第24話 寝取り令嬢とナンパ男


「……何ですって!? 売上がかえって増えている……ですって?」

「は、はい……新しい場所で売り始めた焼き菓子が、とても好調でして……」

 メアリーの報告に、わたくしは頭を抱えた。

 彼女と会っているということは「カフェ・カタリナ」の情報入手をしているところ。

 「カフェ・ベルトラ」をカタリナの店の近くにオープンしたのは、もちろんカタリナに対する嫌がらせ。

 店の外装と内装は、わざと似せてあげたわ。

 どうせやるなら、フリルとレースをたっぷり使ったカーテンや薔薇の刺繍が入ったテーブルクロス、香り高いブレンド紅茶を何十種類も用意した素敵なティーサロンがよかったのに、これも嫌がらせのためだって我慢したの。

 ふふ、偉いでしょう?

 まったく……緑地に白のロゴなんて、センスなさすぎだわ。庶民が出入りする酒場でもあるまいし、貧相なことこの上ないわ。

 それはさておき、極秘に『打倒カタリナプロジェクト』を遂行するのは、なかなかのスリルだった。

 だって、わたくし今はフィリップの婚約者としてグラストン侯爵家のタウンハウスに暮らしているんですからね。

 お父様の事業の手伝いをするって言っても、協力者を誰かに見られたらいけないわけだから、そりゃあ細心の注意を払わなくてはいけないわよね。

 えっ? その後、フィリップとはどうなったかって?

 ……うるさいわね、何もないわ。余計な詮索はしないでちょうだい!

 それはさておき、スパイとして潜り込ませているメアリーは優秀で、当初はカタリナが秘密にしていたレシピも盗める立場になった。

 そういう子がいると、本当に楽だわ。

 だって、内装・外装どころかメニューまで完全に模倣できてしまうんですもの。

 ただね、雇ったパティシエがゼラチンとかいう粉の使い方を知らなくて困ったわ。

 メアリーがコソコソ教えに来ていたけれど、あれはいったい何が原料になっているのかしら?

 わたくしたちは極秘裏に工事を進めて、一気にオープンした。目新しさと半額キャンペーンで、カタリナの店を潰しにかかったわけ。

 ただ、メニューを半額にすれば利益が少なくなる。早く打撃を受けさせて、カタリナに撤退してもらわないと困るのよね。

 ……なぜかって?

 それはね、お父様から持参金の前借りをしているからよ。

 フィリップと婚約しているわけだから、結婚すればわたくしの持参金はグラストン侯爵家の手に渡る。

 だから、それを増やせば何ひとつ問題ないわけ。

 「カフェ・カタリナ」を潰せば、彼女が稼いでいた収入を奪うことができるから、持参金はすぐにお父様にお返しすることができるの。

 ただ、そうでなかった場合は……。

 婚約式で締結した契約書。あの中に記載されている金額の持参金を、ベルトラ子爵家が払えないとなったら、先方からの婚約破棄の正当な理由になる。

 没落令嬢の婚約破棄の理由のほとんどが、持参金を払えなくなったからだ、というから恐ろしい世の中だわ。

 そのことを考えると、背筋がゾクゾクしてしまう。

 でも、きっと何とかなる……いえ、何とかしなくてはいけないのよ!

 なぜかって? わたくしは、カタリナに勝たないと気が済まないから。

 フィリップは、いまだにカタリナとの思い出の品を捨てていない。

 それどころか、私に見られないようにあの子の店の近くで、彼女を出待ちしていることもあるの。ちょっとしたホラーよね。

 まぁ、だいたいは護衛と侍女が一緒にいるし、仕事中はあのイケメン大家……ユーレック子爵っていう黒髪の男性がいるから、軽々しく声をかけられずにいるみたい。

 はぁ……まったく、フィリップったらあの子の何がそんなにいいのかしら?

 とりあえず、フードを被って顔を隠しているメアリーに金貨を握らせて、「カフェ・カタリナ」の連中が新しく焼き菓子を販売している場所に急ぐことにした。



 帽子の前にヴェールをかけたわたくしは、王都の中央駅の前に停めた馬車から降りた。

 旅行者のふりをして、侍女に大ぶりのトランクを持たせるほどの気合の入れようだから、誰もこれが社交界の華であるベルトラ子爵令嬢だということは気づかないはず。

(……さて、連中はどこかしらね?)

 ダンスでもするような優雅な足取りでプラットフォームに進んでいくと、すぐにだっさい緑色の看板がついたカウンターを見つけたわ。

 そこには、旅行者が集まって我先にと商品を購入しているところ。

 まぁ、そりゃあ知っているわよ。あの子の作るお菓子がまずくはないっていうのは。

 だけど、お金を出してまで欲しいものなのかしらね?

