第25話 天敵の妨害工作!


「あら、先月のこれくらいの時期より売上がいいのね。カフェ・ベルトラが出店したっていうのに……」

 マドレーヌから渡された帳簿を確認して、私は目を丸くした。

 閉店後の店内で、当日残った材料で作る軽食が、最近の私たちの夕飯代わりになっている。

 ソーセージの切れ端がてんこ盛りのパニーニを片手に、しげしげと数字に目を走らせる私に、マドレーヌは興奮したように言った。

「そうなんですよ、お嬢様! 駅での焼き菓子の販売が功を奏したみたいですね」

「そうよね。ありがたいことだわ!」

 ……怪我の功名とは、まさにこのことを言うのだろう。

 ライバル店からの猛攻をかわすために急きょ出店した中央駅支店の売上は、ラインアップが焼き菓子のみという売店ながら、路面店に引けを取らないほどの売上を確保している。

 しかも、汽車の最終が遅いのでホテルカフェと路面店の在庫一掃もできるという一石二鳥で、経営者としてはありがたい存在だ。

 そして、最近では路面店のほうも活気づいている。

 「カフェ・ベルトラ」の半額キャンペーンが終わり、オープン時はあちらに流れていたお客さんたちも、うちに戻りつつあるのだ。

 そんな時に、常連客たちはこんなことを言ってくれた。

「やっぱり、カタリナちゃんの店のほうが断然おいしいよ。あっちの店は、メニューの見た目はそっくりだけど、やっぱり味が落ちるよ」

「そうそう。接客も事務的っていうか……あたたかみがないよね」

「新聞片手にゆっくりしたいのに、すぐ追い出されそうになるしな!」

 常連のお客さんが言うことだから、少しは社交辞令も入っているかもしれない。

 それでも、私にとっては十分すぎるほどの褒め言葉。

 ライバル店のオープン時に感じた絶望は、いまは窮地を切り抜けたことで、揺るぎない自信に変わっている。

(……そうよ。やられたら、こっちもやり返せばいいこと! 正々堂々と、経営上での創意工夫でね)

