第43話 王子殿下とのお見合い


 その夜は、なかなか眠れなかった。

 寝ようと思えば思うほど、どんどんネガティブな考えが頭に浮かんでくる。

 もしかして、すでに私のことなんて忘れているんじゃないか。他にもっと好きな女性ができたんじゃないか……。

 そんなことをグルグルと考えて、気分が地中の奥深くにまで落ち込んだ。

 そして、落ちるところまで落ちたら、途端にイライラしてくる。

 だって、どこで歯車が狂ったのか、さっぱり理解できない。

 天敵のエレオノールが南部に戻ってからは、仕事も恋も順風満帆。楽しく毎日を過ごせていたというのに……いったい、どうしてこうなったのだろう?

(……まぁ、怒っていても仕方がないわ。建設的に考えたら、とりあえず今は寝るしかないわよね)

 心を鎮めようとするけれど、その努力はなかなか実らない。

 いつの間にか、日付が変わってしまっていた。

 ベッドから抜け出して、読みかけの本や店の帳簿をペラペラ捲ってみたものの、一向に眠気は訪れない。

 寝酒でも煽ろうと寝室の扉を開くと、真っ先に目に飛び込んできたのは、椅子に座ったまま仮眠をとっている護衛の背中。ペントハウスの出入り口ではなく、私の寝室のすぐそばにいること自体、監視の意図がはっきりしている。

 このまま逃げ出してリオネル様と駆け落ちでもするんじゃないか、と夫妻に警戒されているのだろう。

(いいなぁ、駆け落ち……)

 寝酒をあきらめた私は、そっと扉を閉じてため息を漏らした。

 駆け落ちは、愛し合っている恋人同士が合意のもとでするもの。私一人がしたいと思っても、できるものではない。

 私が想うほどには、リオネル様が私を想っていないんだろうなぁ。

 悶々としてしまい、さらに眠気は遠ざかっていく――。



 どんなに眠れなくても、残酷に夜は明けてしまう。

 窓の外にある王都の眺望は息を呑むほどだった。

 朝焼けに赤い煉瓦の民家や商店の屋根が照らされ、一際高く天に聳え立つ荘厳な大聖堂の塔や王宮の威風堂々とした建物群がアクセントを添えている。

 美しい景色を見ていると、今日に限っては何だか悲しい気分になってきた。

(リオネル様がいたからこそ、王都に行きたかったのに……)

 ツキッと突き刺さるような胸の痛み。

 マドレーヌのお陰で「カフェ・カタリナ」が順調とわかった途端、不安の矛先は恋人へと向かっていく。

 無論、私も知っている……リオネル様が携わっている事業は、ベルクロン王国の国益に関わることだって。

 鉄道網がさらに多くの地方に張り巡らされたら、交通の利便性が上がり経済が活発になっていく。

 そうした事業を取り仕切っているリオネル様がお忙しいのは当然のことだ。

 それなのに、私に時間を割いてくれたのは、たまたま近くにいる私が悩んだり苦しんだりしているのを見ていたから……私がいなくなれば仕事に精を出すのは当然のこと。

 ただ……気になる。

 王都に残っている私の最側近であるマドレーヌが、リオネル様の動向を知らないということは、そんなに私に対して興味がないということじゃないか。

(やっぱり、好きじゃないのね……私のことなんて)

 思わず、切ない気分になってしまう。

 鍵が厳重に閉じられた窓の下には、ホテルの中庭が見える。

 ホテルのスタッフたちがカウンターにかけられた覆いを取って、カフェの開店準備をしている様子がここからも確認できた。

 あそこに私が働いている時に戻れたら……そうしたら、もう少しうまく物事を進められるだろうか?

 前世でも恋愛なんてしてこなかった私に、そんな器用な真似は無理かしら?

