第26話 反撃の準備
――メアリー・ガルシア。
それは王都に来て雇用した一番の古参で、マドレーヌやマルコの次に私が信頼しているスタッフである。
彼女をキッチンの監督業務をやらせることにしたのは、三ヶ月前のこと。
路面店のオープンで新人が増えたことで、その時、現場の総責任者だったマドレーヌは過労死ギリギリの状態だった。
少しでも負担を減らすため、それまで極秘にしていた私のレシピを開示して、メアリーにもキッチンの責任者になってもらった。
私やマドレーヌも体調を崩すことはあるから、そんな場合のためにも有能な彼女に手伝ってもらいたかったのだ。
――が、今にして思えば、それが私の大いなる誤算。
なぜなら、メアリーこそが「カフェ・カタリナ」の営業秘密をエレオノールに流している張本人だったから。
うちの誹謗中傷の新聞記事が出た時は、それはただの疑惑に留まっていたが、マドレーヌに休みの日のメアリーの尾行を頼むと、残念な事実が判明した。
暗い表情で、マドレーヌは私に報告してきた。
「……彼女が、エレオノールお嬢様と接触しているのを見ました」
「どんな感じだった?」
「こちらの情報を渡していたのでしょう。二人とも顔を隠していましたから、やましいことをしている自覚はあると思いますよ」
顔を隠しても、どんな格好をしていたとしても、マドレーヌなら見破れる。
エレオノールは自己顕示欲の塊だ。顔を隠していたとしても雰囲気で察することもできる。
だが、それ以上に派手な羽扇とかクズ男からせしめた婚約指輪とか、わかりやすい小物をつけているから、間違えるわけがない。
「……そう。困ったことになったわね」
私は深いため息をついた。
メアリーはやむを得ない事情があって、エレオノールのスパイになったのだろう。
この国の労働者の中で、飲食業に従事する女性の賃金は安い。
家族を養わねばならない場合、それだけでは足らずに汚い仕事をせざるを得ない、というのは十分に理解ができる。
メアリーを罰して解雇するのはたやすいことだが、そうしたからと言って元凶を絶たない限り、第二、第三のスパイが現れてもおかしくはない。
そのたびに従業員を解雇し続けなければいけないとしたら、なんていう不幸の連鎖だろう?
そう思い悩む私を、マドレーヌは慰めてくれた。
「お嬢様、メアリーを解雇するかどうか悩んでいらっしゃるのですね。おつらいお気持ちはわかります」
「マドレーヌ……」
「こうしたら、どうでしょう? 逆にメアリーをこちらの手下にしてしまうのは」
マドレーヌはにやりと恐ろしい笑みを浮かべる。
なるほど、うちの侍女はエレオノールの遥か上をいく悪女らしい。
そうすれば、メアリーの雇用は維持できるし、相手側の情報を得ることもできる。何か攻撃をされそうなときには、先手を打って対策をすることが可能だろう。
「いいアイデアだわ。明日、他のスタッフに知られないように、メアリーを私のところにつれてきてちょうだい!」
「わかりました。あの裏切り者を威嚇しておきますね!」
鼻息荒く、両手を組んでボキボキと骨を鳴らすマドレーヌに、私はこう思った。
敵に回すと厄介なのは、エレオノールよりもこの侍女のほうかもしれない、と――。
新聞記事の件で、私が頼ったのは言うまでもない……リオネル様である。
居候先のウルジニア侯爵も心配してくれたが、こういう泥臭い話には巻き込みたくなかった。
なぜなら、侯爵とイザベラ叔母さんは、私の強い味方。引き続き、実家に私のカフェ経営を秘密にしてくれている。
離れを貸してもらって、快適に滞在していられるのは二人のお陰だ。
両親から手紙で私の様子を聞かれても、王都で社交活動に勤しんで婚約破棄の傷心を癒している最中だ、と嘘をついてくれる。
そこまでさせているのに、これ以上のゴタゴタに付き合わせて、侯爵家の優雅な暮らしを壊したくない。
それなら、リオネル様に迷惑かけていいのかと言われると……そうじゃないんだけど、彼は率先して引き受けてくれた。
そもそも、私に原料を融通してくれたのはユーレック商会だ。会社としても、新聞社に対して名誉毀損の訴えをしたいらしい。
記事ではユーレック商会のことまで言及されておらず、実際の損害は出ていないものの、反撃をせずに次の記事が出てしまえば、商会も取引先の信用を失ってしまうかもしれない。
実際、うちの店舗の損害は明らかだった。
新聞記事が出てからパンナコッタはさっぱり売れなくなった。そのため、一時的に販売を休止した。原料の牛乳を仕入れている農家さんにも迷惑をかけた。
あやしげな原料を使っている店舗だということで、客足自体も落ち込んでいる……が、ホテルと駅での販売についてはそこまで売上が落ちていないのが、せめてもの救いだった。
おそらく、この二つの店舗は路面店より外国人や旅行者が多いからだろう。
新聞記事をじっくり見ていないというのもあるだろうし、そこまで細かく気にしていないというのもあるだろう。路面店でゆっくり洋菓子を食べるという属性の人々ではないことが幸いしているようだ。
いずれにしても、路面店の売上に関しては「カフェ・ベルトラ」がオープンした当初と同程度に落ち込み、その後の回復がどうなるかはわからない。
うちに人が入らない分、お客さんたちは「カフェ・ベルトラ」に流れている。それが消去法だとしても、事実は変わらない。
それを考えると、心は晴れない。
記事が出た日に鬱々としていた私を心配して、リオネル様はこう言ってくれた。
「法律関係のことは、心配しなくていいですよ。会社の顧問弁護士に話はしておきます」
「いつも、ご面倒をかけてしまって申し訳ありません……」
「いえ、全然。前々から、カタリナお嬢様に悪さをする奴らをこらしめてやりたいと思っていたんです。ぜひ、私に協力させてください!」
笑顔でそう言ってくれるリオネル様の背後から、黄金に輝くオーラが見えた気がした。
(ああ、やっぱりこの方は天使様だわ……!)
