第30話 伯爵令嬢からの挑戦状


 階段を降りた私たちの前に立っていたのは、エレオノール・ベルトラだった。

 開店準備をしていたマドレーヌと新人スタッフが遠巻きに彼女を見ている。止めようとしたらしいが、あまりの剣幕にそれもできなかった様子である。

 エレオノールが身につけているのは、真っ赤なモスリンに黒いリボンをあしらったドレス。この場にいるスタッフ全員が霞んで見えるほどの、女王然とした圧倒的に華やいだ空気を漂わせている。

 たしかに美しいは美しいけれど、これから自分のカフェを視察に行くのだろう。飲食店に似つかわしくないド派手な装いだというのは気がかりだ。

 そして、その装いでうちの店内に殴り込みとは、まったくいい度胸をしているじゃないか。

(とりあえず、まだ準備中だからよかったわ)

 恐らくは、あのナンパ男たちが陳情に行ったのだろうが、だからと言ってこのような暴挙が許されるわけではなかろうに……。

「あら、おはようございます、エレオノールお嬢様。どうなさいましたの? そんな怖いお顔をなさって」

 私は素知らぬふりで、彼女の怒りを煽ってみた。

「ふざけないでちょうだい! あなたのお陰で、わたくしがどれだけ損害を被ったと思っているの!?」

 喚きたてるエレオノールに、リオネル様は私の前に立って毅然とした対応をする。

「これは聞き捨てなりませんね。損害とは、我が社が新聞社に訴訟を起こしたことをおっしゃっているのですか?」

「そうよ!」

「……おかしいですねぇ。なぜ、あなたがそれをご存じで?」

 疑問を口にするリオネル様に、エレオノールは言葉を詰まらせた。

 ユーレック商会と「カフェ・カタリナ」が連名で起こした訴訟は、記事を載せた新聞社と新聞記者ジュリアン・マルニアック、そして「カフェ・カタリナ」の前で営業妨害を行ったルブラン・ベルジーニに対するもの。

 「カフェ・ベルトラ」とエレオノール・ベルトラの名は、どこにも記されていない。

 すなわち、そもそも彼女がこの件を知っているということは、あのナンパ男たちとつながりがあることを私たちに教えるようなもの。

 その上、この件で怒っているということは、彼女が新聞記者に「カフェ・カタリナ」のレシピ材料をリークしたと認めることになる。

 ようやくそのことに思い当たった様子で、彼女の顔は真っ青になった。

(浅はかねぇ……うちの店の周りにいると迷惑だから、クズ男と一緒に粗大ゴミの日に出しちゃいたいくらいだわ!)

 呆れた顔をしている私をキッと睨みつけると、エレオノールはぷいっと顔を背けてそのまま出て行ってしまった。

 来るのが唐突なら、去るのも唐突だ。

 我儘なお嬢様育ちだとあんな風に非常識になってしまうのかと、呆れてため息を漏らした。

「すみません、お嬢様……止めようとはしたんですが……」

 申し訳なさそうなマドレーヌに、私は微笑みかける。

「問題ないわ。もし次回、お客様がいらっしゃる店内に来たら、裏庭に出して私を呼んでちょうだいね」

「かしこまりました!」

「……たぶん、次回はもっと怒っているかもしれないから」

 そう言って、私はリオネル様に目配せをした。

 彼は黙ったままで頷いて、こう言ってくれる。

「たとえ、ベルトラ子爵令嬢が怒ったとしても、カタリナお嬢様の身は私が守りますから」

「ありがとうございます。でも……実はその日が待ち遠しくて堪らないですわ。こんな性格の悪いと、リオネル様に嫌われてしまうかもしれないですけど」

 そんな私の懸念を、彼は一蹴した。

「ご心配いりません。策略を巡らしているときのカタリナお嬢様もとても魅力的ですから」

 微笑み合う私たちを見て頬を赤らめたマドレーヌは、そそくさと仕事に戻っていく。

「……さて、私は新聞記者と打ち合わせがあるので、また夜にでもお話しましょう」

 それを聞いて、頬が緩んでしまう。

 そう……いよいよ、メアリーの密告をもとにした記事が出る。

 リオネル様は多忙な仕事の合間を縫って、記者の手配をしてくれていた。

 「カフェ・ベルトラ」のスタッフのインタビュー記事ができたので、内容を事前に確認させてもらうのだろう。

「わかりましたわ。どんな記事ができあがるか楽しみにしています」

 ネズミ問題が明るみに出るのをこんなに待ち侘びるなんて、エレオノールに感化されて私も性格が歪んでしまったかも?