 だとしたら、せめて彼に心を奪われる前に戻りたい。

 リオネル様と付き合い始めるきっかけになったテラスカフェ――ただ、彼のことを素敵な顧客の一人だと思えていたあの頃が、いまはひどく懐かしくて。

 実らない恋がこんなに苦しいものだなんて、私は生まれて初めて知った。

 

 

「懐かしいわぁ……また、この場所に来れるなんてね。カタリナちゃんのお陰ねぇ」

「そうだな。あの時のお前の美しさが目に浮かぶよ」

「あら、いやだわぁ、あなた! おほほほ」

 エルフィネス伯爵夫妻は、王宮に入った時から浮かれている。

 私が沈み込んでいるから、我々三人のテンションを足して三で割れば、ちょうどいい感じに浮上するのに。

 そんなことを思いながら、きらびやかな王宮の内部を眺めた。

 そこは、田舎の伯爵令嬢にとってはおそろしく居心地が悪い空間。

 赤土の煉瓦で作られた外観は、まるで中世の古い城塞を思わせるような粗野な印象があったものの、内部はここ百年ほどの間に改修されたらしい。

 希少な大理石や黄金が使われた内装は素晴らしく、どれほどの税金がここに投入されたか、思わず計算したくなる。

 侍従に連れられて私たちは優美な螺旋階段を上がった先にある謁見室へと急いだ。

 どこに行っても水晶や宝石がきらめくシャンデリア、壁には美しい絵画や美術品が飾られており、前世で言うならまるでヨーロッパの美術館のような風情である。

 その階で一番奥の部屋に、私たちは進んでいく。

 大きな扉の脇にいた衛兵が、侍従の姿を見て扉を開けた。

「エルフィネス伯爵夫妻と令嬢をお連れいたしました!」

 侍従の先触れの声と共に、私たちは中に入る。

 赤絨毯が敷き詰められた広間の奥に玉座がある。

 そこには深紅のケープを羽織った、初老の男性――ベルクロン王国の国王カルロス五世が座っている。

 その傍らにいるのは、側近らしき壮年の貴族が二人、そして、薄絹のカーテンの奥にもう一人誰かが佇んでいるのが見えた。

「ベルクロンの沈まぬ太陽である国王陛下に、ご挨拶申し上げます」

 伯爵が頭を下げるのと同時に、私はドレスの裾をつまんでカーテシーをした。

「よく来てくれた、エルフィネス伯爵……そして、ご夫人と令嬢も。南部地方からだと遠い道のりだったのではないか? 急な話なのに感謝するぞ」

「お気遣いいただきありがとうございます。陛下のご尽力によって汽車がベルンにまで通じましたので、あっという間の旅路でございました」

「おお、それはよかった……伯爵の令嬢も、もうこんなに大きくなって。わしの息子が王子妃に迎えたいと言っていたのも納得する美しさだな」

 初めて会う国王に社交辞令で誉められて、私は困ったような笑みを浮かべた。

「恐れながら、国王陛下。手紙でもお伝えしたように、娘のカタリナはグラストン侯爵令息との結婚話が破談になってからあまり時間が経っておりません。そのため、求婚の件に即答はできないと申しておりまして……」

 伯爵の説明を聞いて、国王は頷いた。

「ベルクロンは、王子たちの顔や名前を伏せることになっているからな……もちろん、今日すぐに答えが欲しいわけではないので、そこは安心してほしい」

「恐縮でございます」

 すると、国王はカーテンに顔が隠れている人物に声をかけた。

「さあ、王子よ。こちらに来て顔を見せなさい」

 国王に促され、ゆっくりとその相手は玉座に近づく。

 王族らしい礼服を身に着けており、すらりとした長身が特徴的な青年の姿に、なぜか既視感がある。

 国王に小声で何かを告げた後、彼は私たちのほうを振り向いた。

(……あっ!!)

 その瞬間、思わず声をあげそうになった。

 ……なぜなら、それは私がよく知る人物だったから――。

 

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