第19話 深まりゆく愛情


 念願の路面店「カフェ・カタリナ」がオープン日は、リオネル様のご自宅デートから約二ヵ月後に決定した。

 家主がリオネル様ということもあり、周辺の半分程度の相場で賃借ができた。予定よりも早めに開店できるのは、ひとえにリオネル様が法務手続きを一手に引き受けてくれたから。

 「カフェ・カタリナ」を本店とし、ホテルのカフェをフランチャイズ加盟店にする契約書についても、つつがなく締結された。

 ホテルの支配人もこの新しい方式に理解を示してくれた。もし、私たちの店で人手が足りない場合にはホテルのスタッフを研修という形で行かせると約束してくれたのだ。

 唯一、残念な点といえば、店舗にテラスがないこと。

 妥協案として、晴れの日は道路にテーブルを出してパリのカフェっぽくしようかと思ったが、あいにく道路を管理する役所の許可が取れなかった。

 そんな私の嘆きを聞いたリオネル様は、二階のメインストリートを見下ろせる部屋も、カフェスペースとして提供してくれた。

 ユーレック商会の荷物は私たちも手伝って片づけたので、二階の半分と三階だけで問題なく仕事ができる状態になっている。

 本当に、今回の件でリオネル様には頭が上がらない。店舗の提供から書類手続きのご指導、そして、役所への届け出にも同行していただいた。

 あまりに申し訳ないから、オープン前日に書斎に謝礼をお金で持って行ったが固辞されてしまった。

「恋人なんですから、これくらいは当然です。むしろ、カタリナお嬢様に頼ってもらえてうれしいのに、そのうえお金なんて受け取れませんよ」

「えー! それじゃあ、私の気持ちが収まりませんっ」

 なかなか引き下がらない私に、リオネル様は少し考えてからにやりと笑った。

 好青年を絵に描いたような彼に似合わない、ちょっと意地悪そうな表情で――。

「……お礼だったら、頬にキスしてください」

「えっ」

「あっ、物足りないですか? 口にしてくれてもいいですよ!」

 そんなことを言うなんて、今日のリオネル様はなんだか大胆だ。

 前に、触れるだけのキスをした。でも、それ以降は準備作業に追われていて恋愛モードのスイッチも入らず、私たちはビジネスパートナーのような関係が続いている。

 ……というより、なるべくそうしたほうがいいのかなって思っていた。

 だって、恥ずかしいじゃない!

 これからは、同じ建物で頻繁に顔を合わせることになるんだから。

 お仕事モードと恋愛モードの切り替えがうまくない私が、カフェでもドキドキしていたらピシッと経営することができない気がして……。

 こんな風に心が乱れるのは、リオネル様のことが好きすぎるから。

 そう……こんな風に見つめ合うだけで、クズ男との出会いから婚約破棄までで感じた心の揺れの何倍もドキドキしてしまう。

 胸のときめきを抑えながら、私は平静を装って言った。

「……じゃあ、頬を出して下さい」

「はい」

 瞼を閉じた彼が右頬を出すと、私はチュっと唇を当てた。

 ほんの数秒の接触――たったそれだけで、満たされる何かがある。

 それは、もしかしたらリオネル様も同じなのかもしれない。

 うれしそうに、彼は口元を綻ばせた。

「カタリナお嬢様のお陰で、明日からも仕事を頑張れそうな気がします」

「え……そんなこと!」

 謙遜すると、青い澄んだ瞳が眩しそうに眇められた。

「本当ですよ。身近にあなたがいるだけで、力が湧いてくるんです。これから、一緒に頑張りましょう」

 優しい笑顔でそう言われて、私は大きく頷いた。

「私も、こんな素敵な場所でカフェがオープンするのがうれしいです! お客さん、来てくれるのかちょっと心配だけど……」

 不安を口にした私に、彼は太鼓判を押してくれる。

「あなたの努力は、私がぜんぶ知っています。大丈夫、成功しますよ」

 その言葉に、どれだけ勇気づけられたことだろう?

 本当はこれまで、心のどこかでずっと不安に思っていた。

 でも、店舗を出したいって言い出した私が弱音を吐いちゃいけないから、マドレーヌにさえも心のうちを吐露することはできなかった。

 なのに、なぜかリオネル様には素直に言葉にできてしまう。

(あぁ、そうか……)

 私はようやく気づいた。

 こういう何気ないものが、愛なんだって。何も話さなくても気まずくなくて、誰にも話せない気持ちを話せてしまう、とても不思議なもの。

 そういう人間関係が、転生してから私の周りにあっただろうか?

 エルフィネス伯爵家に生まれ、一人娘として大事にされたはいいが、両親は私に愛情を向けていたのかよくわからない。

 そもそも、利害関係で結婚する貴族の家庭に愛があるのかさえも。

 貴族の子どもは、幼い頃から実母ではなく乳母の手で育てられる。高位貴族になればなるほど子どもとの関わりは少なくなるのが、この世界の常識なのだ。

 それに対して平民の家庭は……リオネル様とお母様との関係は、すごく好ましいものだった。

 彼は母子家庭だが、人間味のあるあたたかな環境で育ったことがわかる。

(だから、私も彼に惹かれるのかな……?)

 この前から心の中に引っかかっていたものが、ようやく解き明かされた気がする。

 転生者だという疎外感が、彼といれば薄れて寂しさも感じなくなる。

「ありがとうございます、リオネル様……」

 微笑みながら彼をみつめていると、開け放たれたままの扉の向こうから咳払いが聞こえる。

 そう言えば、屋敷までの護衛にマルコが迎えに来るはずだった。

 たぶん、一階のチェック作業を済ませたマドレーヌが、私が降りてくるのが遅いので様子を見に来たのだろう。

「す、すみません……では、また明日……」

「はい、おやすみなさい」

 慌てて書斎を出ると、にんまりしているマドレーヌに出くわす。

「お嬢様、馬車が到着しております」

「あ、ありがとう……」

「仲がよろしいようで、何よりですわぁ」

 耳打ちしてくるマドレーヌに、口止め料を頭の中で計算し始める私だった。


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