第42話 会いたい人はいま何処に?
護衛に伴われて、マドレーヌがホテルの応接室に姿を現わす。
「カタリナお嬢様―っ!」
私の顔を見ると、まるで懐っこい子犬のように目を輝かせる。
「マドレーヌ! おお、こっちにおいで。あなたを抱きしめさせてちょうだい!」
あまりの懐かしさに私は彼女の体をギュッと抱き寄せた。
「会いたかったわ、マドレーヌ!」
「カタリナお嬢様、私もです! 思ったよりも、お元気そうで良かったですわ!」
「そうね……店は忙しい時間でしょう? ごめんなさいね、こんな時に呼び出してしまって……本当は、私が行ければよかったのだけど」
じろじろと私たちの様子を窺っている人々の視線を気にしながら、私はようやく彼女の体から手を離した。
ゴホンとエルフィネス伯爵が咳払いをする。
「マドレーヌ。申し訳ないが、手短にしてもらえないだろうか。かつて我が家の使用人だった君を疑うわけではないが、カタリナは明日大事な用事を控えているものでな」
……感じ悪いったらありゃしない。
呼んだのはこちらであって、マドレーヌは客人でしょう!?
「お父様、せっかく来てくれたのですもの。お茶の一杯くらいいっしょに飲んでもいいでしょう?」
「駄目だ。マドレーヌは貴族の出自かもしれないが、やはり貴族の中でも身分の差というのはある。カタリナ、エルフィネス伯爵家の出身であることの自尊心を忘れては困るぞ」
うぁー、なんていう石頭!
前世で接客業をして培った辛抱強さが崩壊しかけた。
「……それは……」
「お嬢様!」
反論しかけた私を、マドレーヌは押しとどめる。
彼女は何も悪いことをしていないのにもかかわらず、エルフィネス伯爵に頭を下げた。
「申し訳ございません、伯爵様。カフェの帳簿類をお渡ししましたら、わたくしはすぐに帰りますので……」
マドレーヌはそう言いながら、彼女は先月と今月の帳簿を手渡そうとしてきた。
懐かしい重みを感じる間もなく、侍女がその二冊をマドレーヌから奪い取る。
「外部からの手紙などがないかどうか、わたくしが先に確認させていただきます」
それを聞いて、堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしてちょうだい。わたくしは伯爵令嬢よ! 失礼にも程があるわ!」
眉を吊り上げて怒ったが、侍女は相変わらず鉄仮面のようだった。
「申し訳ございません。しかし、わたくしの雇用主はエルフィネス伯爵様でございます。伯爵様からお嬢様と外部のやり取りを見逃すなと言われていますので、職務をまっとうするまででございます」
そう言って、パラパラと帳簿を捲っていく。
(まさか、何も入れていないわよね……マドレーヌ?)
冷や汗が出たが、何もそれらしい紙片は出てこなかった。
「伯爵様、たしかにここには帳簿らしきものしかございません」
「そうか、安心したぞ」
ゆっくりと頷くと、伯爵はマドレーヌに促した。
「マドレーヌ、ご苦労だった。もう帰ってもいいぞ。帳簿はカタリナが確認したら、遣いの者に持たせるから安心しなさい」
「伯爵様、かしこまりました。カタリナお嬢様、ごきげんよう」
お辞儀をして、マドレーヌは応接室を出て行った。
あんなに尽くしてくれた彼女を見送る自由さえ与えられないこの状況が、恨めしくて仕方がなかった。
帳簿類を持って、私は自分に宛がわれた寝室に入った。
最初は応接室で中身を確認するよう言われたが、さすがに人前で仕事をするのは集中できないから勘弁してほしいと懇願したら、あっさり受け入れてもらえた。
「はぁ……本当に、気苦労が絶えないわ」
私は小声で本音をぽつりと呟いた。
そして、鏡台の前に行き、身につけている服の前側のボタンを外して、ドレスの後ろ身頃と下着の間に挟まっているメモを取り出した。
――それは、ハグをしたときにマドレーヌが忍び込ませたもの。
前々から、何かあった場合はそういう手段で、彼女の状況や持てる情報を私に伝えるようにお願いしてあった。
そして、見つかってもバレないように表には無難なポエムを綴って、実際に伝えたいことは裏面に書け、と。
その言いつけ通り、表側には守銭奴侍女らしい文言が書かれていた。
『ああ、愛しの焼き菓子マドレーヌよ
皆の胃袋を掴んでやまない美味な菓子よ
世界中の人々がマドレーヌで胃袋を満たして
私の懐を満たす将来に幸あれ』
読みながら思わず笑ってしまうが、問題はこの詩ではない。
裏面を暖炉の炎に翳してみると、ぼんやりと茶色い文字が浮かび上がってくる。
スパイがよく使う、あぶり出しの技法――レモンの搾り汁を、不可視インク代わりに使っている。
これも、前世で子ども時代に何かの本に書いてあって知ったのを、マドレーヌに教えておいたのが功を奏した。
『親愛なるカタリナお嬢様へ
お元気ですか? お嬢様が大変な目に遭っていないか心配しています。
カフェのほうは何とかやっているのでご心配なく。
えっと、お嬢様が気になっているのはあの方のことですよね?(一応、暗号文なのでぼやかしておきます)
お嬢様が南部に戻られてからすごくお忙しいようで、事務所にいらっしゃるのを久しく見ていません。
ランチにいらっしゃった部下の方に聞いてみたけど、どうもお仕事での出張ではないようです。
……その程度しかわからず、申し訳ございません。
また何かあれば、しかるべき手段でお伝えしますね。では。
焼き菓子の名を持つ元侍女より』
それを読んで、ようやくリオネル様の近況を知ることができた。
でも……すごく気になる。
彼はいったいどこで何をしているのか。
私のことを、少しでも気にしてくれているのか。
どうしようもない不安が、私の心を覆い尽くしていく。
暖炉の中にメモを投げると、瞬時に燃え盛る火の中で生き物のようにくねり、そして灰になって消えていく。
(リオネル様……今頃、どちらにいらっしゃるのかしら……?)
私は揺れ動く炎を見つめながら、彼のことを想った。
明日行われる王宮での謁見で、私は王子殿下にお断りをするだろう。
リオネル様を愛しているから、そもそも応じるつもりはない。
もし、そうでなくても私の答えは同じだ。この世界の堅苦しさの極地である王族の一員になりたいとは思わないからだ。
その予定が終われば私は王都を去り、息苦しささえ感じる伯爵邸に戻らねばならない。
(会いたいです、リオネル様……とても、会いたいです……)
いまどこにいるかわからない恋人に、何度も何度も心の中で呼びかけた。
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