第14話 あなたなど願い下げです!

「はぁー、今日も忙しかったわねぇ」

 パニーニを売りに売ったランチタイムが終わり、私はマドレーヌが作ってくれた賄いをカウンター内で食べていた。

 最近入ってくれた新人のメアリーに仕事を教えるため、しばらくはきちんとした休憩時間はとれないかもしれない。

 でも、これも事業が順調な証拠! 前世でも賄いだけ食べられれば、休憩なんてなくてもよかった。そんなわけで、今世でも空腹が満たされれば問題はない。

 ランチはテイクアウトのお客さんが多いので、テラス席はけっこう空いている。

 ありがたいことにメアリーはよく気がつく子で、率先して客席の清掃をしてくれている。

「マドレーヌ、新人の印象はどうかしら?」

 先輩である彼女にも、尋ねてみた。

「仕事の覚えは早いです。たしかレストランで働いていた経験があるんですよね?」

「そういう風に聞いているわ。よかった! これなら、侯爵家のメイドたちはたまにヘルプで来てもらうくらいでいいわね。マルコにも作業だけじゃなく、接客もしてもらうことにするから……」

 そんな打ち合わせをしていると、遠くから誰かが近づいてくる気配があった。

 立ち上がろうとする私を、マドレーヌが制した。

「……お嬢様、どうしましょう? フィリップ様が……」

「えっ?」

 うろたえる彼女につられて、私も動揺してしまう。

 焼き菓子の合間から顔を覗かせると、クズ男の姿があった。

 こういう場所で見ると、リオネル様には劣るがなかなかの美男子である……なーんて、平然としている場合じゃない!

 デート現場をじっとり眺めるだけでは飽き足らず、私の仕事場にも来るだなんて、どこまで厚顔無恥なんだろう?

「マドレーヌ、さっさと追い返しちゃって!」

「了解です! お任せください!」

 私はその言葉に甘えて、マドレーヌのスカートの中に潜り込んだ。

 制服はふわりとパニエで膨らませてあるので、座った状態で入れば何とか私一人くらいは隠れられる。

「お、お嬢様……隠れ場所、そこですかっ! いやらしいなぁ!」

「仕方ないじゃない」

「わかりました。あまり動かないでくださいね!」

 そう言って、しばし沈黙が流れる。

「いらっしゃいませ! あら、フィリップ様ではございませんか? 奇遇ですわね」

「……マドレーヌ、久しぶりだね。あのぉ……カタリナは今日いないのかな?」

「お嬢様でしたら、新規の出店のことでお打ち合わせがありまして、しばらくはここにいらっしゃらないかと……」

「そうなんだ……マドレーヌ。カタリナに会わせてくれたら、このチップはぜんぶ君のものだよ」

 ――ジャラジャラとした音が聞こえてくる。

 よもや、金貨で侍女を買収しようとしているのか?

 マドレーヌという女を理解しているとしても、それは汚いのではないか?

(クズ男はやることもクズだわね……私のことを、マドレーヌが売るわけがないじゃないの! サイテー!)

 そう思って、私はマドレーヌのパニエの中で唇を歪めていた。

 しかし――その考えは甘かった!

「うーん……ほんの五分だけでいいなら、説得してみましょう!」

「よろしく頼む!」

 えー……? 耳がおかしくなったのかしら?

 それとも、マドレーヌのパニエの中の何とも言えない体温と微かな石鹸の匂いに誘われて、昼寝をして夢でも見ているのかしら?

 できれば、そのどちらかであってほしい。

 しかし、これが現実である証拠に、パニエの覆いはさっさと外されて目の前がパッと明るくなる。

「……申し訳ございません、お嬢様。そういうわけですので、五分だけフィリップ様とお話していただけませんでしょうか?」

 コソコソと声を潜めて話しかけてくるマドレーヌだが、カウンターのところにいるフィリップから丸見えじゃないか!

(勘弁してよーっ! 侍女に売られる伯爵令嬢ってどういうこと!?)

