第22話 天敵は高らかに笑う


「悔しいけど、すごい人気ですよね……」

 私の隣で、マルコはそう呟いた。

 彼の言う通り、競合店にはひっきりなしに、お客さんが出入りしている。

 おそらく、店内も席に空きがないのだろう。外に出した椅子に客を座らせて待たせるほどの盛況ぶりである。

 一見して、客層は明らかに、「カフェ・カタリナ」と被っている。

(何てことかしら……! こんな店がオープンするなんて、聞いてなかったわよ)

 輝かしかった前途に、暗雲が立ち込めてくる。

 まだオープンして三ヶ月目だというのに、前世で聞いたカフェや喫茶店の廃業率のデータがにわかに現実味を帯びてくる。

 この前までは、確信していたのに……前世の知恵さえあれば、カフェを成功させられるって。何か問題が起こっても、何とかできるって。

 そんな自信がガラガラと崩れて、目の前が暗くなってくる。

 この店がここで営業を続ける限り、これまでのような収益はあげられないだろう。

(せっかく、リオネル様に店舗を貸してもらったのに……みんなにも、あんなに頑張ってもらったのに……)

 胸の中に、苦しい感情が渦巻いている。

「この店ができたから、今日は客足が悪かったのね……」

 悔しそうに呟く私に、マルコは頷いた。

「その通りです。ただ、もしかしたら今日だけじゃないかもしれません。開店から一週間は、全品半額っていうキャンペーンをやっているみたいなので」

「一週間……!」

 それを聞いて、愕然とした。

 一週間も、こんな状況が続いたらせっかく仕入れた材料が痛んでしまう。

 日持ちがする小麦粉や砂糖などはいいとしても、卵や牛乳はどうしても鮮度が落ちる。

 それに、「カフェ・カタリナ」で出すものは、周辺の店よりも材料に気をつけていた。

 南部と王都の飲食店で比較すると、同じメニューだと南部の店のほうがおいしい気がした。

 その理由は、おそらく南部のほうが農家と飲食店の物理的距離が近く、新鮮な原材料を使っているからだと思った。

 そのため、王都の郊外にある契約農家に頭を下げて、当日とれたものを持ってきてもらっている。そこまで厳密にすることはないが、自分で経営するうえでのこだわりのひとつだった。

 「カフェ・カタリナ」のお菓子類がおいしいのは、前世のレシピの力だけではなく、新鮮な原材料を使っているから……マドレーヌや製造スタッフたちのきめ細かな調理の賜物なのだ。

 それなのに、一週間もお客さんの入りが芳しくない状況だと収益はさておき、在庫をどうするかを考えなければならない。

 それは、短期的な問題である。そして、次に来るのは長期的な問題だ。

 すなわち、経営を続けていくべきか否かということ――。

 ひとまず、やるべきことは仕入れ農家との調整である。

「仕入れの量を調整しないといけないわ! 大変……!」

「マグレダさんのところですよね。馬車を呼んできましょうか? それとも、俺が伝言してきますか?」

「そうね……店に戻って在庫を確認してから、納品数変更についてマグレダさんに手紙を書くわ。あなたが直接、渡してきてもらっていいかしら?」

「かしこまりました」

 マルコと共にカフェに戻ろうとした瞬間、馬車から降り立った何者かが目の前に進み出た。

 顔を上げると、子爵令嬢エレオノール・ベルトラがそこにいた。

 褐色の豊かな髪を結い上げて、小さめのボンネットと外出用のドレスは赤薔薇のような深紅――流行を取り入れた服装に、装身具は白い真珠で揃えて上品さも取り入れている。

 南部地方出身ということを出さないよう努力しているところが、むしろ、背伸びしているような痛々しさを感じさせるのはなぜなのだろう……。

(……やっぱり、いたのね)

 私は苦々しい気持ちで、エレオノールを見つめた。

 「カフェ・ベルトラ」という名前が示すように、彼女の実家がこのカフェに関わっているのは予想の範疇だ。

「あーら、カタリナお嬢様ではございませんか! まるでメイドのような格好をしていらっしゃるから、まったくわかりませんでしたわ」

 上から目線の高慢な態度は相変わらずだ。

「エレオノールお嬢様、ごきげんよう。仕事中なのでこのような服装で失礼いたしましたわ」

「カタリナお嬢様はお菓子職人の真似事をされているんでしたわね。新聞で読みましたわ。この国にはない、斬新なお菓子を作るとか……」

 手にしていた羽扇で口元を隠しながら、エレオノールは私を観察してくる。

「あら、よくご存じですこと。もしかして、こちらの新しいカフェはあなたが経営されているのかしら?」

「ええ。父の事業の一環ですわ。王都で飲食店をしたいと言っていたので、わたくしが社交の合間にできる範囲で事業を手伝うことになったんですの……まぁ、フィリップとの間に子どもができるまで、という約束ですけどね」

 そう言いながら、またもやうれしそうに左指のきらめく指輪を見せつけてくる。

(あーあ、面倒なご令嬢だこと!)

 私は心の中で、そう思う。

 何もなければ、彼女は極めて無害な女だ。美しく教養もあり、自分より明らかに劣る者にはことさら慈悲深い。

 私に対してだって、昔は面白いくらいに優しかった。

 ただ、私がフィリップと婚約して以来、どうも風当たりが強くなった気がしていた。

 おそらく、自分より下に思っていた私が、自分が好きな男を手に入れたのが気に食わないのだろう。

 ただ、すでに私とは破談になっているわけだし、何をそんなに張り合う必要があるのか不思議である。

(……どう考えても、このカフェは嫌がらせよね。外観もメニューもこんなにそっくりだなんて、おかしすぎるもの)

 悔しそうな私を見て、エレオノールは高らかに笑った。

「ふふっ……宜しければ、店の中をご案内いたしますわよ。カタリナお嬢様のカフェと違って、うちは三階まで客席を持っておりますから」

 その発言は、どうにも引っかかるものがあった。

 「カフェ・カタリナ」の中に入ったことがなくても、外から見れば二階まで客席があることはわかるだろう。

 しかし、三階に席があるかどうかは外からは見えない。それを断定した口調で言い切るところが、とにかくあやしい……あやしすぎる。

 ただ、それだけでは決定打に欠けた。

 ひとまず、取引先の農家に納品数変更をかけてから、私のほうも「カフェ・ベルトラ」について調査しようじゃないか。

 メニューや金額設定についても、確認する必要がある。

 ただ、ここで感情的になって怒りをぶちまけたら絶対ダメ。相手の思う壺だ。

 そう思って、私は首を横に振った。

「結構ですわ。わたくしも急ぎでやらねばならない仕事がございますの」

「まあ、それは残念ですわ。また、いらしてくださいませね」

 朗らかな笑みを浮かべ、彼女は「カフェ・ベルトラ」のほうに歩いていく。

 その後ろ姿を見送りながら、私は唇をきつく噛みしめていた。


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