 外がカリカリで中がチーズとソーセージの切れっぱしたっぷりのパニーニを口に運びながら、このまましばらくカフェ経営ができる幸せに浸った。

 その時、表の扉が開く……リオネル様と社員の方だった。

 彼らは数日前に列車の延伸予定地の視察に行って、ここを留守にしていた。

 建築とか公共事業とかそういう方面には疎い私だけど、机上だけで資材の計算ができないことはわかる。

 最近は、事務所にいるよりも出張している期間が多いくらい忙しくしている。

 だから、久しぶりに会うことができてうれしかった。

「……あっ、リオネル様! お帰りなさい!」

 彼は私を見て、朗らかな笑顔を浮かべる。

 いつもリオネル様は素敵だけど、きちんとした格好をしている姿はさらに素敵だ。

 今日の出で立ちは、ダークグレーのチェスターフィールドコートに白いシャツ、首元にはチャコールグレーのアスコットタイ、頭には黒のシルクハットを被っている。

「ただいま戻りました……って、ずいぶんと遅くまでお店にいらっしゃるのですね」

 と、彼は帽子を手に取った。

「閉店しているから裏口を使うべきだけど、灯りがついていて……ついこちらから入ってきてしまいました」

「ええ、いま食事がてら月中の帳簿の確認をしておりましたの。よろしかったら、お二人もご一緒にいかがですか? 大したものはありませんけど……」

 それを聞くと、リオネル様はうれしそうにもう一人の社員に目配せする。

「ディラン君、お言葉に甘えるとしようか。荷物を事務室に置いてきてくれるかい?」

「わかりました、社長!」

 もしかしたら、長旅で空腹だったのかもしれない。

 しばしばパニーニをテイクアウトしてくれるディラン君も、目を輝かせて上の階に急いで行った。

「マドレーヌも食事にしましょう。用意は私がするわ」

「ありがとうございます! お嬢様が準備してくださるなんて恐縮ですわ」

「いえいえ。具材は、リオネル様とディランさんはチーズとソーセージ、マドレーヌはマルゲリータでいい?」

「私は大丈夫です、お嬢様」

 それを聞いたリオネル様は、とても感心した様子だった。

「すごいですね、私はともかくディラン君の好みも覚えていらっしゃるとは」

「当たり前ですわ! 常連さんですもの」

「……そうですか」

 少し複雑そうな表情で、リオネル様は手にしたシルクハットをいじりながらため息をついた。

「えっ、何か悪いことを言ってしまいましたか?」

 思わずドキドキしてしまう私に、彼は苦笑いをした。

「いえ……ね。カタリナお嬢様が、ほかの男の好みを知っていることに嫉妬してしまいまして……」

「……!」

 マドレーヌの前でそんなことを言われて、思わず顔が熱くなってくる。

「心を広く持たねばなりませんね。お嬢様のような魅力的な方が、ご自身で事業を起こして続けていらっしゃるのです。私もお嬢様を独り占めしたい気持ちを我慢しなくては」

「リオネル様……」

 あたたかな彼の想いが、伝わってくる。

 私だって、リオネル様を独占したい気持ちはもちろんある。

 でも、仕事を頑張っている彼だから素敵だしカッコいいし、イケメンぶりが加速するんだと思う。

 昔ながらの貴族のように、お金に困らないからと言って優雅に暮らしていたら、ここまでリオネル様が魅力的だと感じなかっただろう。

 だから、彼も私のことをそういう風に見ていてくれているなら……すごくうれしいなって思う。

 見つめ合う私たちに、部外者であるマドレーヌの咳払いが聞こえる。

「……あー、お二人でゆっくりお話されていてください。パニーニは私が作っておきますから」

 私たちに配慮してキッチンのほうに向かう侍女に、この時ばかりは感謝した。

 焼き菓子で利益が出ている分、彼女へのチップは奮発してあげよう。



「……大変です、お嬢様っ!」

 ある日の朝、店に置く新聞を買ってきたマドレーヌが蒼褪めた顔でキッチンに入ってきた。

 その時、私は最近入ってきた子と一緒に仕込みの真っ最中。

 作業を懇切丁寧に教えながらやっているから、いつもより少し遅れ気味だ。

 慌てているマドレーヌに、あからさまに眉を顰めた。

「どうしたの、マドレーヌ? いま、忙しいのよ」

「申し訳ございません……ですが、本当に大変なんです!」

 そう言われて、彼女が差し出してきた新聞の紙面を覗き見た。

「えっ……、何よこれ!」

 見出しの文字だけでも、それはうろたえる内容だった。

『原料に病気の豚?人気カフェのメニューの闇』

 それを読んだ瞬間、背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 記事で槍玉に上がっているのは、他でもない。パンナコッタに使っているゼラチンだ。

 たしかに、ゼラチンは牛や豚の骨や皮から抽出して作るものだが、病気の豚を使って製造したものなど使った覚えはない。

 昨年と一昨年にかけて、豚の病気が流行ったのは事実――その関係で、接着剤として使われるものには、病気の牛や豚の一部を使ったものも使用されているだろう。

 ただ、このベルクロン王国にも疫病には過敏になっているところだ。衛生局の指導で、そうした疫病関連の生産物は厳しく制限されている。

 しかも、今回は食用にするとあって、リオネル様にその辺りは確認してもらった。

 食用のゼラチンとして使うのは、一人分でほんの二グラム程度。

 一度仕入れをすればそれなりに持つので、一番高いものを安全なところから購入しているのだ。

「こんな悪意のあるでたらめ記事、誰が……」

 悔しそうに呟く私に、マドレーヌも項垂れた。

「ようやく、ライバル店からお客さんを取り戻せたのに、こんな記事が出てしまうと、また影響が出るんでしょうか……?」

 そう言われて、ピンときた。

 このカフェが貶められて、一番得をするのは誰なのか?

 間違いなく、エレオノール・ベルトラだ!

 ところが、疑わしくても証拠がない。

 記事の全文にすばやく目を走らせると、私の中にふつふつと違和感が込み上げてきた。

(そう言えば……なぜ、この記者は知っているの? ゼラチンをパンナコッタに使っているって)

 それは、カフェ・ベルトラにマルコを潜り込ませた時にも感じたものだ。

 彼には、メニューの何品かを食べてきてもらった。

 そのうちのひとつが、パンナコッタと似たような形状のクリームプディングというデザートだ。

 若干味つけは違うけれど、おそらくうちで出しているパンナコッタと同じようなものだ、とマルコは言っていた。

 それが本当なら、どうやってゼラチンを手に入れたのか? カフェ・カタリナのメニューのほとんどを、どうやって真似たのだろう……?

 頭の中で疑問符がぐるぐると回る。

 ……そして、ようやく思い当たった。

 私とマドレーヌ以外で、レシピを知ることができ、キッチンの材料を盗み出すことができる人物に。

 信じたくない気持ちが強く、これまであえて見て見ぬふりをしてきた。

 内部にエレオノールと通じている者がいるなんて、許しがたいことだったから……。

「……マドレーヌ、あなたの出番がきたようだわ」

「お嬢様……! 何なりとお申しつけください。お嬢様のためでしたら、このマドレーヌ、何でもやってみせます!」

 私は味方がいることに感謝し、手にしていた新聞をぐしゃっと握りしめた。

 エレオノール、今に見ていなさい。

 攻撃されているだけの私じゃないんだからね!


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