棟の一階がリオネル様のお母様が経営している香水店、左側の棟がユーレック商会の事務所になっている。
調香師をされているお母様が先に右側の店舗を借りていたそうだが、リオネル様の事業が成功したと同時に左側の店舗が空いたため、隣に事務所を移してきたそうである。
建物についても、ユーレック商会が持っているという話だった。
貴族のたしなみである香水を扱っているというだけあって、ユーレック家の周辺は高級な服飾店や装飾品店が軒を連ねている。
前世でイメージするなら、東京の銀座のような雰囲気だろうか。
その割には食事をする場所は少なく、ティールームとレストランが一店舗ずつあるだけ。
一階で店を出し、二階以上を住まいとしているブルジョワが多いため、貸店舗が少ないと言うことだった。
リオネル様のお母様の香水店も、上品な貴婦人を顧客にしているだけあって、内装は深い緑に金色をベースに配色されており、高級感があるもの。
大小さまざまな香水のボトルと、原材料になっている花をドライフラワーにしたものがウィンドーに飾られており、外で見ている私まで爽やかな香りを嗅いでいる気分になった。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、黒髪に琥珀色の瞳をした美しい婦人が私を見て声をかけてきた。
「あら……もしかして、カタリナさんかしら?」
「……はい! 初めまして。カタリナ・エルフィネスです」
ドキドキしている私に、彼女はにっこりと微笑む。
「初めまして、リオネルの母です。息子は二階にいるから、先に上がっていてくれる? 私もここを締めたら行くわ」
「わかりました。お邪魔させていただきますね!」
予想以上にお母様が好意的で、私は胸を撫で下ろす。
だって、いやじゃないか……これからも度々リオネル様にはお世話になるというのに、実のお母様に敵視されていたら。
その第一関門はクリアした。
続く第二関門もその次もあるかもしれないけれど、まずは幸先いいスタートである。
カウンターの横の階段を上っていくと、そこは居住空間になっている。
扉の数からして三部屋はあるのだろうか……間口よりも奥行があるから、三階部分もあることを考えれば、リオネル様と二人で住むには広すぎるくらいだろう。
しげしげと観察していると、奥の部屋からリオネル様が顔を覗かせた。
「あ……いらっしゃい!」
「こんにちは! あれ……お料理されているんですか?」
私はリオネル様の格好を見て、びっくりした。
首元を開けた白いシャツに黒のトラウザーズ、そして、麻でできた紺色のエプロンをつけているのだ!
(うぁー! イケメンのカフェ店員みたいじゃないっ)
思わず、脳内がお花畑に早変わりする。
いつもは青年実業家にふさわしいかちっとしたスタイルをしているので、リラックスしたご自宅での格好のギャップに、私はすっかりやられてしまった。
「……そんなに見ないでください。恥ずかしいので……」
と、リオネル様は頬を赤らめて私から視線を逸らす。
「母がけっこう忙しくしているので、自宅で食べる時は食事の支度は私がしたりもするんです。週に何度かは叔母が手伝いに来てくれるけど、今日は自分でやろうかなって思って……」
ふわりと、おいしそうな匂いが漂ってくる。
スープの香りに、肉が焼ける香ばしい匂い。どうやら、この家では暖炉を使って調理しているようだ。
「いえ、うれしいです! おいしそうなお肉もあるし……リオネル様がお料理上手だなんてびっくり!」
「いえ、全然。なんの男の適当な料理だし、肉に塩を振って焼くくらいですよ。野菜の皮を剥くとか切る、とかが苦手で……ちなみに、スープは今朝、叔母さんが持ってきてくれたものを温めているだけです」
謙遜しているけれど、この国の身分がある男性で厨房に入って自分で料理する人なんてすごく珍しい。
私にとって、それはすごく好ましいことだ……エプロン姿で、肉の焼き加減をチェックする後ろ姿が何だかセクシーに思えてくる。
ハッと我に返って、私は尋ねた。
「あの、お手伝いすることはありますか?」
「あ……いえ、お客様にお手伝いさせるなんて……」
「いえ、仕事でも飲食業やっているのでお気軽に!」
「すみません。だったら、皿をテーブルに並べていただけたらありがたいです。適当に選んでいただいて構いませんので」
「はい! やっておきます!」
そう意気込んで、オーク材の食器棚から白い皿を取り出してテーブルに置いた。
この家は、商家の作りなので厨房とダイニングルームが一緒になっている。
エルフィネス伯爵邸やウルジニア侯爵邸と違い、高価な調度や凝った装飾品などは置いていないが、オイルランプの黄色い光や小花柄の壁紙、味のある木材の家具が部屋にぬくもりを与えていて、とても居心地がいい。
前世の庶民的な生活に馴染んでいる私は、貴族の邸宅よりも商家のほうが落ち着く気がした。
(いいなぁ、こういうの!)
ちらちらと、暖炉から肉の塊を取り出しているリオネル様を盗み見しながら、籠に入っているバケットの周りに、皿やシルバーを並べていく。
いつか……リオネル様と結婚したら、こんな風にここで食事の支度を二人でできるのかしら?
そんなことを妄想しているだけで、空腹感がどこかにいってしまう。
胸がいっぱいになると、お腹がいっぱいになるのかもしれない。
でも、リオネル様がテーブルに上げたローストビーフの肉塊とスープ鍋を見ると、途端にグーッと腹の虫が鳴った。
「あー、恥ずかしい……!」
思わず赤面してしまう私に、彼はうれしそうに微笑んだ。
「ふふ……恥ずかしがることありませんよ。私もお腹ぺこぺこなんで……母を呼んでくるので、冷めないうちに食事にしましょう」
「じゃあ、スープは盛りつけしておきますね」
「助かります!」
そう言って、彼は階下に行った。
鍋の中のスープは、具材は大きめに切ったジャガイモと人参、玉葱に塩漬け肉……ポトフである。
この国では一番ポピュラーなスープだが、この家では香草や香辛料を多めに入れているのが香り高い秘訣かもしれない。
香辛料は高価だが、リオネル様が貿易をされている関係でふんだんに使うことができるのだろう。塩だけで味つけをしても肉と野菜から旨味が出て美味しいのだが、やはりスパイス類が入ると味わいや風味が違ってくる。
盛りつけが終わった頃に、リオネル様とお母様が二階に上がってきた。
「あら、お手伝いさせてしまってごめんなさいね。さっそく食べましょうか」
「はい!」
おいしい食事と葡萄酒、リオネル様とお母様とのおしゃべり……そして、食後のデザートには自慢のフィナンシェ!
ありがたいことに、お母様は私の焼き菓子を大層気に入ってくれた様子で、今度お店に買いに行きたいとまで言ってくれた。
気さくで家庭的な雰囲気の中で楽しむユーレック家での夕食は、予想以上に心温まるものとなった。
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