 腹立たしさのあまり彼女を睨みつけるが、そんな時に限ってお客さんがわらわらとやってくる。

「いらっしゃいませー、何になさいますかぁ? カフェタイムのオススメは、ブルーベリーとフレッシュチーズのタルトでぇーす!」

 嬉々として、販売促進のお声がけまでし始めるマドレーヌ。

 いつもは指示を無視して、定型文句しか言わないくせに調子のいい女である。

(……むかつくけど、仕事の邪魔をしてもよくないわね)

 その様子にため息を漏らし、私はゆっくりと立ち上がった。

 接客中のマドレーヌを問い詰めることはできない。そもそも、彼女を買収したほうが悪い。

 私は居心地が悪そうな様子のフィリップを睨みつけた。

「カタリナ……済まない。仕事の邪魔をするつもりじゃなかったんだが……」

「グラストン侯爵令息、あちらに行きましょう。もし、ここで話し始めたら、あなたを営業妨害で訴えますわよ!」



 私はフィリップと、カウンターの後方にある荷物置き場に連れて行く。

 そこは、自分たちの荷物のほかに余分に運んできた材料や食器類を置いておくスペースだ。そんなところに誰も来るわけがないから、こうした密談にはもってこいである。

「……で? いったい、お話って何でしょう?」

 振り向いて、私は彼の顔をじっと見た。

「忙しいところ、本当に申し訳ない……でも、どうしてもあのまま君との縁が切れるって思うとやり切れなくて……」

 フィリップは長い睫毛を伏せて、もじもじした様子で言い訳を始めた。

 なぜ、そこでもじもじするのかわからない。

 誰がどう見ても、私のほうが困るべきなのに、なんか私が虐めているみたいじゃないか。

「五分しかないから、要点をまとめて述べなさい!」

 ピシッと叱りつけると、フィリップはまるで学校で怒られた生徒のように佇まいを正した。

「は、はいっ! あの、その……エレオノールが妊娠したって話、もしかしたら聞いたかもしれないんだけど、あれは間違いだったんだ」

「……間違い?」

「そう。ベルトラ子爵家がうちと婚姻を結ぶために、婚約をするまでエレオノールが妊娠しているって嘘をつきとおしたんだ。医者にも賄賂を渡して!」

 それを聞いて、フィリップの言い分が少しくらいはわかった。

 妊娠したって騙したエレオノールが全面的に悪いから、自分は被害者だと言いたいのだろう。

 なるほど……それは、お気の毒さま。

 ただ、妊娠の可能性があることをしたのはどこの誰だろう? コウノトリが赤ちゃんを運んでくるとか、そういうことを信じる年齢でもないだろうに……。

「……仮にそうだとして、私にそれを伝えてどうしようとおっしゃるのです?」

 そう尋ねる私に、フィリップは眉をハの字に下げた。

「冷たいな……まぁ、君をそういう風にしてしまったのは、僕の行いのせいなんだろうけど」

「よくおわかりで!」

 しかし、なおもフィリップは食い下がってくる。

「僕が愛しているのは、カタリナ……君だけだ! エレオノールとは時間がかかっても、婚約破棄をする。だから、もう一度、僕とやり直してくれないだろうか?」

「はぁ?」

 目が点になる、とはまさにこのことだ。

 首を長くして待っていたときには私の友人と浮気をし、そっぽを向いた途端に追いかけてくる……この男は、私のことをいったい何だと思っているのだろう?

(このクズ……いや、この粗大ゴミをエレオノールに宅急便で送りつけたい! もちろん、着払いにさせてもらうけど!)

 軽蔑を隠そうともしない私に、さすがのフィリップもたじろいでいるようだ。

「あなたのことなんか、願い下げですわ!」

 キッパリとしたお断り文句に、彼は泣きそうな表情に変わった。

「そんな……!」

「わたくしには愛する仕事があり、とっても誠実で優しい恋人もおりますの。もう二度と、会いに来ないでいただけます?」

「……わ、わかった。今日はこれで十分だ……でも、あきらめないからね、君のこと!」

 そう言い残して、フィリップは踵を返した。

 後に残された私に、にやにやしながらマドレーヌが話しかけてくる。

「モテモテじゃないですか、カタリナお嬢様! 羨ましぃー!」

「ちょっと、マドレーヌ! 人のこと売ってるんじゃないわよっ。いくらもらったの? 少しは私に寄越しなさいよっ!」

 明らかに膨らんでいるエプロンのポケット。その中身を奪おうとする私の殺気に気づいて、マドレーヌは逃げ出した。

「えっ、いやですよ! これは私のもの……!」

「待ちなさいっ! 待ちなさいったら!」

 ぎゃあぎゃあと喚きながら追いかけっこをする私たちを、メアリーが呆れた顔で眺めていた。

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