第18話 ファーストキスはお菓子よりも甘く
今日の訪問は、夕食が主目的ではない。
そう……今後やるべきお仕事の一環で、リオネル様に色々と教えてもらわねばならない。
食事の片づけはお母様にお願いして、私たちはユーレック商会が使っている棟の二階にある、リオネル様の書斎で打ち合わせを始めた。
今、ベルクロン王国では南部地方で採れる鉱石と、魔法省の魔法師たちが作った魔法石を燃料とした鉄道事業が急ピッチで進められている。
その鉄道敷設工事に使う資材の受発注をユーレック商会が行っているとは前々から聞いていたが、リオネル様のデスク周りにも地図や資料が山積みにされていた。
きっと、私と夕食デートをした後も家に戻ってここで仕事をしているに違いない。
部屋の片隅には仮眠がとれそうな長椅子、そして、畳んだ毛布が置いてある。
(わぁ……忙しそう)
そんな多忙な人の好意に甘えて、色々とお話を伺う自分に罪悪感を覚えてしまう。
しかし、そんな私の心配をよそに、リオネル様は私が持ってきた事業計画書を熱心に読んでくれている。
一通り読み終わると、彼は驚いたようにこう言った。
「……これは、すごいですね。貴族のお嬢様が考えたとは思えない出来です。特にこのフランチャイズ方式?というのは、労力を最小限に留めて最大限の利益を得る方法として、すごく興味深かったです」
「ありがとうございます!」
事業を行っているプロの目線で、褒めてもらえてうれしかった。
たぶん、私は褒められて伸びる子。大好きなリオネル様に、もっと褒めてもらえたらもっと伸びる気がする!
「資金は当面は問題なさそうだし、求人も進めている状況……あとは、この店舗を出店する場所をどこにするかっていうところですかね。それによって、収益が変わってきますから」
「そうなんですよね……不動産屋に行っていくつか内覧したんですけど、空き物件が少ないうえに、どこもいまいちピンとこなくて……」
困り顔の私に、リオネル様も頷いた。
「たしかに、王都は物件探しには苦労しますよね。王室が土地を持っていて、売買や賃貸をするときには王宮に許可をもらいに行かなければいけない……私は母の伝手があったので何とかなりましたが、そうでない方々はむずかしいでしょうね」
「叔母や叔父からも、王都で事業を営むのはむずかしいと聞いております。羨ましいですわ、リオネル様もお母様も……こんな素敵な場所で、お店が出せるだなんて」
軽くそんなことを口走ってしまったが、お二人ともここまで成功するのにそれなりの努力をしてきたはず。
(あっ、まずいことを言ったかしら?)
そう思って内心慌てているが、リオネル様は思いがけないことを言い出した。
「ユーレック商会は、ここ以外にもう一軒、事務所兼倉庫を借りているのです。駅に近いほうが、物資のやり取りにも好都合ですから」
「そうなんですね」
「その倉庫がまだスペースが余っているし、ここの一階の奥と三階は、ほとんど輸入品の仮置き場になっています。倉庫の整理をしてから、一階を賃貸に出そうとしていたところなんですよ」
それを聞いて、私は彼が言おうとしていることがわかった。
たしかに、この棟の一階は商会の事務所として使っているようだけれど、店舗のように路面に面していなければ、客足が遠のくわけではない。
リオネル様が言うように、倉庫に荷物類は移動させて事務所を二階と三階に移し、一階のワンフロアは賃貸人を募集するのがいいだろう。
ここは、メインストリートに面する一等地。それなりの賃貸収入を得ることができるはずだ。
「でも、それもあまり具体的な話ではないのです。たしかに、ご商売をされている方に打診を受けたことはあるのですが」
「そうでしょうね。ここで事務所や店舗を出すのは、誰もが夢見ることですから」
私の言葉に、リオネル様は視線を彷徨わせる。
「あの……もしよろしければ、の話ですが」
「はい?」
「……ここの一階で、カフェをオープンされるのはいかがですか……? そうすれば、私もすぐにカタリナお嬢様のお顔を見ることができますから」
その提案は、私にとって願ってもないことだった。
メインストリートに面した場所には競合店が少ない。贅沢品を買い求める人が行き交う割に、ティールームは一つしかない。
そこも午後の時間は常に満員で、イザベラ叔母さんによれば予約は受け付けていないので、買い物の前にウェイティングリストに名前を書いておかなければお茶を片手に休憩をすることすらむずかしい、と言う。
絶対にティールームがいいという上品な貴婦人方は別として、この通りにはもう少しカジュアルな店でもいいという人々も多い気がする。
例えば、他国からの来訪者やこの辺りで店を経営している人々、私くらいの世代の貴族の令嬢たち――。
色々な人たちに、私が作ったお菓子とおいしいコーヒーや紅茶で憩いの時間を持ってもらいたい。
その願いが、リオネル様のお陰で叶おうとしている……!
「ありがとうございます、リオネル様! ぜひ、お借りしたいです。なんと、お礼を申し上げたらいいか……!」
うれしさのあまり、斜め前に座っていたリオネル様に抱きついた。
「えっ……、カタリナお嬢様……」
明らかに狼狽する彼の声が、耳元を擽ってくる。
「あぁ……! わたくしったら、ごめんなさいっ!」
我ながら大胆な行動をとったな、と後悔して体を離そうとした。
しかし、逆に背中を強く抱き寄せられてしまう。
「リオネル様……?」
小声で問うように名を呼ぶが、返事はない。
「……あなたが愛しくて、堪らない……」
低い声で囁かれる甘い言葉に、体の芯が熱くなってくる。
髪を撫でていた手が頬にかかり、私は顔を仰向かされる。
目の前にある彼の顔は、クリーム色のランプの光に照らされてとても美しく、抗えない魅力に満ちていた。
不意に彼の視線が私の口元へと下がる。
(あ、もしかして……)
そう思った時には、唇にあたたかいものが触れていた。
そう……リオネル様は、私に口づけをしてきたのだ!
思いがけず柔らかな感触に、胸が早鐘を打つ。
前世でも恋愛と無縁だった私は、これが初めてのキスだった。
彼が触れ合った箇所が、どうしようもない熱を帯びる。
もっとしてほしくて、もどかしくて堪らないような気がして……。
――その時、外から聞こえたのはコンコンとドアをノックする音。
「すみません、社長! 明日のお打ち合わせの件で、ご相談させていただきたいのですが」
おそらく、さっき一階の事務所で残業をしていた社員だろう。
リオネル様は、頬を赤らめながら私の体を解放した。
「すみませんでした、お嬢様……こんなつもりでは……」
「いえ、大丈夫です! お気になさらず!」
慌てふためきながら、ドアを開けて社員と話をしているリオネル様はすっかり経営者の顔に戻っている。
初めてのキスはとても甘かった。
それはまるで、お菓子作りで使うバニラエッセンスを嗅いだ時に覚える多幸感。
すでにお仕事モードに入った彼の後ろ姿を眺めながら、私は不思議なほど胸を揺さぶられ続けていた。
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