眩しすぎる美貌をありがたく拝みながら、私はいい仲間といい恋人に恵まれて幸せだと心底思った。
……さて、休み明けに出勤してきたメアリーの首根っこを捕まえて、マドレーヌは彼女を私のところに連れてきた。
さすがに他のスタッフの目があるところで話すのはまずいので、私は店舗の裏でメアリーと話すことにした。
「マドレーヌ、しばらくお店を頼むわね」
開店準備を進めている店内をマドレーヌに任せると、私はメアリーを庭の端に連れて行く。
二棟続きの屋敷の裏庭には、リオネル様のお母様が香水の材料として使用する薬草や花が所狭しと植えてある。
仕事で忙しい彼女の代わりに香水店の若い店員が、毎日水やりや手入れをしているので、年中美しい花や芳しい香りを楽しむことができる。
ベンチもあるので、晴れている日はここでパニーニを齧るのが、私の気分転換になっている。
――そんな癒しの場所が、制裁の場所になるとは心外だ。
私の険しい表情を認めた途端、メアリーは私の前に膝をついて謝ってきた。
「……申し訳ございません、カタリナ様! 私がやったことでこんなことになってしまって」
罪悪感を覚えているのか、涙ぐんでいる。
こちらとしては、悔い改めてくれるのなら問題はない。これ以上の営業秘密の流出がなければ安心していられるのだ。
ただ、あっさり許してしまっては面白くない。
こういうのは舐められたら最後――エレオノールよりずっと怖いっていうことを、この機会に知らしめなければいけない。
「……あら、本当にそう思っているの? あなたのせいで、売上がどれだけ下がったかわかっているかしら?」
「も、申し訳ございませんっ!」
深々と頭を下げるメアリーに憐憫の情を感じながらも、私は心を鬼にした。
「謝って済む問題なの? あなたを相手に訴訟を起こしても構わないのよ」
「訴訟……!」
「そうしたらどうなるかしら? あなたには弁護士を雇うお金がないでしょう。エレオノールだって、あなたを見捨てるわ。そうしたら、立場が弱いあなたは確実に懲役刑に課されるでしょうねぇ」
腕組みをして、意地悪な笑みを浮かべながら彼女を見下ろす。
そう、エレオノールの真似をしているわけ。演劇の素養なんてないけど、あの子がしそうな態度をするのは、彼女と長年過ごしてきた私にはたやすいこと。
それが、平民の娘には必要以上に威圧感を与えるってことも知っている。
「そ、そんな……私の母は病気がちで、薬を買うお金が必要なんです! 私がいなくなったら死んでしまいますっ!」
「身から出た錆でしょう。そんなことまで考えていたら、この商売はやっていられなくてよ。それがいやなら、あなたが体を売ってでもうちに出た損害を返しなさい。今すぐに!」
鬼畜なことを言っている、と思った。
メアリーの蒼褪めていた顔が、いよいよ真っ白になる。
「な、何でもいたします……ですから、なにとぞご容赦を!」
「……仕方がないわねぇ」
もったいぶった様子で、私は彼女を見下ろした。
「じゃあ、訴訟はやめることにするわ」
「ありがとうございます! 一生、恩に着ますっ」
地面に頭をつけてひれ伏すメアリーに、私は微笑んで付け加えた。
「その代わり、私に有益な情報を持ってきなさい。カフェ・ベルトラを潰せるくらいのね!」
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