「マドレーヌはいかがですかー? 焼き菓子のマドレーヌ、おいしいですよー!」

 声を張り上げているのは、カタリナの侍女のマドレーヌだ。

 マドレーヌがマドレーヌっていう焼き菓子を売っているの? いったい、これは何の冗談かしら?

 それはさておき、張本人の姿はないようね。

 侍女と新入りの小娘の二人でここを任せているってことね。あの小さなカウンターだけでどれほどの利益が上がっているのかしら?

 暗算しようと思ったけれど、頭の中がごちゃごちゃになって断念したわ。

 こういう時、自分の育ちの良さに困ってしまうの。

 だって、焼き菓子の利益のことなんて、生まれてから十九年間、考えたことはなかったのよ。数字という数字は苦手分野だわ!

 刺繍やピアノ、歌、ダンスや礼儀作法、社交の場で気の利いたおしゃべりができること……そのようなものが、貴族令嬢の美徳とされている。経済や経営なんて殿方が考えればいいことっていう風潮があった。

 特に南部地方は保守的だから、その傾向は強かったわ。

 お嬢様の中のお嬢様であるわたくしが、カタリナのような変わり者が手を出したカフェ事業っていうものが不得手でも致し方がないこと。

 とは言っても、やり始めてしまったのだから、このゲームに負けたくはない。

 カタリナに痛手を負わせて、事業撤退をさせなければ、わたくしの腹の虫が収まらないわよ。

(……何か、打開策はないかしらね?)

 腕組みをして考えあぐねていると、後ろから何やら話し声が聞こえてきた。



「へぇー、あのメイド、カフェ開いたんだな」

「お前、知らなかったのか? いまや、メインストリートに店舗を出しているんだぜ?」

「それじゃあ、流行りの女性実業家ってやつじゃん。可愛い顔して、根性あるな」

 振り返ると、三十前後くらいの男が二人いた。

 どうやら、カタリナの話をしているようね。ホテルで出していたカフェで、彼女のことを知ったのかしら?

 まぁ、それでなくてもカタリナを賞賛するような記事はちらほら出ている。こんなところでたむろしている男たちの話を聞いていても時間の無駄だわ。

 肩を落として、侍女に言った。

「もう、帰りましょう」

 踝を返したが、会話の続きは否が応でも聞こえてくる。

「……根性ねぇ。あの店舗、誰が貸しているか知ってるか? あの一緒にいた男だぜ?」

「ああ、ユーレック商会の」

「ムカつくよな。あいつさえいなかったら、あのメイドといいことできたのによぉ」

「そうだな。あいつのお陰で、俺たち会社クビになって散々だぜ」

「お前はいいよ。新聞社で雇ってもらえたんだから……おい、あの男の弱みを掴んで、記事にしたらどうだ? いい気味じゃねぇか?」

「そんなこと言ってもなぁ……」

 わたくしは、そのまま立ち止まる。

 これは、天からの思し召しじゃないかしら?

 この男たちを仲間に引き入れることができたら、今よりは有利に事が進む気がした。

 彼らはどうやら、ユーレック子爵とカタリナに恨みを抱いているようだ。

 負の感情というのは、時として底知れぬ力になる。

 美しさと教養だけで一生穏やかに生きていけると思っていたわたくしが、様々な企てをしたのも、いまだフィリップの心を捉えてやまないカタリナを憎んでいるから。

 彼らの負の感情を利用して、新聞記者の男に「カフェ・カタリナ」の悪評を書かすことができれば、あの店の売上を落とせるのでは――?

 わたくしは彼らのそばに行き、こう声をかけた。

「……あなたがた。いまのお話、もう少しお聞かせいただけないかしら?」

 二人はわたくしが話しかけてきて、驚いた様子だった。

 そりゃあ、そうだわ。

 南部地方……いえ、王都で一番の美女であるこのわたくしが、美形でも何でもないあなたたちに話しかけているのだから、ありがたく思いなさいよ。

 ほら、二人とも鼻の下のばしちゃっていやらしいわ!

「これは美しいお嬢さん。あなたも、カフェ・カタリナに恨みがあるんですか?」

「まあ、そんなところね」

「じゃあ、俺たちと利害が一致しますね。あのメイドに声をかけたら、取引先の社長がしゃしゃり出てきて、レディーに失礼だとかで取引をパーにしやがったんですよ。お陰で俺は失業中って有様で」

 うふふ、仕事中にナンパなんかするのがいけないのよ!

 まあ、そんなことはどうでもいいわ。

 新聞記者と失業男か……まあ、とりあえず金貨を与えてやれば買収できるかしら。

「失業中のあなたに、お仕事を頼みたいの。そして、もう一人のあなたにも協力してもらいたいわ」

「どんなことですか?」

 そう尋ねられて、わたくしは羽扇で口元を隠した。

 自分でも意地悪な顔になってしまっているのがわかったから――。

「とっても愉快なことよ。わたくしたちにとっては、ね」


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