第36話 寝取り令嬢は再び微笑む


 南部地方に戻って真っ先に向かったのは、以前、モンパス伯爵夫人に紹介してもらった魔女の屋敷。

 ベルンの中心街の裏通りに、彼女が経営する『占い館』がある。

 魔女は占い師を二人雇い、ここで人の悩みを聞くあくどい商売をしている。自らが担当するのは、既存の客の紹介の場合しかないらしい。

 すなわち、魔法を使わねば依頼者の願いを実現できないときのみ。

 モンパス伯爵夫人によると、南部地方ばかりか遠方からも彼女の腕を見込んで上流階級の顧客がここを訪れるらしい。

 夢を操ってもらい、ライバルを失墜させ家督を継いだ者もいると言う。

 伯爵夫人が成しえた略奪愛もドロドロの愛憎劇だが、ここを訪れる顧客の野心はそれ以上に苛烈なものがあるのかもしれない。

 二度目の訪問になるわたくしは、血のように赤い壁やあちこちにある髑髏のオブジェ、黒い蝋燭やら、おどろおどろしい装飾に身震いしながら魔女に対峙していた。

「おや、どうしたんだい、そんな思い詰めた顔をして? あの綺麗な坊ちゃんとうまくいったんじゃないのかい?」

 まだ四十代くらいで色香さえも漂う風情の魔女を見ながら、わたくしはため息を漏らす。

「実は、そうでもないのよ……もう一度、魔法を使ってくれないかしら? 報酬は弾むわ」

「内容によるねぇ。あまりこの前みたいな真似はしたくないんだよ。だって、この前はあの坊ちゃんの人生を変える夢を見せちゃったからねぇ」

 やけにもったいぶった口調だ。

 まさか、報酬を吊り上げようっていう魂胆かしら?

「今回は、娘を親元に戻すだけの話よ」

「へぇー。それがあんたの幸せにつながるんだ?」

「そうね。その娘は貴族なのに平民上がりの男と恋をしている。二人が一緒になることで起こる様々な不安を、その娘の親に夢で見せてほしいのよ」

「仕方がないねぇ。気は乗らないけれど、やってあげようじゃないか」

「恩に着るわ!」

 わたくしは、彼女のぷっくりとした手をがっしりと掴んで感謝を伝えた。

 その瞬間、鼻がムズムズする。

「ニャーオ」

 忌まわしい鳴き声を漏らしながら、足元に擦り寄ってきたのは黒い毛玉……いや、魔女が飼っている黒猫だ。

「き、きゃあーッ!!」

 猫が苦手なわたくしは、座っていた椅子から転げ落ちてしまう。

 そして、さらに恐ろしいことに黒猫は噛みつくほどの勢いでわたくしの頬に頭を擦りつけてくるではないか!

「おや、サバドや? このお嬢さんのことがずいぶんと気に入ったようだねぇ」

「ニャーオ!」

「サバドは雄猫の姿をした使い魔なんだよ……ふふっ。サバドはあんたを好いているようじゃないか。この子が人間の姿になれば、お嬢さんの悩みは一気になくなるのにねぇ」

「つ、使い魔!? 変なことを言っていないで、この猫どかしてちょうだい……は、はくしょん!」

 魔女が猫を抱き上げてもむずむずは止まらず、わたくしは盛大にくしゃみをした。

 ……まったく、この不愉快な場所に来るのは、できれば今日で終わりにしたいものだわ。

 

 

 さっそく、わたくしは侍女を使ってエルフィネス伯爵邸のメイドを買収した。

 メイドに聞くところによれば、伯爵夫妻は王都にいる娘に関してさほど関心を持っていないらしい。

 その冷ややかな空気感は、わたくしにも理解できる。

 平民と違って、貴族には愛や情よりも家門を守るほうが大事なの。

 それに、カタリナは親戚のタウンハウスに居候しているらしいから、伯爵夫妻も心配していないんじゃないかしら?

 ……でも、ひとつ驚いたことがある。

 それは、カタリナがカフェ経営をやっているということを、彼らが知らないということよ!

 ベルトラ子爵家のように事業に意欲的な家ならともかく、エルフィネス伯爵は保守的な領主として有名である。

 わたくしは、さっそくエルフィネス伯爵夫妻に面会を希望する手紙を書いた。

 友人であるカタリナの近況をお伝えしたい、としたためて。

 王都での娘の生活に少しでも興味があるのなら、彼らがわたくしの訪問を断ることはないだろう。

 そうしたら、侍女と偽って魔女をつれて邸宅に行けばいい。

 わざわざ魔女の手を借りて悪夢を見せなくとも、もしかしたら夫妻はカタリナを南部地方に呼び戻すかもしれない。

 娘が事業に手を出していると知ったら……そして、それ以上に新興貴族と付き合っているなんて知ったら卒倒するのではないかしら?

 いや、卒倒されるだけでは困るのよ。

 カタリナをこの屋敷に監禁してもらわなくては!

 だから、魔女に一撃を与えてもらう必要がある。

 悪夢の中では、カタリナがユーレック子爵に騙され、身を持ち崩した挙句に捨てられる未来予想図が描かれることでしょう。

 ……うふふ、それはさすがに悪趣味じゃないかって?

 何とでもおっしゃい。悪趣味を趣味にしてしまうほど、わたくしが王都で再出発するには、彼女の存在は邪魔なのよ!

 ようやく、フィリップは「カフェ・カタリナ」の周りをストーキングするのをやめたけれど、だからと言って彼はわたくしを愛してはいないもの。

 絶対に、次にフィリップに会ったときには、彼の心を掴んでみせる。

 そして、もう一つの野望……それは、もう一度、王都でカフェ経営をするっていうこと。

 お父様をどうにか説得して、「カフェ・カタリナ」を買い取って自分のものにしてやるのよ!

 そうしたら、カタリナはどんな気分になるかしら?

 すべてを失って、どん底に落ちた彼女の顔が早く見たいものだわ……うふふふふ。


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