 でもね……先に突っかかってきたのは私じゃない。これ以上の攻撃を受けないための正当防衛。

 だからこそ、こちらも罪悪感なくやり返すことができるのだ。

 

 

 新商品のオリエンタルゼリーは、女性の悩みを解決するスイーツということで大評判になった。

 マドレーヌにポスターをデザインしてもらい、東方女性が好むお菓子と同じ素材を使っていることを前面に出した。

 この王都にも、ちらほらと東方の商人がやってくる。彼らが連れている奥方は、例外なく真珠のようになめらかな肌をしており、体つきはほっそりとして優雅。

 彼女たちの存在は、東方の食材が美容にいいということの証明だった。

 東方女性のスリムさに羨望の眼差しを向けるベルクロン王国の貴婦人たちは、迷うことなく「カフェ・カタリナ」でティータイムを過ごすようになる。

 初日からしばらくは、コーヒー味とリオネル様も絶賛してくれたオレンジ味、そしてストロベリー味にした。

 どれも蜂蜜を使っているので、くどくない程度の甘さに抑えてあるため、女性ばかりではなく男性からの人気も上々だった。

「カタリナちゃん、このコーヒーゼリーおいしいよ!」

「オレンジ味もいいよ。さっぱりしているのが、俺たちにぴったり」

 なんて、男性の常連客の評判もいい。

 新商品を投入する時はお客さんの反応が気になって緊張するが、みんなの笑顔が見られたから今回も成功したと言えるだろう。

(あー、よかった!)

 胸を撫で下ろした私に、メアリーが話しかけてきた。

「カタリナ様、よかったですね。やっぱり、カタリナ様が作るお菓子は最高ですわ!」

「ありがとう」

「カフェ・ベルトラも、新商品を売り出したんですよ。あまり、評判はよくないみたいですけど……」

「あら、エレオノールお嬢様も大変ねぇ」

 小躍りしそうなくらいうれしいが、グッと気持ちを抑える。

 実は、メアリーを使って「カフェ・ベルトラ」に嘘の情報を流している。

 今回の寒天ゼリーのレシピの代わりに、ダミーのカスタードプディングのレシピを渡させた。

 しかも、それは私が考案したものではなくて、ただの市販の料理本の抜粋である。トッピングのことを何か聞かれたら、黒いカラメルと答えておくように、と伝えた。

 この世界には、まだカラメルの概念はない。

 カラメルを何で作ったのかは知らないが、あのレシピで作ったら相当重くて甘いはずである。

 「カフェ・ベルトラ」の重すぎるスイーツと、「カフェ・カタリナ」の爽やかなスイーツ……その両極のお菓子を楽しんでもらうのも、いいと思っている。

(そうよ。あれだって、そんなにまずくはないものね)

 しかし、あまり評判がよくないのならご愁傷様だ。

 店舗に出ない彼女は顧客のニーズを把握するつもりもないのだろう。

 そもそも、飲食店の経営を舐めているとしか思えない行状だから仕方ないけれど……。

 うちのカフェからレシピを盗み、そっくりそのままのメニューを作っていたことがエレオノールの敗因。

 がんばって自分の頭で考えて負けるならまだしも、他店の盗作はNGだ。

 これからは、今回の件に懲りて正々堂々と勝負してくれるだろうか?

(まぁ……あなたの資金力にまだ余力があれば、の話よね。エレオノール)

 真っ赤なドレスを着た彼女の幻影に挑戦状を叩きつけるように、私は口角を吊り上げた。

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